吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

李朝時代の漢字

2005年06月09日 15時52分13秒 | 李朝
李朝時代の漢字

 日本で言う煙草は韓国で『煙酒』と書く。
 ニコチン吸引による陶酔と酒のそれと似てなくもない。
 煙管も字の通りだが、李朝時代は『横竹』と書き、煙草をすうのは『吸草』となる。
 温泉は『温井』と書き『客人』は時代劇がかったイメージがあるが、李朝時代、日本の特別待遇される貿易人の意味。『学生』は両班の子弟でいまだ試験にうからない者を『幼学』とし、幼学が死ぬと学生となる。いまでも祭祀の札になになに学生と書くのはそれである。
 日本の妾は『花妻』というがこれは常民、が本妻以外の女を娶るとこう言う名でよぶ。
『火者』は去勢した若者。『活人院』は貧しい人を保護する医院。『花柳』は日本では芸者逹の艶やかな様をいうが、春三月に山野で遊ぶことである。
『救食』とは日食や月食などの天変にさいして種々の祈りをすること。アユは日本では香魚だがこれは『 銀口魚』で面白い。
 練魚はニシンだが李朝では『真魚』と書く。
『結幕』は粗末な家を作る意味。『乾飯』は王様が謹慎の意をあらわすためにとるおオカユの事『交朋』は友達と交わることと思われやすいが、さにあらず、女の同性愛の意味。『才人』は才能の豊かな人とおもいがちだがなんとこれは旅芸人の男性であつかいされていた。
『恣女案』は品行不良か三回以上嫁したる両班女性。
 なるほど結婚をほしいままにとはうまい表現だと感心してしまう。 きりがない。
 しかし李朝時代、こんな難しい文字が飛びかっていたのだから、第四代、世宗王がハングルを創始したため、庶民はどれほどたすかったかはかりしれないものがある。

韓国の雪

2005年06月09日 13時10分30秒 | 李朝
韓国の雪

 少年時代を北海道、小樽ですごした私は雪国の風景にたまらない郷愁を覚える。中学五年生の春、家庭の事情で母の実家の南国、土佐に転校してのち四国山脈のどまんなかの平家落人の里で国民学校の教師になった。標高、八百米もあるそのは冬は大雪に見舞われる。だが小樽の雪の風景となにかが違う。
 韓国はどうだろう。ソウルでは北海道のように大雪は少ないしたまに降った雪がそのまま根雪になることはまずはない。
 しかし三十八度線近くの農村では数週間も凍結したままである。 ある日、窓のカーテンを開けると外は一面の銀世界だった。
 南大門に通じる坂道で勢いつけて上る車は途中でスリップして止まったのはよいが、そのままずるずる坂道をすべり落ちてくる。
 小型トラックは坂道で荷台に人が乗って重しがわりに反動をつけてスリップをふせいでいた。
 街のあちらこちらでスリップ衝突事故の光景が見られるが、原因は車のほとんどがノーマルタイヤなのだ。滅多に雪の降らないソウルでは真冬もノーマルタイヤで走っている。
 今から二十年前の話だが、日本の雪国では百%、スノータイヤだ。 五センチほど積もった雪のなか、国道を南下して広州市街までB氏の車に乗ってむかった。
 気温はマイナス十三度、すべてが凍結していた。
 しかし雪の風景は北海道や四国山中のそれとはちがっている。
 地の底まで凍てついて自然が縮んでいるような感じの雪景色で、まだ所々に残っている藁葺き農家のたたずまいは私を感動させてくれる。
 途中、案じていた通り、B氏の車は追突事故を起こした。それまで呑気に…これくらいの雪はどうってことありません…と後部座席でふん反り返っていたB氏もさすが、心配になってスノータイヤを探して街はずれの車工場へ向かった。
 その時、私は雪にうずもれた小さな丘に李朝の古窯を発見したのだ。
 雪の合間に点々とちらばっている陶磁の破片が美しかった。
 ふたたびそこを訪れた時、その窯は李朝の未調査の分院(官窯) と分かった。破片はすべて粉青(三島)だった。。

酒の民話

2005年06月09日 12時04分25秒 | 李朝
酒と民話 二

 東洋人の上戸下戸の割合は六対四と言うが、とすると韓国人もおなじであろう。ちなみに下戸は律令の大、上、中、下戸の四等戸からでた言葉と思うが、韓国の知人、K氏はメッチュの一滴も飲めない。李氏朝鮮王朝時代、たびたび禁酒令がだされたことはこの欄で書いたとおりだが、ある時、…酒は大事な米を無駄に費やし、人を怠け者にする亡国のもとである…ゆえに、今日から三日のうちに、酒造りを捕まえ、首を刎ねろ!と王様がのんべぇの下級役人、柳進項に命じ、自分の刀を渡した。
 禁酒令がだされてもちまたの密造酒は後をたたない。
 柳進項は三日目にあるあばら屋に足を向けた。儒生(科挙…高等官吏…両班への受験生)がひそかに密造してるのを見つけた。彼は…王様の命令だ!首を刎ねるぞ!と言いながらもそこはのんべぇ、俺にいっぱい飲ませてくれ…と言い、儒生と一緒に飲みだした。儒生は病気の母を看病しながら科擧への勉強をしてるが貧乏なので書物も買えずこうして密造してます…と話した。それに感動した柳は、俺はお前の首を刎ねるのをやめた、そのかわり俺は王の命令にそむいたのでこの刀で俺の首を刎ねてくれ!と懇願した。そんな首刎ね問答を繰り返すうち、死ぬことの馬鹿らしさにきずいて、刀を儒生にわたし、これで学費のたしに、そして柳は…密造者はいないので自分の首を刎ねようとしたが刀を紛失しましたので…と王様に嘘の報告をした。そのため柳は平安北道(北朝鮮)溯州の地方役人のしたっぱに左遷された。
 その後、一年がすぎ都より御史(王の勅使)が溯州にやってきた。 地方官の不正を監察するためだった。
 溯州の知事一同ひれふす前に立った、御史は…柳進項殿をこれへ…と命じた。柳はおそるおそる頭をあげ、思わず大声で…あなた様はあの時の儒生様!科擧に合格されましたか!と言った。
 それからまもなく朝廷から沙汰があり、柳はいきなり溯州府使に大抜擢されたのである。
 酒にまつわる民話には出世譚が多い。そんな民話に韓国人の諧謔性や、明るさがあふれている感じがしてならないのだ。