吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

2005年05月24日 06時54分22秒 | Weblog
 『カッコウ鳥の鳴く夜』。これは韓国映画の二十数年前の作品だった。乙支路の映画館だったかあるいは鐘路だったかもしれない。
 国歌を斉唱して映画がはじまる。江原道の山村での貧しい娘と正義に燃える青年との恋や、日帝時代の不当な警察官も登場した。
 わたしはこの映画の中にでてくる、窓の美しさにうたれた。
 あるシーンの灯りに浮かぶ二人の影を見て感動した。
 窓の美しさは現代建築の窓に比ぶべくもない。貧しくても人間を真摯に生きる主人公の姿は感動的だった。
 一九八〇年以前に始まったセマウル運動(農村改革)が全国に広まって家屋や農村の近代化がすすみ、煉瓦建築が増えて、美しい朝鮮王朝時代の伝統的な窓を見る事は今では少なくなった。がオンドル部屋の窓はその伝統をまもっている。ホテルでも美しい窓を演出してる所もあり、家具調度品も李朝風で、旅の情緒が楽しめる。朝鮮ホテル(チョソン)はすべての部屋の窓は格子窓、用字窓、亜字窓、あるいは円窓、韓式旅館では、花窓をあしらった所もある。
 窓にこれだけ美意識をもたらせたものは、李氏朝鮮王朝時代の士(ソンビ)逹が儒堂で朱子学を思索し、漢詩を推敲するための落ち着いた雰囲気をかもしだすにもっとも適した様式から生まれたものと思う。窓に貼る朝鮮紙も日本とは逆である。
 日本のように外側から貼って部屋の中から格子桟がはっきり見えるのと異なって韓国の場合、内側から貼るので、外から桟がはっきり見えて美しく、部屋のなかは白一色となる。
 白を好む民俗性からそうなったのか分からないが、白のチョゴリパジ姿、日本と異なって厳しい山と川の少ない韓国では朝鮮と国名をきめたように、朝、靄がゆったり流れる小川にかかり、陽が鮮やかに立ち上ぼる彼方の小山は絵を見るようだった。
 そして李朝白磁も、清楚な儒堂に使うにふさわしい白になった。 明を宗主国と仰ぐ李王朝でも明の赤絵手法はとりいれることがなかった。
 かって日本民芸の創始者で宗教哲学者の柳宗悦は朝鮮の『白の悲哀』のエッセイで…朝鮮は喪に服している…と言ったが、これは間違った認識とわたしは思うのである。
 白はむしろこの国の開放的、民俗色ではないだろうか。