永遠に、幸せになりたい。    by gorosuke

真夜中、いいおっさんが独り海に向かって延々と竿を振る。
アホだな。でもこのアホ、幸せなんだよなあ。

嗚呼!!イカ釣りの楽しさよ。

2012-09-23 | アオリイカ
久しぶりの更新である。

6月から9月後半まで展覧会が続いた。
兵庫伊丹、京都、愛知、富山高岡と旅から旅で、まるで寅さんのようであった。

というわけで3ヶ月間、竿を握ることはなかった。

さて、旅は一段落、9月の終わりとなればアオリイカである。

エギ竿やリール、エギを引っぱりだし整備していると、暫く眠り込んでいた釣りへの想いがじんわりと蘇って来る。
昨年逃がした大物の記憶が脳裏に鮮明に浮かんで来る。
イカの手応え、生命反応、それらのリアルな感覚が蘇って来る。

朝、昨年出会ったポイントに出かけた。
先客が一人いた。
ここは既に知られたポイントなので入れないかもと覚悟していた割にはラッキーだったか。
それも先客の一人というのは知っている輪島の釣り師であった。
隣でやってもいいかと聞くと、にっこり笑って頷いてくれた。

彼の邪魔をしない位置に立ち正面の海にキャストする。
軽い追い風に乗って3号のエギは飛び、遠くに着水する。
波は1メートル弱、少し弱いが凪ぎよりましである。

水深8メートル、カウントすることなく適当に待ち、適当に二段シャクリ。
その後、暫く待ってパンパンパンとジグザグダート。
一年ぶりのイカ釣りである。なんだかシャクリもしっくりとこない。

昨年はどんな感じでしゃくっていたか、思い出そうとするのだが、なかなか微妙な感覚は思い出せない。
しかし、それでいいのだ。
今年は今年の釣りなのだし、このよく分からない感じが新鮮で楽しい。

私の仕事は版画や焼き物を作ることだが、この仕事を25年も続けていて思うのは、初々しさの大切さである。
仕事に慣れないこと。いや、仕事だけでなく世間や世界に慣れないこと。すれっからしの大人にならないこと。
世間や世界に慣れ切ってしまうこと、それは堕落である。
失敗したり、恥ずかしかったり、どぎまぎしたり、そのままでいい。
何に対しても初々しくあリたいと思っている。

釣りも同じである。
釣りに慣れてしまったら堕落である。
それはいくら釣ったところで意味がない。

釣りは世界との新鮮な出会いなのだ。


とまれ、イカ釣りに戻る。

一投目からあの鈍い重さが乗った。
ゆっくりと引いて来る。
大きくはないが、ジェット噴射のグングンと引っぱる生体反応が伝わって来る。
もう何度も何度も経験した手応えだが、こいつがたまらない。



一年ぶりのアオリクンである。
まだ15センチに満たない小さいやつだが、その美しさは何度見ても息をのむほどだ。

それからもコンスタントにヒットする。
サイズは15センチ前後。最大で18センチ。
このくらいのサイズが一番数釣りできるサイズだろうな。
20センチを狙うが、超えない。









隣のK氏も次々とヒットさせているようだった。
流石、名人と言われるだけあって見事な竿さばきである。


天気はよく、秋の高く青い空、水平線の上に群れて浮かぶ雲が綺麗だった。



嗚呼!!イカ釣りの楽しさよ。

メバルもスズキも夜の釣りである。
日中でも釣れるというのがアオリイカ釣りのいいところ。







時折、こんなやつも。








昼過ぎに帰ろうと思っていたが、
天気はいいし、K名人となんたらかんたら喋りながらやるのもさらに楽しく
帰るのも惜しく、どんどん時間は経ってゆくのだった。

気が付けば40杯は釣っただろう、クーラーボックスの重さといったら、
それを担いで断崖を登り帰らねばならぬのかと途方に暮れるくらいだった。

ともあれ、今年の初アオリ、思う存分の楽しい釣りとなった。