とどまることを知らぬ購入、所有、廃棄、新製品の生産、廃棄という過剰な生産と消費の循環は、本当の意味で幸福をもたらしたといえるだろうか。すべては進歩の預言者のいうとおりになっただろうか。
この過剰は確かに生活を快適にした。しかし、同時に誰をも一種の無力感に陥れた。なぜなら、その進歩と開発はとどまることを知らず、今度はどうやったらこの無限の悪循環から抜け出せるのか、誰にもわからなくなってしまったからである。
この逃げることのできぬ悪循環は、絶えずこうささやく。「技術の進歩には限りがない。きのう新しかったものは、今日は古くなっている。」「いま金がなくても、それを買わなければ君は時代遅れになる。払えないなら後で払えばいい。」
私たちは、この過剰な生産と消費の悪循環のなかにどっぷり漬かりこんでいる。そのため、ここから自分を消費者ではなく人間として回復させるためには、まずこの私たちを包み込んでいる流れ全体に対してストップと手をあげ、立ち止まって、「人間が人間らしく生きるためには、一体何が必要で、何が必要でないか」を考える必要がありそうである。
人間をダメにするのは窮乏よりも過剰であるかもしれないと、そこから疑ってかかる必要がある。