破魔矢(水戸八幡 八幡町8-54)
日葡辞書(にっぽじしょ)という、江戸幕府が成立したころに、ポルトガルの宣教師が作った辞書には、「子供が藁(わら)や藺草(いぐさ)で作った、ある種の輪を射て遊ぶのに使う矢」とあります。大言海は「浜矢」としています。これがその後、魔を破るお正月の縁起物になっていったようです。写真は正月に見た水戸八幡での破魔矢です。
矢じり(大串貝塚ふれあい公園 塩崎町1064-1)
これは模造品のようですが、以前は畑などで、よく黒曜石で作られたやじりが、耕作のときにでてきたという話を聞きました。ネット上でもよく売買されているようですので、かなりたくさん出土しているのでしょう。かつては、戦闘と狩猟のどちらに多く使用されたのでしょう。
奉納額(中根寺 水戸市加倉井町595)
中根寺にある摩利支天堂(まりしてんどう)に掲げられている昭和9年の奉納額です。「和田平助先生追福奉射」とあります。写真のように、矢の先はとがっていなく、すでに矢羽はなくなってしまっているようです。
五町矢場(若宮町 国道6号線水戸大橋脇)
大砲などを修練で撃つために、保守派の抵抗を押し切って徳川斉昭が設置した演習場だそうで、神勢館といったそうです。大砲発射地と着弾地との距離が5町(約550m)くらいあったので、五町馬場ともいわれたようです。ほかに小銃射撃場もあったそうです。この矢場といい、追鳥狩(おいとりがり 軍事演習)といい、文字と実際とではかなりのイメージ的な距離感があります。
鏑矢神事(酒門神社 酒門町94)
吉田神社の別宮といわれる酒門神社で、4月3日に鏑矢神事(かぶらやしんじ)が行われます。ウツギ製の4尺2寸(約160cm)の弓で、2尺2寸(約84cm)の矢をつがえて、4間2尺(約789cm)離れた的を射るのだそうです。この矢も先はとがっていませんでしたが、「鏑矢」神事というので、かつては違うかたちをしていたのではないでしょうか。
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