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徳川斉昭の改革余波を受けた寺(5)

2021-01-21 19:59:23 | 水戸

 処分を受けた寺には、畳寺(たたみでら 廃寺)、寄寺(よせでら 合併)、追院(ついいん 追放)などがあります。畳寺は、建物は壊し、仏像等はもよりの寺に預けるかこわすこと等を、寄寺は、寺号と仏像などを他の寺院に移して合併し、跡地は没収すること等を、追院は、寺僧の僧衣をとりあげ、水戸藩内立入禁止とする等をいうようです。ただ、斉昭の幕府による謹慎処分により、処分には不徹底なところがあったようです。

 

報仏寺(河和田町887)一向宗
 移住願が出たという理由で、筑波東へ移ったそうです。

 

定善寺(酒門町363)一向宗
 光台寺に連座したという理由で、川島村・香仙寺へ寄寺になったそうです。

 

香積寺(渡里町111)臨済宗
 廃寺処分になったそうです。廃寺の状態が長く続いたそうですが、大正11年に再興されたそうです。

 

阿弥陀寺(廃寺 吉沼町299)天台宗
 無住、村方願が理由とあるそうですが、大薩摩のあやつり興行を夫人とともに見に行って酒を飲んだという嫌疑だったようです。追院・畳寺となったそうです。阿弥陀院共同墓地が残っています。

 

了性寺(廃寺 青柳町 36°22'55.2"N 140°28'53.0"Eあたり)真言宗
 無住(住職不在)という理由で、畳寺になったそうです。了性寺は頼房の城代家老・芦沢信重が建立した寺で、畳寺の後、元治元年の兵火で焼失したそうです。現在芦沢家の墓地だけが残っているようです。

徳川斉昭の改革余波を受けた寺(4)


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