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水戸の見て歩き

徳川斉昭の改革余波を受けた寺(3)

2018-03-21 20:05:26 | 水戸

 畳寺(たたみでら 廃寺)、寄寺(よせでら 合併)、追院(ついいん 追放)などの言葉が並ぶ処分された寺です。畳寺は、建物は壊し、仏像等はもよりの寺に預けるかこわし、跡地は没収して武家屋敷や畑地にすること等を、寄寺は、寺号と仏像などを他の寺院に移して合併し、跡地は没収すること等を、追院は、僧衣をとりあげ、水戸藩内立入禁止とする等をいうようです。不如法は仏法に従わなかったということなのでしょう。

 

光台寺(上水戸3-1-39)
 不如法等で、畳寺になったそうです。出奔とありますので、処分をおそれて逃れたのでしょうか。再建されたのは明治12年だそうです。忠僕・甚内が主人のために建てた唐銅地蔵も鋳溶かされたそうです。

 

浄安寺(緑町1-13-22)
 還俗(僧侶が俗人に戻ること)を願い出て、畳寺となったそうです。この住職は、還俗後、郷士の身分を認められたそうです。寺は明治初年に再建されたそうです。

 

 

蓮乗寺(元吉田町2705)
 不如法で、追放、畳寺になったそうです。ここの檀家で、取り急ぎ隣の常照寺に位牌を預けたところ、常照寺も寄寺になってしまったという藩士もいたそうです。写真の本堂は現在建て替え中のものです。

 

多宝院(護国寺 見川1-1190)
 追院、畳寺等になったそうです。阿弥陀院の住職と一緒に、操芝居を夫人と見ていたことによるようです。今なら当たり前の風景ですが。

 

不動院(笠原不動尊 笠原町994)
 不如法で、追院・永無住・畳寺になっています。建物は取り払われて、塩崎の長福寺へ預けられ、跡地に水戸神社が建てられたそうです。

徳川斉昭の改革余波を受けた寺(2)


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