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水戸の市指定文化財(工芸品)

2024-03-01 21:49:57 | 水戸

 市の指定番号順に並べました。

 

常葉山時鐘(じしょう 東照宮 宮町2-5-13)
 寛文7年(1667)に徳川光圀によってつくられた、時刻を知らせるための鐘だそうです。製造は鋳物師・長谷善四郎で、光圀は鋳造の際に金をとかし入れたそうです。朱舜水による文などが刻まれているそうですが、二の丸柵町門あたりにさげられたそうです。その後、時報は太鼓に代わり、鐘は東照宮に納められたりしたそうですが、維新後、明治5年に建てられた県庁(現・三の丸庁舎)付近で、時報の鐘としてつかれたそうです。明治9年には、また東照宮に戻ったそうです。写真は、現在、東照宮に安置されている時鐘です。

 

五輪塔(薬王院 元吉田町682)
 初代藩主・頼房の二男で、寛永5年(1628)に4歳で死去した、光圀の異母兄にあたる亀千代の石塔だそうです。墓は延宝4年(1678)に水戸徳川家の墓所・瑞竜山(常陸太田市)に移され、この五輪は埋められたようです。昭和46年に境内の杉を切ったときに発見され、往時の形に戻ったそうです。安山岩製で、高さ約2.4mあるそうです。

 

安神車(東照宮 宮町2-5-13)
 斉昭は今でいうオールラウンダータイプの人だったようで、非常に多面的な活動をしているようです。そうした活動の一つとして、東照宮に残っている安神車があるようです。戦災で火にかかったようですが、それでもかつての形をとどめているようです。安神車は、牛にひかせる戦車だそうで、鉄板で四周と上部を囲い、中に人が一人が乗り、銃が発射できるようになっているようです。排泄のための開き戸も床についているそうです。これを斉昭が考えた時点では海外の戦争技術の現実をじゅうぶんに分かっていたとは思えないようなものです。2台分あって、その一つには、「弘化三年」や「久米長量(鍛刀をよくした人だそうです)-造之(これをつくる)」などといった書き込みなどがあるそうです。

 

銅造灯籠(東照宮 宮町2-5-13)
 元和7年(1621)に徳川頼房は家康を祀った東照宮を現在地に創建したそうです。高さ2.8mという2基ある灯籠には、「慶安四年(1651)四月十七日正三位行権中納言源頼房」とあるそうで、家康の三十三回忌に寄進したようです。斉昭の廃仏政策の際に、鋳つぶされそうになったそうですが、頼房の建立したものとの建言が斉昭に届いて残ったそうです。三葉葵のほかに、菊の花や垣根、蓮の花弁、天女、獅子等がちりばめられた、そうとう装飾的な灯籠のようです。

 

石造宝篋印塔(善徳寺跡 大串町36°19'51.8"N 140°32'34.6"Eあたり)
 かつてこの地には善徳寺という寺があったそうです。戦時中に防空壕設置のためにその墓石は崖下に放棄されたりしたそうです。昭和52年に建物建設工事中に墓石等が発見され、崖上に復元されたそうです。約3.2mある宝篋印塔には、頼房の配下となった7000石「松平壱岐守正朝」の名や「寛永廿一甲申(1644)五月廿二日」などの書き込みがあるそうです。復元墓の中には、歴史学の帝大教授だった内藤耻叟の祖の墓もあるそうです。

水戸の市指定文化財(建造物)(2)
水戸の市指定文化財(彫刻)
水戸の市指定文化財(史跡)(2)
水戸の市指定天然記念物


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