ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

辞書にある水戸

2020-01-05 17:07:55 | 水戸

 辞書で見た水戸です。それぞれに微妙な違いがあって、書き手の個性や時代が出ているようです。人口の違いは、出版時期の違いのようです。

 

日本国語大辞典(小学館)
 (昔は那珂(なか)川の河港で、水門(みと)と呼ばれていたところから)茨城県中央部の地名。県庁所在地。上代から那珂川の河港で、鎌倉初期に大掾(だいじょう)氏が築城、室町時代に江戸・佐竹氏の城下町として開けた。江戸時代に御三家の一つ、水戸藩の城下町となって繁栄。偕楽園・常磐神社・弘道館などがある。明治二二年(一八八九)市政。

 

広辞苑(岩波書店)
 茨城県中部の市。県庁所在地。那珂川の南に望む、元徳川氏三五万石の城下町。城趾には弘道館・孔子廟があり、偕楽園も有名。水府。人口四三万四千。

 

言泉(落合直文著 芳賀矢一改修)
 常陸国にある市。那珂川の南岸。南に千波(センバ)沼あり。徳川将軍親藩居城の地たりし所。鉄道常磐線の停車場あり。市街は、旧士族町なる上市(カミイチ)と、商業地なる下市(シモイチ)とに分れ、主要なる駅路は、東京より上市を経て北する棚倉街道と、同じく下市を経て北する浜街道となり。


           
大辞泉(村松明監修 小学館)
 茨城県の中部の市。県庁所在地。那珂(なか)川下流にあり、中世は佐竹氏の、江戸時代は徳川御三家の一つ水戸家の城下町。偕楽園・弘道館などの史跡がある。人口26.9万(2010)。水府。

 

大辞林(松村明編 三省堂)
 茨城県中部の市。県庁所在地。中世、佐竹氏の城下町。江戸初期、御三家の一つ水戸徳川氏が入府。水戸城趾・偕楽園・弘道館などがある。昔、那珂川の河港であった。水府。


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