西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

喘息とアレルギー性鼻炎

2006-01-09 18:18:43 | Weblog
 僕は鼻炎です。僕の声が鼻にかかってるのは、そのせいです。
 子どもの頃、扁桃腺を腫らして高熱をだしたり、中耳炎になったり、鼻をぐじゅぐじゅさせていたのは、今でいうならアレルギーということだったと思う。
 幼少の頃、喘息もちだったと母が言ってたが記憶になく、こちら(愛媛)に来て村役場で働いていたとき、喘息が再発した。嫌いな仕事を無理に続けると体によくない。発作が苦しくて2度ほど病院に駆け込んで点滴をしてもらたったが、「君の発作は中の下だよ」と担当医は言った。つまり、そんなにひどい発作ではないというらしい。しかし、本人にとっては「死んでしまうのではないか」と思えるほど苦しい。中の下でもそう思うのだから、これ以上ひどい人は本当に大変だと思う。
 ところで、人間こういう経験をすると痛みやしんどさに関する感覚が鈍くなるのだ。なんとなく体がだるいなぁと感じて、体温を計ってみると37度を超えていたりする。僕は低体温(平熱は大体35度5分くらい)なので、しっかり風邪をひいているのである。こういうことが、しょっちゅうある。
 数年前、急性副鼻腔炎を治療したときもそうだった。「急性副鼻腔炎は視神経を圧迫する場合もあるから、甘く見てはいけないのだよ」と耳鼻科の医師は嬉しいそうに言い、鋭い注射針を見せた。これを鼻の穴にぶすっと刺し、化膿した体液(鼻水のことです)を吸い取るのだ。
「痛いぞう。これで失神した男性もいたのだよ」とその医師は何故か嬉しそうに、またも言った。僕は意を決して注射針が鼻の奥に突き刺さるのを待っていたのだが、チクッとしたがそれほど痛くないのである。医師も拍子抜けしたみたいで、僕自身も驚いた次第である。これも喘息の発作の経験がなせるワザであろうか?それともただ僕が痛みに鈍いだけであろうか??いまだに謎である。
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