西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

プラスティックゴミを処分することで日が暮れる

2014-08-10 10:59:47 | Weblog
 諸般の事情で最近一人暮らしっぽいことになっているが(本当は二人暮らし)、家事をしているとあまりにプラスティックゴミが大量に排出してしまうことで、しばし呆然としてしまう。村上春樹さんは世界の海はクラゲで溢れていると言っていたが、世界はプラスティックに覆われているのだ。

 スーパーのフジに毎日のように買い出しに行くが、もちろんマイバックである。しかしお惣菜は発泡スチロールのトレーに乗っているし、ビールのつまみのおかき類はビニール袋に入っている。納豆もところてんもめかぶも全てその容器は、プラスティックゴミに分別されるのだ。プリンもゼリーも豆腐もそうだ。牛乳パックだけは違う!(牛乳はやはり偉いのだ、パチパチ)

 上記のプラスティックゴミを処分するためには、一応水で洗い流さなければならない。松山市は21世紀になっても水不足の危険がある日本で唯一の都市なので、一市民として納豆パックを洗い流すときに胸が痛む。自分自身がつ疲れているときなどは、エイッと燃えるゴミに入れてしまうのだ。納豆の粘り気は疲れた体にはツライ。

 食品関係だけでなく、プラスティックゴミはあらゆるところで溢れかえっている。娘がよく買う化粧品関係の容器なんかも、そうだ。部屋の臭い消し製品、シャンプー類、ファーマルなシャツを買ったときなどにはあちこちにプラスティックのピンみたいなものが付いている。

 そう言ったモノを見つけて、その都度プラスティックゴミとしてまとめて透明なゴミ袋に入れるのだが、そんな自分がなんとなくこまねずみのように感じてしまう? こんな習性が身についてしまったことは良いことなのだろうか?

 日々の生活体験で思うのは、電気自動車がかなり一般化してガソリンの需要が減ってしまっても、プラスティック製品の需要はすぐには減らないのではないかということだ。それはあまり良いことではないけど、人間やはり楽な方がいいのだろう。実際、僕もお惣菜なんかを買うときは、かなり助かっている。でも別にプラスティックじゃなくて、紙類で包装してもいいんだけどね。まあ今となっては食品管理上の問題なんだろうけど。
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