小江戸と呼ばれた川越
*少し長い文章になりましたが・・・
川越はJR新宿(埼京線+川越線/直通があります)・池袋駅(東上線)・新宿駅(西武線)から1時間強で行ける人口34万人の都市です。知っていた川越は、ローカルな町でしたが・・・先日訪れて、あまりの変わりように驚きました。「以前、放送されたNHKの連続TV小説”つばさ”の影響だよ」と知人は言っていましたが・・・
しかし、見た感じでは、川越市の観光に対する凄まじい情熱が、この変化をもたらしたのだと思いました。案内標識から、特徴を前に出したオーガナイズされた街造り、古い家屋や建築物を大事に残した努力、お祭などのイベントの立ち上げ、100円のレトロバス、案内パンフレットの作成、酒蔵跡をお土産店にしたりのアクションには驚きました。官と民が協力して、人が集まる観光地にしようという気概が見えます。
そもそもこの地は、室町時代に太田道真・道灌親子が城を造ったことから始まっています。江戸時代になると、大老・老中など幕政の重職についた有力譜代大名や、親藩の越前松平家などが居住しました。特に江戸時代中期までは連続して老中職の居城となり、幕府の老中職に就いた大名の数では、徳川各藩中、Topクラスでした。当然、川越は江戸幕府に重んじられていたわけです。城下町川越は、江戸と新河岸川の舟運や川越街道で結ばれ、江戸の北の守りとして発展、「小江戸」と称されるようになったのです。
川越の主な見所:
-喜多院
関東の天台宗の総本山で、徳川家康の関東入国のときに、彼の補佐役であった天海僧正が居住したところです。現在の建物の多くは、寛永16年(1639)に造られたもので、これにより、川越の町の発展と新河岸川の水運の便がもたらされました。喜多院の建物の中の庫裏・書院・客殿は、徳川家光が、江戸城の紅葉山にあった慶長期(1596-1615)の建物を解体し、新河岸川を使って、川越にわざわざ運び、移築したものなのです。このときの客殿の中に、家光誕生の間といわれる12畳半の部屋があります。
-仙波東照宮
喜多院の中に、徳川家康を祭る仙波東照宮があります。これは久能山・日光とならぶ三大東照宮と言われています。
*これらを見ると、江戸幕府が川越を重んじていたことが、よく分かります。
-五百羅漢の石像群
喜多院の境内に(300坪程の区画)、約530体の羅漢が鎮座しています。
-本丸御殿
川越城は明治維新以後解体され、遺構はあまり有りません。本丸御殿は1848年に造営されたもので、玄関部分が残っています。
-中院
中院は、かって星野山無量寿寺仏地院と称し、天長7年(830)に慈覚大師により創設されました。当初の中院は、喜多院の隣にある東照宮のところに有りましたが、寛永10年(1633)東照宮建創の折、現在地に移転されたものです。境内には、川越城主秋元候の家老であった太陽寺一族の墓・島崎藤村の義母/加藤みきの墓などがあります。現在の場所は、移転後、東照宮の南に位置しています。昔は星野山無量寿寺、北院・中院・南院の中心であっただけに、趣のある静かな境内です。本堂前には、みごとな「しだれ桜」があり、開花時には、参詣したいところです。
-時の鐘
川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所です。川越のシンボルとも言えます。「火の見櫓」のような建物です。6時、12時、15時、18時に鐘が鳴ります。
-蔵造りの街並み
蔵造りは、江戸時代の商家の耐火建築です。現存の多くは、明治26年の川越大火以後に建てられたものです。この付近は電柱も撤去され、休日以外も観光客で賑わっています。
-菓子屋横丁
細い路地に、約20軒の手作り菓子屋が軒を並べています。昔なつかしい駄菓子を売っています。中学生の団体が、お菓子を抱えて歩き回っていました。
-川越祭り/川越祭り会館
川越まつりは、川越の総鎮守氷川神社の例大祭でした。華麗な山車が曳廻され、関東三大祭の一つに数えられます。
会館には実物の山車を展示しています。川越まつりの映像上演やお囃子の実演などもあります。
-市立博物館
川越の古代から現代までの資料が豊富に揃っています。
中院
喜多院の中には、色々な建物や、素適な庭園があります。
喜多院へ家光が江戸城から移築した庫裏・書院・客殿です。
その日本庭園です。
屋根の葺き方/檜の皮ではなく、薄く削った板でした。
江戸城との位置関係です。
建物と建物の間をつなぐ渡り廊下です。 *鶯張りになっていました。さすがです。
五百羅漢
成田山別院があります。
成田山別院の小さな池には沢山の亀がいました。
かなり朽ちていましたが、見張りの櫓の跡がありました。
童歌”とおりゃんせ”「ここはどこの細道じゃ」発祥の地です。*三芳野神社
至る所に完備されている案内図です。
本丸です。
川越市役所です。耐震に問題があるそうで、建て直しの話があるようです。
昔、釣具屋だった青銅葺きのビルで営業する蕎麦屋。昼食にいただいた十割そばは美味しかった。
お菓子横丁です。
どういう訳か、プラスチックで作られた動物の大きな置物を、数多く見かけました。
蔵造りの町並みの様子です。
鬼瓦の実物です。
時の鐘です。
埼玉りそな銀行/大正7年(1918)に第八十五銀行本店として建てられたものです。
商店街の一角に沢山の鯉幟が・・・
酒蔵跡にお土産屋さんが出来ていました。
*少し長い文章になりましたが・・・
川越はJR新宿(埼京線+川越線/直通があります)・池袋駅(東上線)・新宿駅(西武線)から1時間強で行ける人口34万人の都市です。知っていた川越は、ローカルな町でしたが・・・先日訪れて、あまりの変わりように驚きました。「以前、放送されたNHKの連続TV小説”つばさ”の影響だよ」と知人は言っていましたが・・・
しかし、見た感じでは、川越市の観光に対する凄まじい情熱が、この変化をもたらしたのだと思いました。案内標識から、特徴を前に出したオーガナイズされた街造り、古い家屋や建築物を大事に残した努力、お祭などのイベントの立ち上げ、100円のレトロバス、案内パンフレットの作成、酒蔵跡をお土産店にしたりのアクションには驚きました。官と民が協力して、人が集まる観光地にしようという気概が見えます。
そもそもこの地は、室町時代に太田道真・道灌親子が城を造ったことから始まっています。江戸時代になると、大老・老中など幕政の重職についた有力譜代大名や、親藩の越前松平家などが居住しました。特に江戸時代中期までは連続して老中職の居城となり、幕府の老中職に就いた大名の数では、徳川各藩中、Topクラスでした。当然、川越は江戸幕府に重んじられていたわけです。城下町川越は、江戸と新河岸川の舟運や川越街道で結ばれ、江戸の北の守りとして発展、「小江戸」と称されるようになったのです。
川越の主な見所:
-喜多院
関東の天台宗の総本山で、徳川家康の関東入国のときに、彼の補佐役であった天海僧正が居住したところです。現在の建物の多くは、寛永16年(1639)に造られたもので、これにより、川越の町の発展と新河岸川の水運の便がもたらされました。喜多院の建物の中の庫裏・書院・客殿は、徳川家光が、江戸城の紅葉山にあった慶長期(1596-1615)の建物を解体し、新河岸川を使って、川越にわざわざ運び、移築したものなのです。このときの客殿の中に、家光誕生の間といわれる12畳半の部屋があります。
-仙波東照宮
喜多院の中に、徳川家康を祭る仙波東照宮があります。これは久能山・日光とならぶ三大東照宮と言われています。
*これらを見ると、江戸幕府が川越を重んじていたことが、よく分かります。
-五百羅漢の石像群
喜多院の境内に(300坪程の区画)、約530体の羅漢が鎮座しています。
-本丸御殿
川越城は明治維新以後解体され、遺構はあまり有りません。本丸御殿は1848年に造営されたもので、玄関部分が残っています。
-中院
中院は、かって星野山無量寿寺仏地院と称し、天長7年(830)に慈覚大師により創設されました。当初の中院は、喜多院の隣にある東照宮のところに有りましたが、寛永10年(1633)東照宮建創の折、現在地に移転されたものです。境内には、川越城主秋元候の家老であった太陽寺一族の墓・島崎藤村の義母/加藤みきの墓などがあります。現在の場所は、移転後、東照宮の南に位置しています。昔は星野山無量寿寺、北院・中院・南院の中心であっただけに、趣のある静かな境内です。本堂前には、みごとな「しだれ桜」があり、開花時には、参詣したいところです。
-時の鐘
川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所です。川越のシンボルとも言えます。「火の見櫓」のような建物です。6時、12時、15時、18時に鐘が鳴ります。
-蔵造りの街並み
蔵造りは、江戸時代の商家の耐火建築です。現存の多くは、明治26年の川越大火以後に建てられたものです。この付近は電柱も撤去され、休日以外も観光客で賑わっています。
-菓子屋横丁
細い路地に、約20軒の手作り菓子屋が軒を並べています。昔なつかしい駄菓子を売っています。中学生の団体が、お菓子を抱えて歩き回っていました。
-川越祭り/川越祭り会館
川越まつりは、川越の総鎮守氷川神社の例大祭でした。華麗な山車が曳廻され、関東三大祭の一つに数えられます。
会館には実物の山車を展示しています。川越まつりの映像上演やお囃子の実演などもあります。
-市立博物館
川越の古代から現代までの資料が豊富に揃っています。
中院
喜多院の中には、色々な建物や、素適な庭園があります。
喜多院へ家光が江戸城から移築した庫裏・書院・客殿です。
その日本庭園です。
屋根の葺き方/檜の皮ではなく、薄く削った板でした。
江戸城との位置関係です。
建物と建物の間をつなぐ渡り廊下です。 *鶯張りになっていました。さすがです。
五百羅漢
成田山別院があります。
成田山別院の小さな池には沢山の亀がいました。
かなり朽ちていましたが、見張りの櫓の跡がありました。
童歌”とおりゃんせ”「ここはどこの細道じゃ」発祥の地です。*三芳野神社
至る所に完備されている案内図です。
本丸です。
川越市役所です。耐震に問題があるそうで、建て直しの話があるようです。
昔、釣具屋だった青銅葺きのビルで営業する蕎麦屋。昼食にいただいた十割そばは美味しかった。
お菓子横丁です。
どういう訳か、プラスチックで作られた動物の大きな置物を、数多く見かけました。
蔵造りの町並みの様子です。
鬼瓦の実物です。
時の鐘です。
埼玉りそな銀行/大正7年(1918)に第八十五銀行本店として建てられたものです。
商店街の一角に沢山の鯉幟が・・・
酒蔵跡にお土産屋さんが出来ていました。