Max Rod Craft Blog

Max Satohの工作に関するブログ

2013 お花見

2013年03月26日 | 人生観

今年は桜の開花が昨年より約1週間ばかり早い。  東京はすでに満開状態だ。

今日(24日)は館山へのご招待があり、館山城でお花見することとなった。  場所は城山公園、館山城の下にある公園です。  一面芝が貼ってあり、老若男女、結構な人でにぎわっている。  

館山城(うもれた古城サイトより引用させていただきました)
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Chiba/Tateyama/

天正六(1578)年、安房岡本城(大房崎付近)に居城していた里見義頼が重臣に築城を命じ、天正八(1580)年には城番を置いたという。その子義康が天正十六(1588)年に大規模な改修を行い、天正十八(1590)年に完成した。この年の小田原の役で、里見義康は三浦半島・鎌倉方面に進軍したが、この行為が豊臣秀吉に「関東惣無事令」違反として、また参陣が遅れたことを咎められ、上総を没収され、安房一国のみを安堵される。慶長五(1600)年の関ヶ原の役では徳川家康の東軍に属して宇都宮を守った功により、鹿島三万石を加増された。この頃には城山周辺に惣構えの工事を行い、鹿島領民が担当した堀は「鹿島堀」と呼ばれた。しかし、慶長十九(1614)年の大久保忠隣事件で、忠隣の孫娘を室にしていた里見忠義は嫌疑をかけられ、結局城の無断改修と召抱えの家臣が多すぎることなどを理由に安房九万二千石を没収、鹿島三万石の替え地として伯耆国倉吉に事実上の配流となった。忠義は倉吉の地で失意のうちに死去し、里見氏は途絶えた。このとき殉死した八人の忠臣の遺骨が密かに館山に持ち帰られ、城山の地に葬られた。滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」はこの八人の忠臣をモデルにしたと言われる。

館山城

母と子

母と子

みんなで・・・


 

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