広島に原爆投下されて3日目にまた長崎に投下するとは酷い話です。
「次は地方都市ではなく東京にすべきだ」。広島に原爆を投下した翌日、
グァム島に駐留する米軍将校らから上がったそんな提言を、首都ワシントンは一蹴する。
終戦の年の四月時点では、東京・横浜・京都・大阪・下関など
実に17もの都市名が浮上していた。
東京や大阪は大規模な空襲を受けたため、京都は歴史的な価値ゆえ、
それぞれ候補地から外される。
新潟はずっと有力とされていたが、基地から遠いうえ、
河川にそって市街地が細長い為、結果的に標的とならなかった。
8月9日、米軍機が向かったのは、諸条件のそろった小倉であったが、
予想外の視界不良で、急きょ長崎へ転じられる。
そんな簡単に非人道的な新兵器を使う必要があったのか、
まるで恣意的に選ばれた被爆地の無念を思う。
(今朝の朝日新聞からです。)
新潟がず~っと狙われていた事はよく聞く事ですが
視界が悪かったから長崎に・・・とは運が悪かったでは済まされません!
昨日から夏休みに入った息子夫婦からお墓参りに連れて行ってもらい、
昼に、くら寿司に入り、順番待ちしてやっと坐って懐かしい回る寿司を堪能する。
子供さんずれの家族さん達が墓地にも、くら寿司にも多かったです!!
無縁墓が積まれて・・・尖った頭の墓石は戦死者です。
参道の脇の蜘蛛の巣
上手く虹色には撮れなかった!