暫くぶりに、またブログを書く時間が出来ました。
唐突ですが、私の好きな漫画家に「弘兼憲史」氏がいる。彼が書いた漫画は大好きで、ほぼ全巻所有している。
その中で、特に好きなのが「島耕作」シリーズだ。
島耕作の人物設定が、1947年9月9日生まれで、早稲田大学卒。1970年初芝電産入社。
私の生年月日は1948年3月21日生まれで、法政大学卒。1970年丸井入社。正に、島耕作と私は
同学年で同じ時代の空気を吸って、今までを生きてきたと言っても良い。
日本の高度成長期の時代から話が始まるのだが、この時代経済が活況を呈していて、私も丸井中野店の
店頭で穴開けに失敗した、ボーリングのボールを販売し、10個あっという間に完売した記憶がある。
生産年齢人口は総人口に対し約70%有った時代、皆生き生きしていた印象がある。
この島耕作シリーズは、まだ続いていて、見返してみると時代の変化がよく分かる。
最近、スポニチの折り込みで復刻版「取締役島耕作」の連載が始まった。
島耕作が50歳台の時の話で、中国上海地区担当役員として、中国に派遣されるところから物語は始まる。
今から25年前の事だ。その中で、現在にも当てはまる事柄を島耕作等を通じて、弘兼憲史は主張している。
例えば、「中国へは、日本企業単独資本での進出は出来ず、必ず中国資本との合弁会社でなければならない。
すると中国人はその技術を習得し、中国人は単独企業として起業し合弁企業でつくる製品より割安で作成できる。」
確かに、その結果が白物と言われる電化製品は、日本が全世界から駆逐された。
また、「日本人は全ての事柄に対して他人を悪き考えない性善説が基本となっている。それが中国では間違いと分かった。
中国の常識では、日本人はいい人で無く欺されやすい間抜けな集団としか受け取っていない。」と厳しく指摘している。
その証拠として、日本は中国に新幹線技術を提供し中国に新幹線を開通してあげたが、その技術は中国が開発したとして、
いけシァアシァアとして他国に輸出している。
弘兼氏は25年前にすでに、中国の本質を見抜いていたんだなー
大したものだ。これからも健康に留意され、まだまだ連載を続けてください。
唐突ですが、私の好きな漫画家に「弘兼憲史」氏がいる。彼が書いた漫画は大好きで、ほぼ全巻所有している。
その中で、特に好きなのが「島耕作」シリーズだ。
島耕作の人物設定が、1947年9月9日生まれで、早稲田大学卒。1970年初芝電産入社。
私の生年月日は1948年3月21日生まれで、法政大学卒。1970年丸井入社。正に、島耕作と私は
同学年で同じ時代の空気を吸って、今までを生きてきたと言っても良い。
日本の高度成長期の時代から話が始まるのだが、この時代経済が活況を呈していて、私も丸井中野店の
店頭で穴開けに失敗した、ボーリングのボールを販売し、10個あっという間に完売した記憶がある。
生産年齢人口は総人口に対し約70%有った時代、皆生き生きしていた印象がある。
この島耕作シリーズは、まだ続いていて、見返してみると時代の変化がよく分かる。
最近、スポニチの折り込みで復刻版「取締役島耕作」の連載が始まった。
島耕作が50歳台の時の話で、中国上海地区担当役員として、中国に派遣されるところから物語は始まる。
今から25年前の事だ。その中で、現在にも当てはまる事柄を島耕作等を通じて、弘兼憲史は主張している。
例えば、「中国へは、日本企業単独資本での進出は出来ず、必ず中国資本との合弁会社でなければならない。
すると中国人はその技術を習得し、中国人は単独企業として起業し合弁企業でつくる製品より割安で作成できる。」
確かに、その結果が白物と言われる電化製品は、日本が全世界から駆逐された。
また、「日本人は全ての事柄に対して他人を悪き考えない性善説が基本となっている。それが中国では間違いと分かった。
中国の常識では、日本人はいい人で無く欺されやすい間抜けな集団としか受け取っていない。」と厳しく指摘している。
その証拠として、日本は中国に新幹線技術を提供し中国に新幹線を開通してあげたが、その技術は中国が開発したとして、
いけシァアシァアとして他国に輸出している。
弘兼氏は25年前にすでに、中国の本質を見抜いていたんだなー
大したものだ。これからも健康に留意され、まだまだ連載を続けてください。