第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

人 ひと ヒト

2006-11-16 16:52:33 | 職場と正面から向き合って(終)
                 「この中に何が映し出されるのだろうか」


この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)








この頃、よく考えることがある。

人のこと。
人って
「人」とも書くし
「ひと」とも書く
「ヒト」もある。
どれが本当の人?ひと?ヒト?なのだろう。

都合のいいときは、「人」はなぁと。言い
都合が悪くなると、「ひと」はみんな。なんて言い方もする。
「ヒト」というのは余り聞いたことが無いけれど、恐らく原始のヒトを指すのではないか。

病気になったひとに健康な人は
病気のひとがそんなことをしてちゃ駄目でしょ。と。
コーヒー飲んじゃダメ!たばこ吸っちゃダメ!と。
病気のひとが病気のひとにも同じことを言う。

「人」「ひと」「ヒト」がいい加減に使われているのだと思う。
それか。こういう場合もあるんじゃないか。
それは、
健康者が「人」
障害(病気)者が「ひと」
それ以下が「ヒト」
そう考えられないだろうか。

そうすると、必然的に上下関係が出来る。
「人」ー「ひと」ー「ヒト」ということになる。
「人」は「ひと」よりも優位であると言いたいのかと思うし、
「ひと」なんだから「人」の言うこと聞けよ。と
やはり、「人」は「ひと」よりも優位で居たいわけだ。

「ヒト」は人にして見れば眼中には無い。
「人」じゃないんだから。
「ひと」ならまだしも。

障害(病気)者の「ひと」はどうであろうか。
その本人同士「ひと」ではあるけれども
「人」に近づきたい「ひと」なのだ。
一方が「ひと」だとすると他方は「ひ人」なのだ。
「ひ人」とは「人」に近い「ひと」のこと
必死になって「人」に近づきたい「ひと」なのだ。
どうあがいても、「人」にはなれないのに。

人 ひと ヒト はいい加減なんだと思う。

もともと、人っていい加減なんだとも思う。

とまり木

2006-11-16 08:46:43 | 職場と正面から向き合って(終)
                       「もう冬です」



この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。

過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。

カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)






自分の毎日は子供の送り迎えが仕事だ。
来年2月まで自分の母親が来てくれている。 バカな息子が心配なんだろう。
妻や子供たちはバアチャンと言って喜んでいる。
こんな平凡だけど、平和な生活はいいなぁと感じる。
家族が一つに集まる「とまり木」のような生活
「とまり木」の木が折れたらと考えてしまう。。。 

職場との闘いが無ければ平凡で居られたのにと。考える日々。
今年4月に職場のNo2と直属上司が替わり、望まなかったけれど。
闘わなければならなくなった 自分のため。家族のため。そして同じ病を持つ人のために

病気になってから職場でお世話になった方を否定され
医師からもう少しで寛解ですねと言われていたのが
病気休暇の使い方がおかしいと休職の辞令

同様な病気を抱える違う職場の状態を見た。
上司から虐めにあって、うつ病になり休職、分限免職になった人
虐めた上司は、その職場で今でも勤務している。
うつ病になり職場の病院に入院、退院したら
大きな仕事をさせられ、また入院した人
休職になっても自分のように放っておかれている人
Etc・・・・
いつしか、自分だけが良ければ良いのだろうか?
と言う気持ちが芽生えてきた。

職場にメンタルケアの態勢を含めた施策がないことに気付いた。
方面で作成した「うつ病のための回復プログラム」が平成17年3月に資料で出された。
でも、ただの資料 
これを上司がやらなくても罰せられない。
メンタルケアをやって貰えない精神の病気を抱えている人や
その家族は、悩み、苦しんでいた。

今年4月からの闘いは、自分の状態を基にしたメンタルケア施策を充実させるものです。
上司が替わるたびにメンタルな病気を持った人間の対応が変わる。環境が変わる。
「うつ病のための回復プログラム」が規則化されば、今までよりも多くの人が救われる。
そう考えた。

少しばかりの正義感で
差し違える覚悟で闘い始めた自分
それが、妻やこどもに迷惑を掛けている現実
闘い抜けるのだろうか? 毎日、自分に問い続ける。
こんなバカな生き方しか出来ない自分
上手く世の中を渡れない自分

それが家族を不幸にしている現実
経済的に苦しくしている現実

職場は手を緩めることなく、何とか潰そうとしている。
潰されたら、また多くの人が泣くことになる。
このような対応をされるのは、自分だけで十分だ。と。心の中で叫んでいる。

職場での「とまり木」が無ければ、いつまでも。何も変わらない。

このブログは過去のことと現在のことを平行して書いているので、
わかりづらいところもあると思います。
病気になってから過去のことを書かないと、なんで闘っているのか。
と言うことが、理解して貰えないと思ったからです。