なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

8歳の一人旅・その3

2005-05-21 15:34:42 | 昭和
祖父は漁に出る時は必ず僕を連れ出した。夜明け前の出港が殆どだった。船は甑島の沖合い帆を揚げて停泊し、祖父の漁が始まる、手釣りでタイやヒラメを釣るのだ。しばらくすると祖父は手馴れた手つきで糸を巻き上げると見事な真鯛が水面に浮かんでくる。片方の手でタモを使い船の水槽に魚を入れる。祖父は僕にも釣り方を教えてくれたが僕の沈めたハリには何の反応もない。祖父はその間も次から次へと魚を吊り上げている。祖父は時々僕にアドバイスする。「T雄 もっとゆっくい ハリを上げ下げせんな」、僕は祖父の言われるままハリをゆっくり上げ下げした時、手に衝撃が来た、子供の力では耐えられない程の力で海の底から引っ張られた。祖父はすぐ魚を取り込むのを手伝ってくれた「T雄 太かぞ!」本日の一番大きな真鯛だった。僕は洞海湾でも魚釣りをした事があるが獲物は10センチほどのハゼが釣れればいい方だった。その真鯛を釣ってから僕は漁のとりこになった。昼ご飯はいつも船の上だ。祖母は大きなアルマイトの弁当箱に白ご飯と梅干だけを入れて二人に持たせていた。おかずは自分で釣った魚を食べろといわんばかりの弁当だった。祖父は吊り上げた魚を刺身にしてくれた、最高に美味しい昼ご飯だった。その後僕の人生であの時洋上で食べた昼ご飯の美味しさを凌ぐご飯を食べた事がない。毎日のように漁に出て僕は魚釣りをした、釣糸の扱いにも慣れて、釣果も増えていった。そんな僕を見て祖父は「わいの体には漁師の血が流れとうが」祖父は満面の笑みを浮かべながら僕を見ていた。魚釣りに飽きたら僕は船の上から海に飛び込んだ、そして、船の周囲を泳いだり素もぐりをしたり海と戯れた。疲れたら、船の上で昼寝をするのだ、心地いい船の揺れの中で僕は夢の中に引き込まれていた。僕は戸畑の事など完全に忘れていた。僕はもう戸畑に帰りたくないと本当に思っていた。このままここに居て祖父の跡をついで本職の漁師になりたいと思うようになった。8歳の子供にそこまで思い込ませるものは何だったのか、それは、「海の魅力そのもの」に他ならない。

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