なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

密葬

2005-11-26 17:26:49 | 昭和
取引先の社長の母堂が亡くなった。実は先週、危篤だと聞いてあわてて礼服を新調したのであるがその礼服に袖を通す必要はなかった。縁故者のみで通夜から葬儀を済ましたのだつまり「密葬」である。僕は密葬について考えた、会葬者の多くは、家族である息子の同僚、仕事の取引先などが中心となってしまう。会葬者の多くは本人の死を悼んで集まるのではない。この人々にとって本人の死は他人事なのである。その結果、肝心の本人の死がぼやけてしまい、何のための葬儀かが見えにくくなってしまうということではないか。少なくとも、そうでしかないと感じる人々が増えてきたことは事実である。生前一面識もない物が親族と悲しみを共有できるわけなどないのだ。「義理を欠かすまい」という理由だけでこれまで参列して来た僕としては今回の密葬がこれからの葬儀の主流になるのではないかと思えた。葬儀社の演出した葬儀は何故かよそよそしいものがある。故人の血縁者、友人、知人が集まって故人を偲び通夜をすごし、皆から最後の別れを言ってもらうのが故人の意思だと思う。そして、密葬をする事で経済的にもお互いに負担のかからないこの密葬が何故か本当に心のこもった葬儀に思えた。今年86歳になった僕の母も「私が死んだら密葬にして、父ちゃんみたいな派手な葬儀はいいよ」といつも言っている。そうだ、父が亡くなった時の葬儀は会葬者の半分以上が取引先の人だった。結婚式も毎年簡素化しているそして葬儀も簡素化されている。新聞の訃報欄にも「近親者のみで密葬を済ませた」という記事が目立つ。冠婚葬祭ビジネス関係者は冷や汗をかいていることだろう。
 

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