昭和27年4月弟が生まれた。難産だったらしいが、とにかくこの世に生を受けることができた。そのとき僕は4歳。父と話して、名前まで決めていた。男だったら「節雄」女だったら「節子」。その前の年、近所の子供達と鹿児島本線の踏み切りを渡り終えない最後の女の子が列車にはねられ死んだ。その子の名前が「節子」だった。父に連れられて母の入院する病室に入った。そこに、赤ちゃんはいなかった。生まれて6時間後に亡くなったからだ。髪の毛がふさふさした顔立ちのいい子だったと父から話を聞いた。今から60年前の出来事だが病室の光景と、火葬場帰りに遺骨を抱いた父と僕が小倉駅前の平和通りをとぼとぼ歩いている姿を何故か鮮明に覚えている。我が家のお墓には○○節雄・夭折当歳と刻まれている。
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