なすがままに

あくせく生きるのはもう沢山、何があってもゆっくり時の流れに身をまかせ、なすがままに生きよう。

再就職

2006-02-17 17:52:00 | 昭和
K無線を退職して約10ヶ月後僕は再就職した。「まだ、32歳の若さだから仕事はいくらでもある」と思っていたが現実は甘くはなかった。4社位面接に行ってやっと決まった会社は工業用の計測機器を販売する会社だった。新日鉄とその関連会社が主な得意先だった。オーデオとは全く別分野だが未知の機械を販売する事は苦にならなかった。流行などに左右されない安定した仕事だとその会社が気に入った。僕は取り扱い商品の資料を家に持ち帰って一生懸命勉強した。そして、新日鉄の現場をメーカーの営業マンと一緒に機器の売り込みに奔走した。溶鉱炉の炉心の温度を測る「熱電対」と記録計一式の契約を落札したのは入社3ヶ月目だった。僕はこの仕事なら定年まで続けられると確信した。給料は安かったがやりがいのある仕事だった。それに、朝9時始業の夕方5時終業そして週休2日は当たり前、夏、冬の長期休暇も魅力だった。連休などK無線の時は正月2日だけだった。休みに関しては破格の待遇だった。その頃、B電器に移籍した元K無線の同僚達は全員離職していた。僕の思っていた通りだった。元同僚達は一旦K無線を退職してわずかばかりの退職金を受け取り、B電器に新入社員として入社する事になった、つまり、給料も高卒の初任給になったのである。子供も一人や二人いる主が高卒初任給で生活が成り立つわけがない。一人辞め二人辞めて、それでも居残っている社員にB電器は遠隔地の転勤を命じたり全く違う職種に配置転換したのである。B電器はK無線の顧客名簿を手にいれオーデイオ販売のノウハウを学び30歳過ぎの元同僚達を全て追放したのである。B電器を離職した元同僚達はそれぞれ自分でオーデイオ店を開業するものが相次いだ、しかし、その結果は悲惨だった。衰退するオーデイオが以前のように売れるはずがなかった。開業して半年から一年以内に開業時の借金も返済出来ず夜逃げしたり暴力団の借金取立てに追われる結果となった。僕が数年前K無線の店長会議で「オーデイオブームは団塊の世代が所帯を持った事でブームが終焉します」と会議で発言した事が現実になったのである。それを予測せずに「音楽がある限りオーデイオも不滅」と思い込んでいた元同僚達の認識不足の結果である。一方の僕にも変化が起こりつつあった。その年の秋も深まった10月のある日社長から呼び出しが掛かった。その話は転勤である。転勤先は千葉県の木更津市、君津製鉄所のあるところである。
しかも、一ヶ月以内に転勤してくれと言われたのである。入社してまだ半年目の転勤話だった。              次回「木更津篇」へ続く