現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

人は何に金を遣うか

2015-04-19 20:03:10 | 虚無僧日記

生命保険の仕事をしていた時、よく「保険はカタチがないので

売るのは難しいて゜しょう」と言われた。なんのなんの、では、

「みなさんは、なんでクーラーを買うんですか、ヒーターを買うんですか?」。

それは、「夏は涼しく、冬は暖かく。つまり、快適という満足を得るために

お金を払って買うのです。

18畳の部屋に四畳半用の小型クーラーでは、ちっとも効き目がなく

不満になるでしょう。逆に四畳半の部屋に18畳用のクーラーでは

冷えすぎ、その上、電気代が かかり過ぎて、困るでしょう。

条件にあった最適のものに、相応のお金を払うのです。

保険も同じです。いざという時のリスクを補填するために入る。

「入っていれば安心」という満足感にお金を払うのです。

 

宝石はどうでしょう。 持っているだけで幸せ、満足という人は、

高くともお買う。 刀が好きな人も、はたから見れば、刀なんか

宝石より役に立ちませんが、持っているだけでと幸せという

満足を得るためにお金を払うのです。

 

さて、そこで宗教。神社への賽銭。お寺への布施。真剣に

ご利益や見返りを求めているわけではないでしょう。

虚無僧に布施するのも、「何か良いことをしてやった」という

満足を得るからです。

 


「虚無僧はやめなさい」??

2015-04-19 13:18:21 | 虚無僧日記

今朝もSさんにご馳走になりました。Sさんは、私が名古屋に来た

20年前からずっと私のファンの一人です。コンサートには必ず、

友達を誘い合わせ、聞きにきてくれます。ありがたい方なのですが、

私の母と同様、「虚無僧はイメージが悪いからやめなさい」と

説教してくれます。「尺八演奏家としてコンサートを開けば、もっと

いろいろな人が聞きにきてくれる」と言います。

なんでも「ハイ」で受ける私。反論はしませんが、尺八のコンサートで

食べていくのは大変なのです。

私の場合は「虚無僧の体験談を語りながら尺八を吹く」というキャラで

あちこちから講演の依頼があるのです。自分でコンサートを開くと、

チラシ、プログラムの作成、ゲストに払う謝礼、集客のための郵送代、

などなどに、時間と手間とお金がかかり、結局赤字です。

人の集まるところ、既存のグループから呼ばれて、何がしかの

交通費をいただく方が、気持ちも楽。そして たいてい ご馳走に

あずかれるから、食うに困らない。

 

世の中の尺八家の多くも、虚無僧で布施をいただくのは、卑しい、

人を騙す所業と、さげすんでいる。虚無僧の私に対しての風当たりは

尺八家からも強い。尺八ケースを提げた尺八家が、私を見ると

侮蔑の眼で見て、通り去って行く。そんな場面に何度か遭遇した。

なんでだろ。


遊女は媚を売り、坊主は経を売る

2015-04-19 12:52:26 | 虚無僧日記

「一休と地獄太夫」

堺の町でも名高い遊女「地獄太夫」。その美貌と色香に

殺されぬものはないと歌われた。その地獄太夫に一休が

会いにいった。

地獄太夫も、高名な一休和尚と知って、一首の歌を詠んだ。

 「山居せば、深山の奥に 住めよかし ここは浮世の 堺ちかきに」

一休はすかさず

 「一休が 身をば身ぼとに思はねば、市も山家も 同じ 住みかよ」

 

地獄太夫は「一休さんほどの高名な坊さんが、このような卑しい身分の

者のところにきてはいけません」と、暗に 諌めたのだが、一休は

なに「遊女は媚を売り、坊主は経を売る。職業に貴賎上下などあるものか」と。

そして、一休が

 「聞きしより 見て美しき 地獄かな」と 上の句を詠むと、

地獄太夫は

 「生きくる人の 落ちざらめやは」と返して、二人で笑ったとか。

 

ま、後世の人の創作話だが、よくできている。

虚無僧が門付けして金を得るのは卑しくて、コンサートを開いて

チケットを買ってもらうのは尊い生業(なりわい)なのか。

私はどちらも同じと思っている。

むしろ、コンサートで高いチケットを買って、聞きにいったら

「つまらなかった」では、詐欺に遭ったも同様ではないか。

虚無僧の吹く尺八の音に感動してくれた方が喜捨をする。

その方がよほど良心的所業と思いますがね。


先生と呼ばれるほどバカじゃない

2015-04-19 09:01:14 | 虚無僧日記

慶応では「先生」と呼ばれるのは「福沢諭吉先生」ただひとり。

他は、大学教授でも 福沢門下、塾生の一人だから「〇〇君」

「〇〇さん」と呼ぶのが慣わし。

 

先日、名古屋市議会の「富田ひでとし前市会議員」も、慶応卒なので

「先生と呼ばないでほしい」としきりに云われるので、みな「富田さん」と

呼ぶ。

私の師匠「堀井小二朗」の名も、「堀井小二朗は・・・」と呼び捨てに

していたら、ある方にとがめられた。「自分の師匠の名を呼び捨てに

するのか」と。それからは「堀井先生が」と「先生」をつけることにした。

 

あれ? 「堀井小二朗」師も慶応卒だから先輩。「先生」と呼んでは

いけないのだが・・・・・。 一般の方には通じるまい。

 

その私、最近、どこへ行っても「先生、先生」と呼ばれる。

喫茶店でもレストランでも、韓国に行っても「先生」と呼ばれた。

なんでだろ。こそばゆい。そんな顔になってきたか。

「先生と呼ばれるほどバカじゃなし」なんてセリフもありましたっけ。

 


薪村では みな 呼び捨て

2015-04-19 04:45:47 | 虚無僧日記

「酬恩庵一休寺」がある京田辺市の「薪(たきぎ)村」では、お互い

呼び捨てだそうだ。「次郎兵衛!」「茂兵衛!」「お加代」と、「さん」を

つけない。薪村では「さん」をつけるのは「一休さん」だけとか。

数ある名僧、高僧の中で「〇〇さん」と「さん」づけされるのは、

「一休さん」と「良寛さん」ぐらい。

 

これとは逆に、会話の中で、有名人の名は呼び捨てに

されている。「小泉が」「阿部が」と、一国の総理大臣でも

呼び捨てだ。芸能人もしかり。「吉永小百合」とか「三船敏郎」

とか。でも「高倉健」は「健さん」と「。人柄か。

尺八界でも「青木鈴慕」「山本邦山」と、呼び捨て。

でも「藤原道山」は、「道山さん」と「さん」づけされる

ことが多い。やはりこれも人柄か。

 

 


四人に一人が65歳以上

2015-04-17 19:53:14 | 虚無僧日記

65歳以上の人口、14歳以下の2倍超 3300万人に(朝日新聞) - goo ニュース

総務省の発表によると、日本の総人口は1億2708万人。

「ひとつになれや」と覚えた。

前年比「21万5千人減」で、4年連続の減少だそうだ。

65歳以上は3300万人で、全体に占める割合は 26%。四人に一人。

75歳以上は12・5%となり、いずれも過去最高。

一方で、14歳以下は12・8%と過去最低。65歳以上は、その倍。

各都道府県が人口減少している中、愛知県は増えているとのこと。

市場ターゲットは若者よりシニア。そう、景気は「リニアとシニア」に

かかっている。

名古屋は、市内を歩いていると 若い女性ばかりが目につく。

若い女性にしか目がいかないからかしらん。店にはいっても、

地下鉄でも若い女性ばかり。いったい若い男性は何をしとるのかね。

会社内で深夜まで働かされとるのじゃ。

 


春姫の父は虚無僧を追っ払った

2015-04-16 06:04:38 | 虚無僧って?

毎年4月に、名古屋で「春姫道中」というイベントが行われる。

今年は4月19日(日)。「春姫」は、紀州藩主「浅野幸長」の娘で、

尾張徳川家の初代藩主「義直」に嫁いできた。

慶長8年(1603年)和歌山城で誕生。元和元年(1615年)

12歳で輿入れ。子供が生まれないまま、寛永14年(1637年)に

35歳で亡くなり、大須の萬松寺に葬られた。

さて、「春姫」の父「浅野幸長」は、豊臣秀吉の室「大政所・寧寧(ねね)」の

甥にあたり、豊臣政権下で五奉行の筆頭にあったが、関が原では家康側に

つき、軍功あって紀州37万石に任ぜられた。

紀州に着任した時、秀吉によって破壊された紀州由良の興国寺を

再建している。


その時、「廃墟となっていた興国寺には たくさんの虚無僧が住み着いていて、

藩主「淺野幸長」の命令で追い払われた」という。

その虚無僧たちは、以前から興国寺と関係があったのか、それとも、

廃墟となった後に住み着いたのかが、問題。

江戸中期以降、京都明暗寺は、紀州「興国寺」と
本寺-末寺の関係を結びます。そして、興国寺の
開山「法燈国師覚心」が唐から「普化宗」を学んで
尺八とともに伝えたという伝説を創作します。

明暗寺が興国寺を本山に指名したのには、それなりの
伝承があったのか、全くの事実無根なのかが議論に
なるところです。

なお、浅野幸長は、春姫が尾張に嫁いだ3年後の
慶長18年(1613年)38歳で亡くなり、子供が無かった
ため、弟の長晟が家督を相続し、翌元和5年(1619年)
安芸国広島藩に転封となった。分家「赤穂藩の
浅野長矩」の祖でもある。

浅野幸長の後、紀州の殿様となるのが、家康の十男
徳川頼宣である。頼宣は、2歳で水戸20万石に封じられ、
慶長14(1609)年には駿河・遠江50万石に。更に、
元和5年(1619年)紀州に転封となり、ここに紀州
徳川家が誕生する。
 



ぼたなんぼろん

2015-04-15 21:45:40 | 虚無僧って?

では、「一字金輪の呪」唱えるとは何ぞ。ネットで検索してヒットした。

「一字金輪」の呪を漢字で書くと

 曩莫 三満多没駄(ノウマクサンマンダ ボタ)
 南(ナン)
 奄(オン)
 歩魯奄(ボロン)

これを108回唱える。
この真言は、その願を早く成就せしめ、別して末世の衆生に大利益を
もたらす真言である。
次に心中の諸願を祈るべし。
信心の人は、娯楽に興じ、酒宴の場にあろうとも、あるいは道を歩き、
また寝床に臥(ふ)していようとも、あるいは悲しくとも、心が乱れて
いようとも、つねに珠を持して数を定めず、間断なく誦(じゅ)すもよし。
真言を高声に唱えれば、他人の悪を滅して善を生ずる」。

とあった。正に、明暗寺が発行している『吹禅行化請願文』の「一吹は
一切の悪を断じ、一吹は一切の善を修せんがため」に通じるではないか。
108回というのも「尺八」に通じる からうれしい。


『茸(くさびら)』という狂言では、山伏が法力によって悪しき者を調伏
するのだが、その時唱える真言が、一字金輪の呪「ボロンボロン」だそうだ。
効き目が無く、山伏はさんざん虚仮(こけ)にされる。

また、別の解説では「即身成仏を願う呪で、後醍醐天皇が修された」とか。
後醍醐天皇となると「南朝」との関連も匂ってくる。



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『徒然草』に 「ぼろ」が

2015-04-15 21:39:50 | 虚無僧って?

鎌倉末期に書かれた吉田兼好の『徒然草』第115段に、
「ぼろ」のことが書かれています。
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宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、

外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と
申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、
こゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。
おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに
殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、
尋ね申すなり」と言ふ。

いろをし「ゆゝしくも尋ねおはしたり。さる事はべりき。こゝにて對面し
たてまつらば、道場をけがし侍るべし。前の河原へ参り合はん。あなかしこ。
わきざしたち、いづ方をも見つぎ給ふな。數多のわづらひにならば、
佛事のさまたげに侍るべし」と言ひ定めて、二人河原に出であひて、
心ゆくばかりに貫きあひて、共に死にけり。


(注釈として)

「ぼろぼろ」といふものは、昔はなかりけるにや。近き世に、
梵論字(ぼろんじ)・梵字・漢字などいひける者、そのはじめなりける
とかや。世を捨てたるに似て、我執ふかく、佛道を願ふに似て、
闘諍(とうじゃう)を事とす。放逸無慚のありさまなれども、
死を輕くして、少しもなづまざる方(かた)のいさぎよく覺えて、
人の語りしまゝに書きつけ侍るなり。

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「宿河原」は、今、多摩川の南、神奈川県側にあり、そこに
『徒然草』の碑が立っているが、最近の研究では「京都近郊」では
ないかとも言われている。

「宿」は「夙」に通じ、死者を葬る場所。室町時代まで、一般庶民の
遺体は河原や山に捨てられた。「ぼろ」は、その死者の弔いをする
集団だった。後の「」に通じる。

『徒然草』では「昔はいなかったが、最近、梵論字、梵字、
漢字などという者が現れた」と言っているので、「ぼろ」の
発祥は「鎌倉末期」ということになる。

「しらおし」と「いろおし」という「ボロ」が殺し合いをしたと
いうのであるから、荒くれ者のようだ。だが「死を恐れず、
いさぎよい」とも 吉田兼好は評価している。


さて、この「梵論」が、室町時代には「暮露」と書かれ、
江戸時代には「虚無僧のルーツ」ではとも書かれてきた。

しかし、室町時代の「暮露」の図は「紙衣に黒の袴で
長い柄の傘」を持っている。尺八は持っていないのである。

そこで、「暮露」は、「放下僧」のように、傘に「一字金輪」の
梵字を書き記し、柄を叩きながら、その呪「のーまくさんまんだ、
ぼたなんぼろん」と唱えて、布施をもらう行者だったのではないか。

「ぼたなんぼろん、ボロン」から「梵字」「梵論」と呼ばれた
のであって、尺八を吹く「虚無僧」とは 別個の集団と、
私は考えるのである。



奥田瑛二『五番町夕霧楼』で尺八を吹く

2015-04-14 21:41:09 | 虚無僧日記

NHK大河ドラマ『花の乱』で「一休」を演じてた奥田瑛二。

水上勉原作の『五番町夕霧楼』で尺八吹いてました。

https://www.youtube.com/watch?v=4Y86klzIhEs

 

若い僧が寺に放火するという『金閣寺』に似た内容。

相手役は松阪慶子。