現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

認知症者の遺棄!?

2014-06-07 17:55:36 | 社会問題
ショッキングなタイトルでごめんなさい。

認知症で徘徊して18年も施設に保護されていたという。
当初は家族も警察に捜索願いを出し、それなりに探す努力は
していた。だが18年は長い。

そこで、新たな問題が提起された。その間の施設での
費用負担について、「家族に請求しない」という温情処置。
「ふ~ん」と思った人も いるのではないか。

老父母が「認知症」になって出て行ってくれたら・・・・。
やっかいものが居なくなって“大助かり”。食費も
医療費もゼロ。年金だけは家族の懐に。そんなよからぬ
思いを描いた人もいるのではないか。おそろしや。

ペットを捨てたら「100万円以下の罰金」だそうだ。
認知症の人が勝手に出て行って、ほっておいたら、罪に
なるのだろうか。

さらに、認知症でなくとも、親が勝手に出ていって、
やがて、病に罹り、のたれ死にしたら、子に責任は
あるのだろうか。(私のことだが、子に罪は無かろう)。

今、私の母は90歳で独り暮らし。身体もだいぶ弱って
きて、自力では買い物にも行けない。自宅で亡くなられたら、
子の私は「扶養義務違反」に問われるそうだ。

「不要物の遺棄」は、猫でも犬でも認められないのだぁぁ。
複雑。

ノラ猫を捨てたら罪か?

2014-06-07 17:24:20 | 社会問題

捨て猫を警察に届けたが、「病気や怪我がなく、
自力で生きていけるような場合は 引き取れない」と
受け取りを拒否され、「逃がしてください」との
言葉に、猫を捨てた人が“逮捕”!?。
「捨ててください」と言った職員も「教唆」の罪で
書類送検とは、なんか納得がいかない。

愛知県の大村知事は「猫は、犬と違って 鎖や紐などで
つないでおく義務がなく、屋外で飼うことが認められている」
として、違法性は無いと明言してくれた。


実は、それがしも、あるご婦人から、「ノラ猫が小屋で
仔猫を産んで困っている」と相談を受けた。
猫大好きに私だが、マンションでは飼えない。保健所でも
「今は引き取らない方針」とのこと。親仔ともども
しばらく餌をやって てなづけてから(苦労の末)捕まえて、
泣く泣く公園に捨ててきた。その時、その公園には、犬猫を
捨てる人が多いらしく、「犬、猫の遺棄は、罰金100万円。
殺したら罰金200万円以下、または2年以下の懲役」と
いう立て看板が大きく掲げてあって、びびった。
まるで「平成・生類哀れみの令」。

さて、私が捨てたのは 飼い猫(ペット)ではない。
「野良猫」を別な場所へ移動させただけ。野良猫は本来、
外で自由に動きまわるものだから、私に管理責任は無い。
さて、私に罪は あるのでしょうか?。



安達太郎山を巡って、二本松と会津の境界争い

2014-06-07 14:39:15 | 虚無僧日記
江戸時代に、「安達太郎山(あだたらやま)」をめぐって、
東の二本松藩と、西の会津藩で国境紛争があった。

当時「安達太郎山(阿多々羅山)」は、二本松側では
「嶽(だけ)」といい、会津では「沼尻山」と呼んでいた。

二本松藩は、早くから「嶽」の硫黄と 温泉に目をつけ、
その開発に力を注いでいた。

当時「陽日(ゆい)温泉」と呼ばれた「嶽(現=岳)温泉」は
奥州一の湯治場として栄えていた。 加えて「鉄(くろがね)小屋」から
沼尻湯本までの温泉水源を発見。湯治客が落とす金や、
温泉の副産物として採れる「湯の華」が、藩の財政を
支えていた。 

ところが、江戸幕府に届けられていた藩境は、安達太郎山の
峰づたい、稜線であったから、会津藩としては、「沼尻側での
硫黄の採掘と温泉の利用は、越境している」と、幕府に訴えた。

寛永2年(1749)、二本松藩と会津藩から藩使が幕府の評定所に
出頭し、裁定が行われた。この時の幕府の裁定が「大岡裁判」
もどきの逸話となって伝えられている。

幕府の役人が、最初「二本松領“嶽”の一件について出でし
会津藩・片桐八左衛門」と呼んだところ、片桐八左衛門は
返事をしなかった。そこで役人は「会津領沼尻山の一件に
出でし、二本松藩○○某」と二本松藩吏の名を呼んだところ、
「はい」と返事をした。そこで、審理官はすかさず、「只今の
返事で、そこもとは、会津領と認めたわけでござるな」と、
会津藩の勝訴となった。

会津藩士は「郡(こおり)奉行・片桐八左衛門朝龍」。実は
当家の先祖である。牧原家は、男子が絶え、片桐八左衛門の
四男「只七直永」を婿養子に迎えて、家系を存続させた。

であるから、片桐八左衛門は血のつながる先祖である。
片桐家は百石だったが、この功により、百石加増され、
二百石となった。禄高が倍になるのは異例のことである。

気の毒なのは 二本松の藩吏「某」。「面目なし」と
腹を切ったという。

短編小説 『安達太郎(あだたら)残照』

2014-06-06 13:07:40 | 虚無僧日記
短編小説(フィクション)です。

『安達太郎(あだたら)残照』

 東北本線で郡山から福島に向かう途中、二本松を過ぎる頃。
祐一郎は左手奥に連なる山々を眺めていた。

 すると「あれが、会津磐梯山かぁ?」と、後ろの席でつぶやく
男の声が聞こえた。ここからは、磐梯山は見えない。
「いや、あれは、安達太郎山(あだだらさん)ですよ。ほら、
『あれが阿多多羅山(あだたらやま)、あの光るのが阿武隈川』
って、高村光太郎の『智恵子抄』に あるじゃないですか」。
と、後ろの人に教えてあげたが、後ろから応答はなかった。
自分の思い込みを否定されてムッとしたのだろうか。『智恵子抄』を
知らなかったのだろうか。昔なら、こうして旅は道ずれ、会話を
楽しんだものだが、きょうび、見ず知らずの人との会話は続かない。
余計なことを言ったと、裕一郎は後悔した。

その安達太郎山を見ながら、祐一郎は 30年も前の思い出に
ひたっていた。 裕一郎は、中学の頃から 毎年 夏と冬の休みには
安達太郎山の西側にある沼尻温泉に 遊びに行っていた。ここは
湯治客専用の宿だった。祐一郎は 身体が悪いわけではない。
名目は絵を描きに。夏、冬それぞれに景色はすばらしかった。

 冬はスキーもできる。ここはスキー場としては古く、日本で
最初にジャンプ台が作られたという由緒あるスキー場だったが、
交通の便が悪く、穴場で、比較的すいていた。

 祐一郎が 毎年、夏冬に訪れるのには、もうひとつ理由が
あった。おめあては、温泉宿の娘 ○○子さんだった。
といっても、初めて会った時の彼女はまだ小学生。彼女は
会津若松にも家があって、夏休みと冬休みに、手伝いに
来ているのだった。祐一郎は 毎年行って何日も逗留して
いたから、もうすっかり家族同様の待遇で、食事も一緒
だった。

 安達太郎山は 標高 1,700m。活火山で江戸時代以前から
硫黄の採掘が行われていた。それが 明治33年(1900年) 、
沼の平で水蒸気爆発が起こり、死者72名という惨劇が起きた。
であるから、30年前は、まだ火口から噴煙が上がっていて、
硫化水素ガスも出、近寄ると危険な場所でもあった。
 
 祐一郎は 絵になる風景を求めて、周辺の山々や沼を散策した。
そこに彼女も着いてきた。2人でスキー場のジャンプ台の上から
見た景色は忘れられない。幾重にも重なる山ひだの向こうに
会津磐梯山が浮き上がっていた。


 そして、祐一郎が高校3年、彼女が中学3年の時。二人で
「安達太郎山に登ってみよう」ということになった。沼尻から
登れば、そうたいしたことはないと、タカをくくっていた。
食料も着替えも 持たずに散歩気分だった。

 ところが、山を甘くみてはいけない。山頂で深い霧に包まれ、
帰る道がわからなくなった。山頂付近は 乳頭山とも呼ばれるように、
がれきの石ばかりが高く積み上げられていたから、山頂に立つと、
360度 どちらに下りたらよいのか 皆目判らなくなって
しまったのだ。磁石も持っていなかった。山頂から蚊取線香のように、
グルグル周りながら、おそるおそる下りた。五里霧中とはこのことか
と思った。霧はやがて 細かい雨になった。林の中を道を求めて
さまよった。当時、携帯もない。やがて陽が暮れる。夜は漆黒の闇で、
足元も見えない。岩陰に身をひそめて朝を待つしかない。二人肩を
寄せ合って時を過ごした。

 朝4時頃から空が白みはじめる。うす明かりの中、どこを
どう通ったか 覚えがないが、ようやく宿に帰りついた。
皆が寝静まっているうちに、もぐりこもうと思っていたが、
彼女の両親も一睡もせずに 夜を明かしたとみえて 憔悴しきって
いた。大目玉はくらわなかったものの、心配と怒りが身体から
みなぎっていた。

 このことがあって、私は気まづくなり、沼尻には行かなく
なった。それから2年後。私は大学生になっていた。5月の
ことだった。新聞の片隅に載ったニュースに足が震えた。

「秋元湖の奥で、若い女性の遺体が発見された」という記事。
「女性は1月から行くへ不明になっていて、5月雪解けを待って
探しにきた父親が発見した。そこは秋元湖にそった林道で
行き止まりの道だから、人が通ることはめったに無い」
とのこと。どうして、そんなところに迷いこんだのだろう。
自殺だったのか。そういえば「死ぬなら雪山がいい。人
知れず、きれいに死ねる」というようなことを私は彼女に
語ったことがあった。

 自殺か事故死か、自殺ならなぜ? 私は一生この責めを負う
ことになる。その年の冬、私は死ぬ覚悟で、秋元湖の湖岸の
雪道を歩いた。彼女が死んだ場所はどこだろうか、ここだろうか。
雪の中を 一晩さまよい歩いたが、自分は死ねなかった。
こうして、30年を悶々と生きた。

 30年経って、福島からレンタカーを借りて、吾妻・磐梯
スカイラインを通って 沼尻温泉に向かった。新たにドライブ
ウェイが出来、人跡未踏の原始林の中を 車で突き抜ける。

はて、あの温泉宿はこの辺だったはずだが。何度も
通った所だが、道がすっかり変わっていて、思いだせない。
途中「横向ロッジ」が廃墟になっていた。そこから辿って、
ここだろうかと思うところに、宿はなかった。跡形もなく
消えていた。

「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川
 あなたと二人静かに燃えて 手を組んでゐる よろこびを、
下を見てゐるあの白い雲に かくすのは止しませう」

彼女と口ずさんだ『智恵子抄』の一節。それをまた口にする。


老後の生活資金

2014-06-05 21:02:29 | 虚無僧日記
老後になって慌てている家計と幸せに暮らしている家計の違いは?(プレジデントオンライン) - goo ニュース


65歳過ぎて 年金をもらう段になって、その受取額に大きな
差があることに気づいても、もう遅い。

まず、厚生年金のサラリーマンと、国民年金の自営業者で、
生涯受け取り年金額が 数千万円違う。

会社勤めでも、非正規従業員と正規社員では、数千万円の
差が出る。

また、長く共働きできた夫婦と、専業主婦の家庭でも数千万円の
差が生まれる。

企業年金がある会社か、ない会社で 差がさらに生まれる。


「退職までにいくら貯めたらいいか」

「退職金2,500万円。年金200万円。退職後の生活費を年間
350万円。家の改修、医療費などの予備費を350万円として、
それでも、生活費の不足分として2,500万円は 必要とのこと。

つまり、退職金と合わせて5,000万円は必要。しかし、これも
80歳までの生活。80歳以降のことは考えていない。

高齢になれば、確実に医療と介護の費用は増える。夫婦で有料老人
ホームに入るとしたら、さらに5,000万は必要。土地持ちの人は
売るしかない。

ひたすら、それを待ち望んでいる不良息子の私です。90歳になる
母は「私の目の黒いうちは・・・・」と執念で生きてます。私の方が
先に逝きそう。

ランボールギーニ付き、一泊 5000万円!?

2014-06-05 05:22:48 | 虚無僧日記
先日、伊勢に行く途中、東名阪道のSAで、イタリアのスーパーカー
「ランボルギーニ」が数十台停まっていた。こぞってツーリングらしい。

他の車のドライバーは遠巻きにして眺めていた。羨望の眼差しも
あれば、唖然、きょとん、シラ~と 反応は さまざま。

一台 数千万円。家一軒分の値段。それを道楽で所有する人が
こんなにもいるということ。それを これみよがしに 大名行列。
貧富の二極化を見せ付けられた。


ところで、こちらはネットでみつけた。ホテル「コンラッド東京」の
超豪華宿泊プラン。スィートルーム3泊で ななななんと 5,000万円。
おみやげに「ランボルギーニ」だそうだ。スイートルームに泊まって、
お帰りは「ランボルギーニで」ということ。

なんでぇぇぇ。誰がぁぁぁぁ。である。

尚、ランボルギーニの受注数が1,500台に達したとのこと。
おめでとうございます。


「珠玉の音に挑んだ男たち」竹内明彦氏

2014-06-04 19:34:54 | 虚無僧日記
「竹内明彦」君の葬儀会場に、なんと「ウィーンフィル」から
弔辞が届けられていました。そして、NHK特集でしょうか、
「珠玉の音に挑んだ男たち」という番組のDVDが流れていました。
それによると、

竹内君が、ヤマハに入社してまだ3年、彼25歳。1970年代のこと。
ウィーンフィルから、トロンボーンなどの古い管楽器の修復の話が
飛び込んできたといいます。当時のヤマハでは、まだ管楽器を
製造する技術もノウハウも持っていなかった。

ヨーロッパの管楽器メーカーに教えを乞いにいっても、「日本人に
教えたら、カンタンに真似して、安く売るからとんでもない」と
門前払い。

まず、管楽器の材料の「真鍮」の板から作らねばならない。
真鍮は「銅Cu と亜鉛Zn 」の合金。その配分からして判らない。
200種類もの試作品を作って、納めたが「音が違う」と。

そこで、古楽器の成分を顕微鏡で調べた結果、鉛などの不純物が
含まれていることが判った。不純物は とり除いた方が良いと
思って、無視していたが、これこそ、音色を決める重要な鍵と
気づく。


この話は、実に興味深い。塩化ビニール(エスロン)や
プラスチックで作った尺八は、均質的で、良く鳴るが、どれも
同じ音でつまらない。やはり、「竹の自然な素材、中も真円でない
ことで、それぞれに個性ある音色が出る」ということと共通する。

さて、彼らの なみなみならぬ努力があって、今日、ヤマハは
ピアノだけでなく、管楽器も世界に冠たる製造技術を誇っている。


ところで、ヤマハの発祥の地は、浜松の虚無僧寺「普大寺」でござる。
明治4年に普化宗が廃止となって、廃寺となっていたところを
借り受けて、山葉虎楠が、手風琴の製造を始めた。一説には、
「普大寺」の本堂は 小学校の分校として利用され、音楽で
使われていたアメリカ製のオルガンが故障したことで、市内の
機械器具修理職人「山葉虎楠」に修理の依頼をした。それで、
山葉虎楠が、寺の庫裡でオルガンの修理をしたのがきっかけとか。

「パイパース」のインタビュー記事が一冊に

2014-06-04 19:14:08 | 虚無僧日記
管楽器の専門誌『PIPERS』で 2008年から2012年にかけて
連載されたインタビュー記事が、一冊の単行本になりました。

『13人の奏者が明かす「和」の管楽器・打楽器の世界』
杉原書店 2,300円+消費税= 2,484 円

尺八では私(一路)と、大阪芸大の「志村哲」氏。
ヤマハで管楽器の設計開発に携わりつつ、三味線、能管、笛、
鼓の奏者でもある「竹内明彦」氏が 企画し、インタビュアーと
なっています。

「和楽器」奏者は、それぞれが深い井戸の中に浸っていて、
他の楽器のことは全く知らない、関心も無かった私ですが、
大変参考になりました。

それぞれ、かなり専門的に深堀りされていて、興味ある人には
ものすごく高度な情報です。

(表紙の説明文)
「邦楽」はとっつきにくく、分かりにくい?
その重い扉を初めて大きく開け放つ異色の書。管楽器専門誌
「パイパーズ」に延べ32回連載された気鋭の奏者13人への
インタビュー集。分かりやすい会話体で奥深い世界を解き明かす。


注文は「パイパース」杉原書店へ直接

または「邦楽ジャーナル」でも取り扱っています。


目次
≪和の管楽器シリーズ≫
中村仁美 篳篥とその魅力
石川高 笙とその魅力
笹本武志 龍笛とその魅力
一噌幸弘 能管とその魅力
鳳聲晴由 篠笛とその魅力
牧原一路 尺八とその魅力
志村哲 尺八とその魅力
竹内明彦 和の管楽器インタビューを終えて

≪和の打楽器・たいこシリーズ≫
福原鶴十郎 邦楽囃子
幸信吾 能楽小鼓
田中佐英 黒御簾のたいこたち
宮丸直子 「天・地の楽」を訪ねて
鷹司尚武 神域に「たいこ」の音を求めて
西谷まゆみ、茶鶏 和太鼓集団「志多ら」
竹内明彦 和の打楽器インタビューを終えて

それぞれの演奏者の視点から語られる楽器と音楽の話は、
事典や研究本にも書かれていない貴重な内容。
洋楽、邦楽の双方に造詣の深い竹内氏だからこそ、
なしえた企画で、読み応えがあります。
是非ご一読ください。

伊勢神宮は本来「歌舞音曲」禁止

2014-06-04 19:06:28 | 虚無僧日記
『13人の奏者が明かす「和」の管楽器・打楽器の世界』
杉原書店 2,300円+消費税= 2,484 円から


「和の管楽器、13人の奏者」となっていますが、なんと
(伊勢)神宮の大宮司「鷹司(たかつかさ)尚武」氏も
載っています。

実は、インタビュアーの竹内明彦氏は、私とは慶応の中等部・
高校の同級。彼は慶応の工学部に進み、そこで「鷹司」氏と
同期の縁。部活では、共に、慶応のオーケストラ「ワグネル」の
メンバーだったそうです。

伊勢神宮のトップ「大宮司」が、ヴァイオリンを弾き、
慶応の工学部卒とは、これまた意外。先日、66歳で
亡くなった「竹内」君の葬儀に「鷹司」氏も参列され、
弔辞を述べられました。

その時、司会の方が読み上げられた肩書きは「神宮大宮司」。
そうです「伊勢神宮」は一般にそう呼んでいるだけで、
正式には「神宮」なのです。

「(伊勢)神宮」には、一般の神社にはある、狛犬、鈴、
そして賽銭箱がない。さらには歌舞音曲、つまり雅楽も
神楽も無かったのだそうです。

現在、伊勢神宮にお参りした時、手前の神楽殿で
1~100万円を納めれば、その額に応じた神楽?
舞楽を演じていただけます。

(神楽?舞楽?雅楽?その違いも判らない私です)
ところがどっこい、これは昭和以降のこと。

そもそも伊勢神宮は、天皇が「国家安泰」を祈るところ。
一般人の参拝祈願(私幣)は禁断だったとは、私も
知りませんでした。(平安時代の話です)

だから神宮正殿前には、今も賽銭箱は無い。ご祈祷も
お払いも していただけない。「玉串料」という用語も
神宮にはない。「天皇(玉)が奉ずるもの」であって、
庶民が使っては いけない用語だそうです。

これでは神宮の維持ができないので、収入源として
「寄付」を募り、神楽殿でお払い、ご祈祷、舞楽の
鑑賞を受け付けているとの由。

そんな伊勢神宮の奥深い話が『パイパーズ』にも
掲載されています。


「鷹司尚武」氏は、美濃岩村の城主、大給松平家の末裔の
「松平」姓で、母が五摂家の一「鷹司信輔」の次女。
それで、尚武氏は 子供の無かった「鷹司平通・和子」夫妻の
養子となり、鷹司家を継いだとの由。そして、伊勢神宮の
大宮司は神官ではなく、摂家の鷹司家が務めることになっ
ているそうです。

「尚武」氏は、学習院高等科から慶應の工学部に進学、
1970年に卒業。同大学院を経て、日本電気株式会社(NEC)に入社。
最後は「NEC通信システム」の社長に就任。2007年6月に退任して、
戦後9人目となる(伊勢)神宮大宮司に就任。という異色の経歴。
昨年は遷宮で度々マスコミにも登場されました。

鷹司氏のお話。
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雅楽は宮中で演じるもので、神宮には無かった。
明治になって、収入源として「神楽殿での神楽の演奏」を
太政官に申請した。しかし、楽器の演奏は、宮内庁の
雅楽師に習わねばならないが、なかなか容易には教えて
くれない。ようやく許しを得て、習いに行っても、
カンタンには上達しない。神宮の専任楽師が自力で
演奏したのは昭和7年。それまで60年の歳月が
かかった。現在、神宮の専任楽師は32人。しかし
遷宮の時の雅楽は、宮内庁雅楽部の人が来て演奏する。

だが この曲は 秘曲で、大宮司といえども聴くことは
できない。

そんな閉鎖的な世界の「雅楽」だが、日本の歴史の中で
「雅楽」を演奏する人口は、現代が最多とのこと。


たしかに、名古屋では「熱田神宮」や「国府宮神社」でも
神職が演奏するし、アマチュアの団体もいくつかあります。
また「天理教」では天理大学で雅楽を教え養成し、
各支部で雅楽の演奏をしています。

といっても、一般人が「雅楽」と思って聞いているのは
「唐楽」と「高麗楽」で、「国振り(日本)」の「御神楽
(みかぐら)」は、宮内庁の賢所(かしこどころ)以外
では聴くことはできないのだそうです。


いやぁ、昔からずっとそうだったかのように思って
いたことが、実は違った、なんてこと、有りすぎ。



尺八は吹くものに非ず

2014-06-04 19:06:06 | 虚無僧日記
『13人の奏者が明かす「和」の管楽器・打楽器の世界』

管楽器の専門誌『PIPERS』で 2008年から2012年にかけて
連載されたインタビュー記事を一冊にまとめたもの。

その中で、目に止まったのは、「笹本武志」のページ。
氏は雅楽の龍笛奏者だが、尺八も吹く。そして正倉院の
古楽器の復元にも努めている。その中で、雅楽でかつて
使われていながら消滅した「雅楽尺八」と「排簫」について。
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「排簫(はいしょう)」は、中南米のパンフルートのような楽器。
長さの違う細い竹管を横に 18本 並べたもの。吹き方は尺八と
同じだが、尺八のように吹いても全く鳴らない。
ビューと息を吹きこんでも全く鳴らない。楽器を鳴らそうと
するとダメ。楽器を鳴らさないように吹く。

どういうことかというと、身体を共鳴体にする。気管から肺に
かけて響かせなければ鳴らない。

「雅楽尺八」もそうで、「音量が小さいので使われなくなった」と
言われるが、決してそうではない。現代の尺八とはちょっと
違った吹き方を会得すると、「遠鳴り」して、篳篥より大きな
音が出る。

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いや、驚きました。私のインタビュー記事と全く同じことを
言ってます。私の記事は、「尺八は吹いたら鳴らない。
吹いちゃダメ。吸う楽器?。そう音を口の中から肺まで
吸い込むようにして響かせる」と。

楽器(竹)を鳴らそうとしても、竹が振動するわけではない。
管の中の空気が振動して音になるのだから、管内を空気が
風のように流れるようではダメ。尺八はフーッと吹くと
息の音(風音)が出て、音が濁り、聞き苦しい。

ということが、私も5、6年ではなく、56年かかって
会得したことです。