現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

クラシックは日本に、邦楽はヨーロッパに

2014-06-04 19:05:42 | 虚無僧日記
『和の管楽器・打楽器の世界』から


今日、西洋のクラシック、オーケストラが盛んな国は、
世界の2割しかないそうです。8割の国では、自国の
音楽を中心にしているとのこと。たしかに、アフリカ、
中近東、インド、東南アジア、中国、南アメリカの国々
では、日常の音楽は、その国の民族音楽でしょう。

学校教育でも、西洋のクラシック音楽を中心に教えて
いるのは、欧米以外では 日本だけのようです。

その成果でしょう。クラシックのコンクールで 日本人が
入賞したというニュースは多いし、オペラでもクラシック
バレーでも日本人の活躍が注目されていますな。

ということは、ヨーロッパではクラシックの人口が激減
して、質が低下しているということですかね?

こんな話もありました。

ウイーンフィルハーモニーのJ氏から浜松市の楽器博物館に
「100年も前のトロンボーンの手書き楽譜を寄贈したい」と
いう申し出があった。館長が「こんな貴重な資料を、どうして
ウィーンの音楽アカデミーに寄贈しないのですか?」と尋ねたら、
「そんなことをしたら二週間で灰にされてしまうでしょう。
私は、日本が古いものを大切に継承する国だということを
知っています」と。

なるほど、西欧でも中国でも古いものは有りがたがらない
ようです。破壊と革新を尊ぶようです。だから、中国の
2000年も前の音楽が、日本には雅楽(唐楽、高麗楽)
として伝えられ、中国では滅びた尺八も、日本で脈々と
生き続けてきたわけですな。

ところが、明治維新と太平洋戦争の敗北を経て、日本人の
気質が欧米化され、古いモノを尊重しなくなった。

その結果、「西洋のクラシック音楽は、日本に残り、逆に、
邦楽は欧米に残る。いやはやビックリ。






「顔も見たくないほど 嫌われるなんて・・・」

2014-06-04 18:25:26 | 虚無僧日記
「顔もみたくない程 あなたに嫌われるなんて とても信じられない」
弘田三枝子『人形の家』(作詞:なかにし礼)でしたっけ。

突然夫に「出ていけッ! 顔も見たくない」と、追い出されたB子さん。
なにごとにも細かく、小うるさい彼。「なんで、突然、出て行けと
云われたのか わからない」という、のほほ~んとした彼女。

あれから10年、彼の方から再三「復縁」の誘い。老後、介護状態に
なった時のためかと 深意を疑う。


「復縁の作法」というサイトがあった。

「復縁」は新しく相手を見つけるより難しい。それは、
マイナスからのスタートなので、まずマイナスを埋めること。

お互い、相手に対する不満、別れた理由を徹底的に話しあい、
欠点を悔い改める努力をするか、改められない欠点を容認して
もらうことを誓いあうことが大切と。


なるほど。そして、こちらは、復縁までのステップ。

STEP1 アドレスも消され、生理的に無理な位嫌われている。

STEP2 同じ場に居合わせることはあるが、目すらあわせてもらえない。
    電話・メールは着信拒否。

STEP3 顔を合わせてもいいが、二人では話すのは無理。

STEP4 電話は出てくれるし、メールの返信もある。

STEP5 たまになら一緒に出掛けたりご飯に誘えば出向いてくれる。

STEP6 また、会ってもいいと言われた。

STEP7 会えば楽しい。やはり一緒にいると落ち着くといってくれる。

STEP8 「やっぱりいいなぁと思った」と言われる。

STEP9 「よりを戻すのもありかも」と話題にでるようになる。

STEP10 「よりを戻してみよう」という話が本格的になりつつある。


う~ん、いろいろ相談を受ける私ですが、自分の場合は 道は遠い。

あの人と 別れた わけは・・・・・?

2014-06-04 17:58:25 | 虚無僧日記
「あの人と 別れたわけは なんでもないの・・・・・・」
中条清の『理由』でしたっけ。

「別れた訳を語る」サイトがありました。

大抵は、相手の浮気。不甲斐ない性格。収入の低さ。
親の問題ですかね。

それ以外では・・・・?

(A子さんの証言)

10歳年上の彼は、最初こそ同世代にない大人っぽさが
イイナと思って付き合ったんですが、どうも精神年齢が
幼いことに段々気が付いてきたのです。
「ボクは暴力は振るわない」と自慢。(あたりまえじゃん)。
それなのに、モノに当たる。すぐキレて物を投げる。
「壁穴あき事件」をきっかけに一気に冷めてポイしました。

ドキッ! 私のことか?。





別れは突然に

2014-06-03 22:28:17 | 虚無僧日記
たまたまかけていたラジオから、短編ドラマが聞こえてきた。
西田敏行と竹下景子が出ている。NHK「新日曜名作座」。
「奥田英朗 家族小説短編集から」。

結婚して8年、何か歯車が噛み合わなくなって、双方合意の上で
別居することになった。妻は家財道具全部、カーペットも
カーテンも箪笥も全部持って出て行った。

(これはありえない)と思うのは私だけ?ごく常識的には
出て行く方が、新居で、なにもかも新しく買い替えて、
新しい生活をすると思うのだが。

ま、そのまま聞いていると、独り残された男は、自分の趣味に
あったカーテン、カーペット、オーディオセットを新しく買い
求めて、自分の城を築いてご満悦。

出て行った妻は、しばらくして、こっそり様子を見にきて、
ショックを受ける。てっきり、散らかし放題、荒れ放題で
「やっぱり おまえが 居なければ」と泣きついてくると
思ったからだ。


ふむふむ。ようするに、

『マイホーム建てたは いいが、主(あるじ)は妻で、
 オレの居場所が無い』

ようやくマイホームを手にしたものの、家具一式、妻の好みに
塗りたくられて、生活態度もあれこれ云われ、寝転ぶことも、
もちろん煙草も許されない。マイホームがサラリーマンの
癒しの場になっていないという現実。

そんな価値観のすれ違いが、積もり積もって、ある日突然
どちらから云うともなく「もう別れましょ」となる。
あぁあぁ せつないのォ。


直木賞作家原作のユーモラスでどこか切ない現代の家族の肖像
【ラジオ第1】2014年5月4日~6月1日 毎週日曜 午後7時20分~
午後7時50分
【出演者】西田敏行 竹下景子

「竹竹の会」 伊那の「かんてんパパ」で

2014-06-03 13:35:46 | 虚無僧日記
長野県内の尺八愛好家が毎年集う「竹竹の会」。
「竹だけ」というのは、箏や三弦など他の楽器は無しの
尺八だけの演奏会。独奏の他、二重奏、四重奏もOK。

今年で21回目。チラシには虚無僧の写真が載り、
副題に「現代の虚無僧」と書かれているが、虚無僧の
古典本曲だけではない。琴古流、都山流の本曲もあり、
山本邦山、牧野由多可、杵屋正邦、野村峰山、吉松隆の
作品、さらには、「グリーン・スリーブス」の四重奏や
演歌・ポビュラーのアレンジもあって、飽きさせず、
聴き応えのある内容だった。

以前は、尺八は 琴・三弦の伴奏、“無くてもいい刺身の
つま”のような存在だったが、近年、堂々とソロ楽器
としての存在を主張している。

みなさん、すばらしく上手い。若い人の技量には圧倒された。
紅一点の若い女性Mさんも、難波竹山の二重奏曲を 
みごとに吹きこなした。
そしてイギリス人のオコナーさんは、古典本曲の『手向』。
日本人以上に“日本の心”を見につけている。

こんな すごいメンバーの中で、私は『竹頼五章』に
挑んだ。はたして、反応はどうだったのだろう。


「かんてんパパ」で 尺八の会 つづき

2014-06-03 13:35:22 | 虚無僧日記
ところで、何ゆえに「かんてんパパ」で?
「かんてんパパ」で知られる「伊那食品工業(株)」は
今、注目度ナンバー1の会社。就職希望者も殺到で
話題になっている。「従業員を大切にする会社」そして、
二宮尊徳の「道徳なき経済は犯罪、経済なき道徳は
寝言である」を経営理念に掲げる。

工場の敷地全体がテーマパークになっていて、多くの
観光客を引き寄せていることだ。その詳細はこちらのブログで。 

その「かんてんパパ」に勤める若いT君が、なんと
尺八を吹く。それも山本邦山の『掛合』をみごとに
吹いた。尺八もすばらしいし、さすが「かんてんパパ」の
社員。あついあつい“おもてなし”を受けた。

そして、翌朝。伊那の「朝起会」に参加。演談で、
「かんてんパパ」での尺八のことを話すと、なんと
会場に「かんてんパパ」で働いている方がおられ、
T君のことでイッキに話しが盛り上がった。

また、今回企画された「Kさんは、同じ町内」という
方もおられ、初めての土地でも、すぐさま親しく
うちとける。尺八のとりもつ縁、そして、全国どこにでも
ある「朝起会」のすばらしさである。

大鹿村の重要文化財「松下家住宅」

2014-06-03 09:37:06 | 虚無僧日記
行き当たりばったりの、無計画な旅をする虚無僧でござる。
大鹿村で「松下家住宅」という標識を見て立ち寄ってみた。

男の人が樹木の手入れをしていた。聞くと、「今は誰も住んで
おらず、管理を委託されている」とのこと。中を案内して
いただいた。

土蔵は「明和9年(1779)」(江戸で大火があった年)。
母(主)屋は「文政3年(1820)」の建築。と云うから
200年以上 経っている。

さて、家のことより「松下家」について、興味が沸いた。
長押(なげし)に薙刀と槍、そして土間に、侍用の馬具の鐙
(あぶみ=足をのせる台)があった。

「松下」といえば、秀吉が日吉丸だった頃、最初に仕えたのが
「松下嘉平治・之網」。「木下藤吉郎」の名は、この「松下
嘉平治」からつけてもらったという。「松下嘉平治」は、代々、
駿府(静岡)の今川氏に仕え、浜松城 (曳馬城)主の旗下として、
頭陀寺城(ずだじじょう)に居住していた。

永禄3年(1560)の「桶狭間の合戦」では、今川義元が討たれて
総崩れとなり、「松下嘉平治」は、「浜松から宮口方面に逃れ
姿を暮らました」と伝えられる。宮口は浜松の北、そこから
秋葉街道を北へ落ち延びれば、大鹿村がある。

年齢的にも、「松下嘉平治」は 天文6年(1537年)の生まれ。
桶狭間の時は23歳。そして、大鹿の初代「松平?(下)伊賀」が
没したのが文禄2年(1593)というから、年代的には符号する。

なにか、小説になりそう。

ただし、松下嘉平治の子「重綱」は、久野(袋井市)、烏山(栃木県)、
二本松(福島県)の城主になり、その子 長綱は、福島県の三春城
3万石の城主になっている。大鹿村に隠棲したのは一族か。





伊那~大鹿~しらびそ峠へ

2014-06-03 09:34:13 | 虚無僧日記
伊那の帰り、会津保科家と縁の深い「高遠」に行き、
そこから152号線を南下して「大鹿村」に行った。

すると、行く先々で、「中央構造線」という標識に出会った。
ウン万年も昔のことには興味のなかった私だが、「ゼロ
磁場の分杭峠」、溝口、北川、安康 の「露頭」を見学し、
壮大な大自然の“気”に触れ、圧倒された。

「中央構造線」は、静岡県水窪から青崩(あおくずれ)峠を
越えて長野県に入り、伊那山地と赤石山脈の間を、
遠山~大鹿~長谷(はせ)村へ北上し、高遠(たかとお)町の
東方から杖突(つえつき)峠を通り、茅野(ちの)市の
諏訪大社前宮付近へ続くとか。

南北に伸びているので、日本列島のど真ん中を縦に二分する
ので「中央」と思っていたが、関東から九州まで1000km
に、横断するものとのこと。


そして、土地の人に勧められ「しらびそ峠」へと向かった。
「しらびそ峠」は、標高1,918m。会津磐梯山(1,819m)より高い。
道は舗装されてはいるが、途中 ところどころ、車一台が
やっとの箇所もあり、カーブが多く、対向車が来たらどうしようと、
緊張。しかし、全く 車に出会わない。延々と、ひたすら山道を登る。

そして 突然「南アルプス」の 3000m級の山々が眼前に現れた。
まだ雪が残る。青い空に白と青の山。その景観は神々しく、
まさに「神々の宿る山」。

日本にも、このような所があるのかと。神と対峙している
ような心になる。ここは“天国か”と思う。

そして帰路、左手は断崖絶壁。千尋の谷。ガードレールもない。
車はころげ落ちるようにスピードが出る。ハンドル操作を
誤ったら、イッキに 1,000m下まで落下。落ちたら最後、
引き揚げるのも不可能。人知れずにあの世行きだ。


途中「御池山・隕石クレーター」の跡というのがあった。
この存在は、平成22年、国際学会誌に論文が掲載され、
「隕石クレーター」として公表されたばかりとのこと。
日本で唯一、国際的に認められている「隕石クレーター」
だそうだ。2~3万年前に 直径45mの隕石が、山腹に激突。
直径 約900mの大穴を開けた。この周辺は、崖が いきりたち、
その岩肌は焼けただれていると。いやはや驚き。
「神がくれぇたぁ」のか。

天国と地獄を味わった一日でござった。走行距離300km。



ゼロ磁場では何が起きる?

2014-06-02 16:59:48 | 虚無僧日記
「ゼロ磁場」は時間によって変化するとのこと。
また、そこで体験することは、個人差があるとのこと。
良いことばかりではないようです。サイトで探してみた。

①「下から変な力が上がってきたと思ったら、一気に
  肥大してドーンと襲ってきた」(女性)

②「頭や目の奥が痛くなった」「両手が痙攣し、千鳥足になり、
  激しい頭痛に襲われた」(男性)

実は、私も頭が痛くなった。ゼロ磁場では「病気が治る」と
いうのだから、これは寝不足のせいかと思った。ところが
こんな報告もあった。

③「三日ほど原因不明の頭痛とけいれん、発熱に襲われた。
  ゼロ磁場は晴れている早朝に行くのが最良らしい。
  夕方になるとネガティブなエネルギーに変わって
  しまうから、という噂」。

そして、このような説明も

【パワースポットの効果について】

分杭峠の波動エネルギーは、万能なものではありません。次の点に
よくご留意ください。

●一番基本的なことは、本人の生き方と行動です。分杭峠だけでなく、
人に恩恵をもたらすプラスの波動は、本人の持つエネルギーを
パワーアップしてくれるものなのです。愛と感謝を大切にせず、
欲や怒り、憎しみ、ねたみといった感情を心に持っている人は、
エネルギーを活用するどころか、自分でダウンさせてしまい、
効果を得ることはできません。

●分杭峠のエネルギーを一度吸収しても、ふだん生活するエネルギー環境
(場所、人、物)によって、エネルギーダウンしたり、再び憑依される
(マイナスエネルギーを吸収してしまう)ことは避けられません。


さて、写真にも異常現象が現れる
人物の周囲に、紫色に光る気体のようなものがまとわりついている。
白い「たまゆら」が写る。

このような写真は、私も、以前に撮って何枚か持っています。


ゼロ 磁場の「分杭峠」

2014-06-02 14:12:25 | 虚無僧日記
伊那の「かんてんパパ・ホール」での「竹竹の会」の帰り、
「分杭峠(ぶんぐいとうげ)」に行ってみた。
「分杭峠」は、長野県伊那市と下伊那郡大鹿村との境界に
位置する標高1,424mの峠。

江戸時代に、高遠藩と幕府の天領との境を示す杭を立てた
ところから「分杭峠」というとのこと。

ここが、近年「ゼロ磁場」として、マスコミに取り上げられ、
人気のパワー・スポットとして、多くの観光客が押し寄せている
そうな。

「ゼロ磁場」というのは、地球のN極とS極が相殺しあって、
磁石の方位が定まらなくなる現象の場所。そこでは、健康に
良い“気”が立ちこめ、“病も治る”という効果が、いくつも
発表されている。ただし、科学的には未だ解明されていない。

さて、大勢の人が押し寄せるため、峠のはるか手前に駐車場が
あり、シャトルバスでの送迎となる。650円。

さて 実は そこでは、私は“気”を感じることができず、
少なからずショックを受けた。“気”を感じる人と 感じられない
人がいることは判っている。私は“感じる”方だと確信して
いたからである。

ただ、「分杭峠」に近づくにつれ 不思議な音を聞いた。
かすかに、サワサワ、シャーシャー、カナカナといった
心地良い音が合わさって、なんとも表現できない、耳障りの
良い音に包まれたのである。この日は、突然の夏日になった
ので、カジカやニィニィ蝉が、まだ弱弱しい声で鳴いて
いるのかとも思った。

このなんともいえぬ爽やかな音は、分杭峠の周辺 100m
の範囲だけで聞かれた。

さて、分杭峠を後にして、そのまま152号線を南へ
大鹿村に向かった。そこの古民家「松下家」に
立ち寄ったところで、「分杭峠より、もっと磁場が
強い所がすぐ近くにあると聞いて、小躍りして行ってみた。
そこは案内の標識も何もないから誰も来ないので、
尺八を吹きながら探索できた。
近づいても何も感じない。「やはり ダメか」と
思いながら 付近を歩き回っていると、手の甲が
サワサワしてきた。やがて、足も肩もピリピリ
感じてきた。

ゼロ磁場のスポットは、かなり局所的なようだ。
すぐ前の家の方が「断層の15cmの隙間から出ている
そうだ」と教えてくれた。

さてさて である。帰宅してネットで検索したら、
観光客が案内される「分杭峠」の河原では、ゼロ磁場は
発生していない。ほんとの「ゼロ磁場は少し離れた所」とあった。

私が感じなかったのは、当然だったのだ。