「赤旗新聞」3/15 日曜版に 小倉佳とその次男の話が掲載されていました。
小倉佳といえば、「シクラメンのかほり」「愛燦燦」「夢芝居」「愛しき日々」「山河」などヒット曲を作詞・作曲。
東大卒で第一勧銀に入行。浜松支店長、本店財務サービス部長を歴任したエリートでありながらの音楽活動。「二足のわらじ」の成功者として私の憧れの人でした。
1993年49歳で銀行を退職。私も保険会社と尺八の二足のわらじで、50歳の誕生日に退職。似ているが雲泥の差。
ちなみに、本名は「神田紘爾(こうじ)」。芸名の「小椋」は、大学3年生の時に法律の勉強で福島県耶麻郡北塩原村の学生村に約2ヶ月間滞在中、周りの住民の姓のほとんどが「小椋」姓であったことにより命名したとのこと。北塩原村は会津盆地の東北から裏磐梯にかけての地区。たしかに「小椋」とは、林業に携わる人(木こり)の姓で会津には多い。私の大学の友達にも会津出身で「小椋」さんがいた。それだけに小椋佳には、より親近感があった。
そして、小椋佳の次男「宏司」さんが、なんと琵琶の製作師。それも、14歳で若年性脳梗塞を患い、植物人間の状態から10年の療養で奇跡の復活。それからの琵琶師と聞いて驚く。小椋佳子自身も胃がんを患っている。
小椋佳の父親も琵琶奏者で、小倉佳自身も 銀行を退職してから 琵琶を習い始めたようだ。実は私も今 琵琶を習い始めたからますます関心がある。
その宏司さんのお嫁さん(神田亜矢子)が、またなんと、琵琶のコンクールで日本一になったと云うから、琵琶一家だ。これから琵琶ブームが起きそう。私も70の手習い。尺八が吹けなくなったら、次は琵琶でござる。