現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

原発と向き合って50年

2013-09-05 03:59:26 | 社会問題
原発誘致から大震災への50年 ともに生きてきた重い現実(産経新聞) - goo ニュース


『福島と原発 誘致から大震災への五十年』福島民報社刊。

昭和40年代に福島第2原発の用地買収を担当した元福島県職員の回想。

集落には「原発反対」の看板が立っていた。地権者は原発を
「恐ろしいもの」と受け止めていた。不安を解消しようにも、
説明のパンフレットさえなかった。そんな中で、原発関連の仕事を
あっせんし、他県の原発視察ツアーなどを通じて理解を訴えた。
反対の声は次第にかき消され、「住民は『原発さまさま』と思うように
なった」。元職員は用地買収が終わったとき、部下にこう言った。
「こんな大仕事をしたんだ。あんたら、威張ってもいいぞ」と。

東電の「中興の祖」と言われる 「木川田一隆」氏は福島県伊達市
梁川町の出身。木川田氏は、当初は“原発反対”だった。原子力を
“悪魔”だとも言っていた。しかし、さしたる産業もない福島県民の
生活を少しでも良くするためとの思いで、木川田氏は、木村守江
元知事と手を結び、原発を故郷に誘致した。

その木川田氏が亡くなってから30年。生家近くの街道沿いには
「東電は放射能汚染物質を持ち帰れ!」と書かれた看板が立てられた。
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私も、昭和20、30年代の福島を良く知っている一人。農家といえば、
藁(わら)葺き屋根の納屋のような家ばかりだった。高校の修学旅行で
関西に旅した時、どの家も立派な瓦葺きなので驚いたものである。

私の父は福島県出身のよしみで木川田氏に目をかけられ、最期は
東電の会津若松電力所長で終わった。故郷に錦を飾った。定年退職後は、
東電が所管する「尾瀬林業」の監査役となった。父の兄は衆議院議員
だったこともあり、県知事の木村守江氏とも親しかった。
そんなわけで、間接的に、この50年間の「福島と原発」を見聞き
してきた。

誘致による地域振興、電力マネーのぶんどり合戦、使用済み核燃料を
めぐる空手形…。この半世紀、私たちは原発とともに生きてきた。

東日本大震災から2年半になろうとしているが、福島第1原発事故は
収束していない。除染は可能なのか、汚染水は止まるのか、廃炉は
いつ実現できるのか、故郷を奪われた住民はどう生きるのか。
いまこの時、解決困難な課題に向き合っている人々がいる。


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