御巣鷹山、日航機墜落事件。あえて「事故」ではなく「事件」と言おう。
事故調査委員会がまとめた報告には多くの疑問が残る。
日航機墜落事件から35年。ことの真相を問う本が何冊か出ている。
当時、自衛隊は、標的機を飛ばして ミサイルで打ち落とす訓練をしていた。
その標的機が、近くを飛んでいた日航123便の尾翼に当たって、尾翼が吹き飛ばされた。
相模湾に落下した尾翼はすぐに発見されテレビでも放映されていたのを私も見た。しかしその後この映像は放映されなくなった。
日航機の墜落現場はすぐ特定されたが、自衛隊はあえて別の場所を公表し、
マスコミや民間の救助隊の到着を遅らせ、その間に、生存者の救助より、
標的機の残骸の回収を優先させた。
さらに、数十名もいた生存者を火炎放射器で焼き殺した。救助に当たろうとした自衛隊員を「命令違反」で射殺した?。
あまりの惨状に耐えきれず自衛隊員が何人か自殺したという報道があった。その報道に私も違和感を覚えた。殺されたのだ。
近くに住む地元民がいち早く現場に駆けつけて、その時、いるはずのない自衛隊員が何かを捜し求めて袋に回収しヘリで飛び去るのを目撃している。
123便に何かの物体が近づいてくることが、乗客によって窓から撮影されていた。その後自衛隊の戦闘機が接近してきたことも撮影されている。
また、横田基地から米軍の飛行機がいち早く墜落現場に到着し、場所を特定し、すぐヘリを飛ばしたが、日本側から「ただちに横田基地に帰還せよ」との命令が出され、救援を阻止されたという。
生存者の落合由美さんの証言。
「やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたのです。
あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それも
すぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。
けれど、ヘリコプターはだんだん、遠くに行ってしまうんです。
このときもまだ何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです」
この後、落合さんは意識を失い、その間に 自衛隊が来て、尾翼に刺さった標的機の残骸を回収した。そしてその現場を見られたかもしれない生存者を口封じのために 無残にも焼き殺した!!!!!!
おそるべし。