「世阿弥の風姿花伝書」
およそ、芸事に携わる者はむろん、客商売する者は すべからく読むべし。
指導者の心得としても、成功の秘訣がすべて書かれている。必携の書。
『風姿花伝』の第一章「年来稽古条々」は、年齢に応じた学び方があるというもの。
幼年期(7歳頃)
能に限らず、古来芸事は6歳から始めよという。だが、世阿弥は6,7歳の子供には、
型に嵌めようとせず、子どもの自発的な動きにまかせ、自由にやらせておけばいい。
師(親)が やかましく、とやかく言って、子どもを縛ると、学ぶことが嫌になったり、
親のコピーを作るだけで、親を超えていく子どもにはなれない。
少年前期(12〜13歳より)
12〜13歳の少年は、顔かたち、姿、声、それだけで美しい。
しかし、それはその時だけの「時分の花」であり、本当の花ではない。
子供の華やかな美しさに惑わされることなく、しっかり稽古することが肝心。
少年後期(17〜18歳より)
この時期に、人生で最初の難関がやってくる。
「まず、声変わりぬれば、第一の花 失せたり」
声変わりがし、にきびも出て、子供の愛らしさが失せる。
この苦境をどう生きるか。「たとえ人が笑おうとも、そんなことは
気にせず、自分の限界の中でムリをせずに声を出して稽古せよ」。
人生の境目で絶望したりあきらめてしまっては、将来何事も大成
しなくなる。、諦めずに努力する姿勢が後に生きてくる。
(受験勉強という難関をどう乗り越えるかということにも当てはまる)
青年期(24〜25)歳の頃
この頃には、声変わりも終わり、声も身体も一人前となり、若々しく上手に見える。
人々に誉めそやされ、名人を相手にしても、新人の珍しさから勝つことさえある。
新しいものは新鮮に映り、それだけで世間にもてはやされる。
そんな時に、本当に名人に勝ったと勘違いし、自分は達人であるかのように
思い込むことを、世阿弥は「あさましきことなり」と、切り捨てる。
「この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すは
このころの事なり」。こういう時こそ、「初心」を忘れず、稽古に励まなければならない。
壮年前期(34〜35歳の頃)
この年頃で天下の評判をとらなければ、「まことの花」とは言えない。
「上がるは三十四−五までのころ、下がるは四十以来なり」
上手になるのは、34〜35歳までである。40を過ぎれば、ただ落ちていくのみである。
だからこの年頃までに、これまでの人生を振り返り、今後の進むべき道を考えることが重要。
(会社でも 34〜35歳で将来が決まる)。
壮年後期(44〜45歳の頃)
頂点を極めた者でも衰えが見え始め、「花」が見えなくなってくる。
この時期でも、まだ花が失せないとしたら、それこそが「まことの花」である。
この時期は、若者に対抗意識を燃やして新しい芸風を真似したりするのは
愚かなこと。自分の得意とすることを磨いて勝負すべき。
そしてこの時期、一番しておかなければならないことは、後継者の育成。
自分が、体力も気力もまだまだと思えるこの時期こそ、自分の芸を次代に
伝える最適な時期。この後は、後継者に花をもたせ、自分は一歩退いて
舞台をつとめよとも。
「我が身を知る心、得たる人の心なるべし=(自分を知り、限界を知る人こそ、名人)」。
老年期(50歳以上)
人生最後の段階。
「麒麟も老いては駄馬に劣ると申すことあり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、
物数は皆みな失せて、善悪 見どころは少なしとも、花はのこるべし」
花も失せた50過ぎの能役者は、何もしないというほかに方法はないのだ。
それが老人の心得だ。それでも、本当に優れた役者であれば、そこに花が残るもの。
真の名人は、ただ立っているだけでも 輝く美しさを放つ。
世阿弥の父、観阿弥は52歳で亡くなる。その直前に演じた舞台姿は、動きも少なく、
控えめな舞なのに、これまでの芸が残花となって表われた。これこそが、世阿弥が
考える「芸術の完成の姿」。 老いても、その老木に花が咲く。
世阿弥が説く7段階の人生は、何かを失っていく、衰えの7つの段階であるとも
いえる。少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消える。何かを
失いながら人は、その人生を登りつめていく。そのプロセスは、失うと同時に、
何か新しいものを得る試練の時。それが世阿弥の説く「初心の時」なのである。
「初心忘るべからず」とは、芸事を始めた時ではなく、40歳50歳60歳、その時々に
初心があることを忘れるな」という意味。60歳の人が、20代の芸に帰れというのではない。
若者と競って、若者ぶった演技をしたとしたら、それは恥ずかしい。60になったら
60歳なりの若者には無い芸を見せよ、というのだ。
『風姿花伝』を書いた時世阿弥は36〜37歳だったということにも驚く。