私は「偈箱(げばこ)」に「明暗」と書いているが、実は、
江戸時代、「明暗」と書いた「偈箱」は無かった。どうやら
昭和18年の映画『虚無僧系図』に「明暗」と書いた
「偈箱」が使われ、一般的になったようである。
しかし、現代「虚無僧研究会」の会員でも、富山県高岡の
「国泰寺」や、紀州由良「興国寺」に関係する人たちは
「国泰寺」とか「興国寺」と書いている。
九州の「西村虚空」の派は「不生不死」など禅語。
「高橋空山」門下の「藤由越山」氏は皇室の裏門の
「五七の桐紋」。江戸時代の錦絵にあり、これが正式と
主張している。それぞれこだわりがある。
ネットでも書かれていたが「明暗」は、実は京都の
「明暗教会」の会員という印でもある。
歴史的にはともかく、私は、普化禅師の偈(げ)「明頭来明頭打・
暗頭来暗頭打」に由来する「明暗」こそ、虚無僧のシンボルとして
ふさわしいと思っている。
江戸時代の錦絵にあるような金襴綾錦の偈箱も作ってみたが、
かえってインパクトがない。黒地に白で「明暗」とあれば、
「どういう意味ですか?」と聞かれることもしばしば。
「よくぞ 聞いてくれました。これは普化というお坊さんの偈で
明にも暗も心の内、明にも暗にもこだわるなという意味です」
なんて説明し、納得してもらっている。
もうひとつ「明にあっては明、暗にあっては暗。臨機応変、
こだわらない」という意味も。
さて「明暗」の読み方だが、「明暗寺(みょうあんじ)」とか、
「明暗協会(みょうあんきょうかい)」そして普化の偈
「明頭来明頭打(みょうとうらいみょうとうだ」に由来すると
なると「みょうあん」が正しいかな。
江戸時代、「明暗」と書いた「偈箱」は無かった。どうやら
昭和18年の映画『虚無僧系図』に「明暗」と書いた
「偈箱」が使われ、一般的になったようである。
しかし、現代「虚無僧研究会」の会員でも、富山県高岡の
「国泰寺」や、紀州由良「興国寺」に関係する人たちは
「国泰寺」とか「興国寺」と書いている。
九州の「西村虚空」の派は「不生不死」など禅語。
「高橋空山」門下の「藤由越山」氏は皇室の裏門の
「五七の桐紋」。江戸時代の錦絵にあり、これが正式と
主張している。それぞれこだわりがある。
ネットでも書かれていたが「明暗」は、実は京都の
「明暗教会」の会員という印でもある。
歴史的にはともかく、私は、普化禅師の偈(げ)「明頭来明頭打・
暗頭来暗頭打」に由来する「明暗」こそ、虚無僧のシンボルとして
ふさわしいと思っている。
江戸時代の錦絵にあるような金襴綾錦の偈箱も作ってみたが、
かえってインパクトがない。黒地に白で「明暗」とあれば、
「どういう意味ですか?」と聞かれることもしばしば。
「よくぞ 聞いてくれました。これは普化というお坊さんの偈で
明にも暗も心の内、明にも暗にもこだわるなという意味です」
なんて説明し、納得してもらっている。
もうひとつ「明にあっては明、暗にあっては暗。臨機応変、
こだわらない」という意味も。
さて「明暗」の読み方だが、「明暗寺(みょうあんじ)」とか、
「明暗協会(みょうあんきょうかい)」そして普化の偈
「明頭来明頭打(みょうとうらいみょうとうだ」に由来すると
なると「みょうあん」が正しいかな。