柴 五郎 1860年生 明治元年(1868)時は8歳。
1873年(明治 6年) 3月 陸軍幼年学校に入校
1877年(明治10年) 5月 陸軍士官学校に進む
1880年(明治12年) 12月 士官学校を卒業
1881年(明治14年) 7月 大阪鎮台山砲兵第4大隊小隊長に就任
1883年(明治16年) 2月 近衛砲兵大隊小隊長
1884年(明治17年) 7月 陸軍中尉、
10月 清国差遣を命ぜられ福州・北京に駐在する。
1889年(明治21年) 11月 陸軍大尉に進級し、近衛砲兵連隊中隊長に進む
1890年(明治23年) 5月 陸軍士官学校教官となる
1894年(明治27年) 11月 陸軍少佐に進級し、大本営参謀。
1894年(明治27年) 4月 日清戦争に出征し、5月に帰還
1900年(明治33年) 3月 清国公使館附を命ぜられ、着任間もなく義和団事件
1919年(大正8年) 陸軍大将
秋山好古 1859年生
1877年(明治10年 )5月 陸軍士官学校(旧制3期生)に入学
1879年(明治12年)12月 陸軍士官学校卒業。陸軍騎兵少尉。
1880年(明治13年) 2月 東京鎮台騎兵第大隊付
7月 東京鎮台騎兵第1大隊小隊長に異動。
1883年(明治16年) 2月 陸軍騎兵中尉。陸軍大学校(1期)へ進む
3月 陸軍士官学校騎兵科教官に異動
1886年(明治19年) 6月 陸軍騎兵大尉。
1887年(明治20年) 7月 サン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の
補導役としてフランスへ渡り、騎兵戦術の習得に努める
1891年(明治24年)12月 帰国。 12月騎兵第1大隊中隊長に異動。
1892年(明治25年) 4月 陸軍士官学校馬術教官に異動。 11月少佐
1894年(明治27年) 日清戦争に従軍。
1904年(明治37年) 日露戦争に騎兵第1旅団長として出征。第二軍に属して
騎兵戦術を駆使しロシア軍と戦う。「日本騎兵の父」とも呼ばれた。
1916年(大正5年) 陸軍大将。
1873年(明治 6年) 3月 陸軍幼年学校に入校
1877年(明治10年) 5月 陸軍士官学校に進む
1880年(明治12年) 12月 士官学校を卒業
1881年(明治14年) 7月 大阪鎮台山砲兵第4大隊小隊長に就任
1883年(明治16年) 2月 近衛砲兵大隊小隊長
1884年(明治17年) 7月 陸軍中尉、
10月 清国差遣を命ぜられ福州・北京に駐在する。
1889年(明治21年) 11月 陸軍大尉に進級し、近衛砲兵連隊中隊長に進む
1890年(明治23年) 5月 陸軍士官学校教官となる
1894年(明治27年) 11月 陸軍少佐に進級し、大本営参謀。
1894年(明治27年) 4月 日清戦争に出征し、5月に帰還
1900年(明治33年) 3月 清国公使館附を命ぜられ、着任間もなく義和団事件
1919年(大正8年) 陸軍大将
秋山好古 1859年生
1877年(明治10年 )5月 陸軍士官学校(旧制3期生)に入学
1879年(明治12年)12月 陸軍士官学校卒業。陸軍騎兵少尉。
1880年(明治13年) 2月 東京鎮台騎兵第大隊付
7月 東京鎮台騎兵第1大隊小隊長に異動。
1883年(明治16年) 2月 陸軍騎兵中尉。陸軍大学校(1期)へ進む
3月 陸軍士官学校騎兵科教官に異動
1886年(明治19年) 6月 陸軍騎兵大尉。
1887年(明治20年) 7月 サン・シール陸軍士官学校に留学した久松定謨の
補導役としてフランスへ渡り、騎兵戦術の習得に努める
1891年(明治24年)12月 帰国。 12月騎兵第1大隊中隊長に異動。
1892年(明治25年) 4月 陸軍士官学校馬術教官に異動。 11月少佐
1894年(明治27年) 日清戦争に従軍。
1904年(明治37年) 日露戦争に騎兵第1旅団長として出征。第二軍に属して
騎兵戦術を駆使しロシア軍と戦う。「日本騎兵の父」とも呼ばれた。
1916年(大正5年) 陸軍大将。