「歴史ミステリー」『安徳帝の墓は四国にあった』。
四国には平家の落人(おちゅうど)伝説が多い。
そのひとつ。
壇ノ浦で二位の尼とともに入水したはずの「安徳帝」は
四国に逃れ、高知県香見市物部の「高板山」に墓がある
とのこと。「高板(こうのいた)山」は「皇の居た山」の隠語。
この物部地区には「小松」姓が多い。「小松」は「小松殿」と
呼ばれた「平重盛」に関連する一族ではないかと。
なるほど、衣冠束帯を着るそれらしき人々、京ことば、
石垣、巨石が散在する古墳跡。
決定的証拠として 二つの「手鏡」が紹介された。
だが、その鏡には「藤原光長」「藤原光政」と作者の
銘がはいっている。今はネットでなんでも出てくる。
検索してみたら、なんと江戸時代の「鏡製作師」でした。
お値段は5、6千~1万円。ザンネン。
江戸時代には、歴史を捏造することが大流行。さまざまな
史料は大抵 江戸時代のもの。歴史家を惑わすことかぎりなし。
さて、私としては「物部」といういう地名が気になる。
ネットで調べてみると、この地は弥生時代から農耕が
行われており、古墳も多数あって、平安時代には
「紀貫之」の所領だったとのこと。
四国には平家の落人(おちゅうど)伝説が多い。
そのひとつ。
壇ノ浦で二位の尼とともに入水したはずの「安徳帝」は
四国に逃れ、高知県香見市物部の「高板山」に墓がある
とのこと。「高板(こうのいた)山」は「皇の居た山」の隠語。
この物部地区には「小松」姓が多い。「小松」は「小松殿」と
呼ばれた「平重盛」に関連する一族ではないかと。
なるほど、衣冠束帯を着るそれらしき人々、京ことば、
石垣、巨石が散在する古墳跡。
決定的証拠として 二つの「手鏡」が紹介された。
だが、その鏡には「藤原光長」「藤原光政」と作者の
銘がはいっている。今はネットでなんでも出てくる。
検索してみたら、なんと江戸時代の「鏡製作師」でした。
お値段は5、6千~1万円。ザンネン。
江戸時代には、歴史を捏造することが大流行。さまざまな
史料は大抵 江戸時代のもの。歴史家を惑わすことかぎりなし。
さて、私としては「物部」といういう地名が気になる。
ネットで調べてみると、この地は弥生時代から農耕が
行われており、古墳も多数あって、平安時代には
「紀貫之」の所領だったとのこと。