現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八の流派 明暗系

2021-05-24 22:02:38 | 虚無僧日記

明暗流というのは、虚無僧尺八の曲を愛好する人たちの総称。もとより江戸時代の虚無僧が吹いた曲はテープ録音が残っているわけではなく、そのまま伝承されることは考えられない。明治、大正、昭和と虚無僧本曲の名人が次々と現れ、それぞれ独自の奏法を確立した。それによって、その継承者たることを自認する団体がいくつも設立されている。従って、明暗流とはいっても都山流のように宗家がいるわけではない、各団体の集合体。総称である。

京都東福寺の子院善慧院に寄宿して明暗寺が法人登記されているが、ここに虚無僧が常駐しているわけではない。ここに登録されている会員は200名ほどいるが、吹く曲はまちまち、同名異曲。明暗流の主流は実は浜松の普大寺の流れの名古屋の西園流が底層になっている。それに対して、近年、酒井竹保一派を中心にして、京都明暗寺の曲を復活する動きが出てきている。虚無僧本曲として世界的に愛好されているのが海童道の曲だが、伝統的虚無僧曲ではなく、海童道のオリジナルである。

明暗真法(じんぽう) : 京都明暗寺で虚無僧本曲を伝えていた尾崎真龍(しんりょう)の系統。明治初めの普化宗廃止で明暗寺は廃絶。その弟子に勝浦正山がいた。ながらく途絶えていたが、いかなる根拠に基づくのか、酒井松道の竹保流を中心に復元が進められている。

竹保流 : 藤田松調(近藤宗悦の弟子、大正はじめに松調流を創始)の門下だった初代酒井竹保(竹翁)が、師弟対立して大正6年に創始。旧字譜(フホウ譜)を使用し、流祖作曲の新本曲と共に、明暗系の古典本曲を伝承する。酒井竹保は勝浦正山やその弟子の源雲海にも学んでいる。福本卓道は二代目酒井竹保に学ぶ。現在は三代目宗家の酒井松道

浜松普大寺系 : 普大寺の最後の住職が玉堂梅山。門弟に堀内是空がいた。

西園(せいえん)玉堂梅山に学んだ名古屋の兼友西園(かねともせいえん)の系統。普大寺の遺曲11曲を伝える。5世の小原西園。名古屋の岩田律園は、父の岩田祥園から西園流を学ぶと共に、谷北無竹と浦本浙潮からも学んでいる。

明暗対山流 : 西園流の兼友西園の門下の樋口対山(本名は鈴木孝道)の系統。樋口対山は滝川中和(一閑流)や荒木竹翁(琴古流)や尾崎真龍(真法流)らにも古典本曲を学んで、明治4年の普化宗廃止で取り潰された明暗寺を京都東福寺善惠院に明治21年に明暗教会として再興し、35世看首となった。明暗教会は本曲を32曲とする。36世看守は対山の弟子の小林紫山。昭和25年には、紫山と同門の37世看守谷北無竹(琅庵)が(宗)普化正宗明暗寺を設立。昭和36年には、紫山の弟子で無竹にも学んだ38世の小泉止山(了庵)らが明暗導主会を設立。全国各地の明暗尺八分道場には免許皆伝導主がいる。39世の福本閑斎(虚庵)は止山の弟子。40世の芳村宗心(普庵)(明暗忘竹会、現会長は酒井玄心)は紫山の弟子の明珍宗山の弟子。現在の41世看首の児島一吹(抱庵)は37世の谷北無竹の弟子で、38世の小泉止山にも学ぶ。
なお、富森虚山は小林紫山の弟子。明珍宗敏は明珍宗山の弟子。小澤一山は小泉止山と児島一吹の弟子。高橋呂竹は谷北無竹とその弟子の佐藤如風の門下で、山上月山、後藤桃水、磯譲山にも学ぶ。

根笹派錦風流 : 弘前に伝わる普化尺八の一会派。本曲として津軽十調子の他、外曲の3曲を伝える。乳井月影(にゅういげつえい)が有名で、その弟子に永野旭影(武士方風)と折登如月(町方風)がいた。「コミ吹き」と「チギリ手」という独特の技法がある。

布袋軒派 : 仙台の布袋軒の系統。最後の住職は13代看主の長谷川東学で、その弟子に小野寺源吉がいた。長谷川東学の先輩格の虚無僧に黒沢照雲がおり、小梨錦水はその弟子。浦本浙潮(政三郎)(東京慈恵会医科大学教授、日本民謡協会初代理事長)は小梨錦水と宮川如山らに本曲を学んだ。後藤桃水(日本民謡協会初代顧問、民謡の父と称される)は小梨錦水と勝浦正山(真法流)に本曲を学んだ。

越後明暗寺派 : 開山は加賀の武将の菅原吉輝、後の堀田隼人で的翁文仲と号す。代々堀田姓を名乗り、最後の住職は15代堀田侍川(龍志)。その弟子の斎川梅翁(本名は藤本梅吉)が、伝承曲の「三谷(下田三谷、越後三谷とも)」と「鈴慕(下田鈴慕、越後鈴慕とも)」を伝え、さらに梅翁は小山峰嘯に伝えた。また神保政之助が、師の堀田侍川と共同で作曲したと伝わるのが「奥州三谷(通称、神保三谷)」で、浦山義山と引地(ひきち。)古山に伝承。

越中国泰寺派 : 富山県高岡市の古刹国泰寺は、紀州由良興国寺の末寺という縁で、富山、新潟の古典尺八愛好家によって、一派が形成され、毎年6月の開山忌に集まり、虚無僧姿で読経に合わせて尺八を吹く。

博多一朝軒 : 寛永年間に一応(一翁)が開山。明治4年の廃宗の際の看主は17代魯伯(磯姓)。その後も法燈は18世伯堂、19世施行(磯敬助)と続いたが、財政的な苦境に陥り所在を転々とした。昭和26年に津野田露月らの尽力で新築家屋を購入して一朝軒が再興され、施行の娘の光代が津野田露月について尺八修行をして20世一光となった。現在は光代の夫の磯譲山が21世を継承。

明暗露月派 : 津野田露月は樋口対山、勝浦正山、浦山義山に学んで熊本に居住した。

普化宗谷派 宮川如山の弟子谷狂竹の信奉者のグループ。宮川如山は初め勝浦正山(真法流)についたが後に樋口対山に入門し、さらに長谷川東学にも学んだ。孟宗竹の三尺六寸管を吹いた熊本の西村虚空は、谷狂竹の弟子で2世宗家。

千笛会高橋空山は宮川如山に学ぶと共に、勝浦正山、小林紫山らからも学んだ。高橋空山の弟子の藤由越山が、千笛会を主催。

全国古典尺八楽普及会 : 初代川瀬順輔門下の竹内史光は、師の紹介を得て、谷北無竹より対山流本曲を伝授され、折登如月乳井建道から根笹派錦風流小山峰嘯から越後明暗を学んだ。また大阪の廣沢静輝からも古典本曲を学んだ。中部本曲同好会を13年間開催していたが、平成14年の29回で幕を下ろした。

古典尺八研究会桜井無笛は中村掬風(きくふう)から一朝軒の曲を伝承され、谷北無竹、小林紫山、津野田露風らからも明暗本曲を修得。門田笛空(もんでんてきくう)は琴古流を始めた後で桜井無笛に入門し、会を引き継ぐ。

明暗蒼龍会岡本竹外の会派。現会長は高橋峰外三橋貴風徳山隆は岡本竹外から学んでいる。

海童道(わだずみどう) : 道祖は元普化宗の管長の海童(田中)普門。明治44年福岡生まれ。「博多一朝軒の出と自称しているが、一朝軒の磯一光は「田中普門なんか知りません」と否認している。何かトラブルがあったようだ。独立して海童道の宗祖となる。呼吸法と音の関係を追求して独自の境地を開拓。横山勝也の師匠でも知られる。海童道祖は中村掬風らから学ぶと共に、浦本浙潮と九州系と奥州系の本曲を交換した。

国際尺八研修館 : 昭和63に設立。横山勝也氏を館長とする団体。横山勝也は横山篁村、横山蘭畝に学んだ後に、福田蘭憧、海童道祖に師事。

直簫流尺八 : 宗家は横山勝也と二代目酒井竹保に古典尺八を学んだ田嶋直士



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・如道会 : 神(じん)如道は弘前市に生まれ、根笹派錦風流の折登如月の弟子。琴古流を学ぶと共に、尺八本曲研究のため数十年にわたって全国を行脚して、各地に伝わる本曲の採集に努め、普化尺八を中心とする尺八古典本曲を集大成して独自の芸風を立てた。現在の会主は神如正。

・百銭会 : 神如道の弟子だった父から幼少より古典本曲を学んだ善養寺惠介(ぜんようじけいすけ)が主催。善養寺惠介は、東京芸大入学後に山口五郎にも師事。

・虚竹禅師奉讃会 : このページに奉賛会の設立の経緯が掲載されています。奉賛会主催で超流派の「尺八本曲全国献奏大会」を6月(各地)と11月(京都東福寺内明暗寺の本部)の第一日曜に開催。

・虚無僧研究会 : 尺八古典本曲の研究会。本部は東京新宿区法身寺。住職は小菅大徹。「虚無僧追善供養尺八献奏大会」を本部及び虚無僧寺に因縁の場所で開催。

・尺八本曲東海連盟 : 小原西園が中心となり、流派を超えた尺八本曲大会が毎年3月下旬に名古屋にて開催。

・琴古流協会 : 江戸期に、全国の普化宗の寺院や軒に伝わる古典本曲を集大成した黒沢琴古の流れを継承する諸会派の協会。黒沢琴古が指南役を勤めた務めた下総一月寺と武蔵鈴法寺のいわゆる両本寺系の尺八古典本曲36曲の他、三曲尺八などを伝える。上原六四郎(虚洞)が考案し、初代川瀬順輔が普及させた点符式記譜法が使われる。

・竹友社 : 琴古流の会派。明治27年に初代川瀬順輔(荒木古童二世(竹翁)の弟子)が創立。現在の宗家は三代目川瀬順輔。琴古流楽譜を扱っています。

・竹盟社 : 琴古流の会派。大正10年に山口四郎(初代川瀬順輔の弟子)を中心として創設。四郎の五男の山口五郎は平成4年に人間国宝に認定されたが、平成11年に逝去。

・日本竹道学館 : 琴古流の会派。昭和3年に、初代兼安洞童(初代川瀬順輔の孫弟子)を館長として開設。現在の三代目館長の小野正童は小野正志の弟。楽譜も扱っています。

・美風会 : 琴古流の会派。昭和8年に、吉田晴風(初代川瀬順輔門下の鳥井虚無洞の弟子)の門下の佐藤晴美が創始。(「みそたねくんの目次」に美風会の解説があります。)

・鈴慕会 : 琴古流の会派。初代青木鈴慕(初代川瀬順輔の弟子)が創始。現在の代表は人間国宝(平成11年に認定)の二代目青木鈴慕。

・童門会 : 琴古流の会派。昭和42年に人間国宝となった納富寿童(荒木古童三世の弟子で、昭和51年逝去)の系統。

・宗悦流 : 近藤宗悦は、40歳ごろに出身地の長崎を出て京都明暗寺に入り、尾崎真龍に弟子入りして明暗真法流を学び、また三曲尺八の手付けを行って関西外曲の素地を作った。尺八を水平近くに構えるためチャルメラ宗悦と異名を取ったが、音は素晴らしく大きかったという。宗悦流は大正中頃まで関西尺八界に君臨した。現在は廃絶。

・都山流 : 初代中尾都山が19歳の明治29年に大阪で創始。中尾都山は、祖父の寺内大検校の合奏相手だった近藤宗悦の尺八を学んで独学で合奏技術を身につけ、また近藤宗悦の弟子の小森隆吉に明暗尺八を習って虚無僧修行も行ったという。都山流は、近代的な記譜法と作曲理論、楽曲性を重視した自作本曲、独自の三曲尺八や新曲、教授法と組織化などに新機軸的を打ち出して、尺八界最大の全国的流派に成長させた。しかし、初代の子の二代中尾都山(稀一)が早世の後、三代目襲名に際して内紛が生じ、それがきっかっけとなって(財)都山流尺八楽会、新都山流、(社)日本尺八連盟の3派に分裂した。

・(財)都山流尺八楽会 : 都山流の会派。昭和40年に認可。二代中尾都山の母レンが三代中尾都山を襲名。現宗家の四代目中尾都山は初代都山の孫。公刊楽譜を扱う。平成14年に山本邦山が人間国宝に認定。本曲は、流祖やその弟子たちが作曲した自流のものを対象とする。

・新都山流 : 都山流の会派。昭和50年に宗家を中尾美都子(二代中尾都山の長女)、会長を島原帆山として都山流尺八協会が設立。昭和54年に都山流日本尺八連盟、昭和55年に新都山流日本尺八連盟と名称変更した後、昭和56年に宗家中尾都山(美都子)を中心に新都山流の体制が確立した。中尾美津子も本曲を作曲している。

・(社)日本尺八連盟 : 都山流の会派。昭和56年に結成されて島原帆山が会長に就任。帆山は昭和57年に人間国宝に認定されたが、平成13年に逝去。自流本曲だけでなく、古典本曲を含めた全ジャンルの尺八楽を演奏対象とする。

・晃山流 : 平塚晃山が都山流から独立して創始。

・洋山流 : 勝田洋山が都山流から独立して創始。

・上田流 : 初代中尾都山の弟子の上田佳山は、14歳で入門して20歳ごろの明治45年には流内の最高職格まで登りつめた。しかし、公認を得ないまま自作の新曲を公演したことで批判を浴び、大正6年に破門、独立して上田芳憧と号した。大正10年に上田流と命名。現宗家は芳憧の長男の上田佳道。記譜法や奏法は都山流を継承し、芳憧作曲の新本曲の他、古典本曲も演奏対象とする。

・洋山流 : 服部洋山が上田流から独立して創始。

・村治流 : 村治虚憧が上田流から独立して創始。


尺八の流派 都山系

2021-05-24 21:13:00 | 虚無僧日記

宗悦流 近藤宗悦は、40歳ごろに出身地の長崎を出て京都明暗寺に入り、尾崎真龍に弟子入りして明暗真法流を学び、また三曲尺八の手付けを行って関西外曲の素地を作った。尺八を水平近くに構え、チャルメラのような大きな音と、転がす奏法が特徴で、チャルメラ宗悦と異名を取った。大正中頃まで関西尺八界に君臨したが、現在は廃絶。


都山流 : 初代中尾都山は、明治9年10月5日に枚方の油問屋の次男として生まれた。祖父の寺内大検校の合奏相手だった近藤宗悦から尺八のてほどきを受け、独学で箏三弦との合奏技術を身につけ、また近藤宗悦の弟子の小森隆吉に明暗尺八を習って虚無僧修行も行った。そして19歳の明治29年に大阪で開軒。

近代的な記譜法と作曲理論、楽曲性を重視した尺八本曲を数多く作曲、地歌・筝曲の尺八譜や新曲譜の出版、教授法と組織化などに新機軸的を打ち出して、一代で満州から台湾まで門弟3万人という尺八界最大の流派を築いた。

昭和31年、宮城道雄の後を追うようにして80歳で亡くなると、妾レンとの間に生まれた稀一が二代目を継承した。稀一は都山69歳の時の子。甘やかされて育ち、尺八から逃げ、酒に溺れ肝硬変を患った。そして昭和49年、30歳の若さで他界する。苦しみもがき壮絶な最後だったという。

二代目の早世により、三代目の椅子を巡って大騒動が起きた。稀一の遺児はまだ7歳の美都子。都山流の規定では世襲でこの美都子が三代目となるところだったが、門弟のナンバー1で常務理事の高平瞠山が、稀一の母(初代の妾)と組んで、稀一が亡くなる直前、理事会を招集して規定から「世襲制」の条文を削除し、母親のレンを三代目に決めた。

高平艟山は金の亡者で、レンを宗家にして、自分が理事長に就任すると、報酬2000万を勝手に決めた。昭和49年の2000万は大企業の社長並みである。都山流会費の私的流用、門弟の昇格試験などに公然と賄賂をとるなど悪辣で評判が悪かった。そして高平艟山の不正に不満を抱く幹部連中を都山流から追放した。

そこで追放された島原帆山たちの一派が、稀一の遺児美都子を宗家にして「都山流協会」を立ち上げた。つまり姑レンが「都山流楽会」。そして嫁(稀一の妻和子)側が「都山流協会」となった。

楽会」本部は 京都市北区紫野北舟岡町12 

協会(現新都山流)」は、京都市北区紫野北舟岡町27-170 目と鼻の先で対抗している。

 レンが亡くなると、楽会は初代都山の本妻の孫「中尾正幸」を4代目宗家に迎えた。

 レンの孫娘である美都子の都山流協会は、その後島原帆山が脱会して昭和54年に都山流日本尺八連盟、昭和55年に新都山流日本尺八連盟と名称変更。昭和56年 中尾美都子宗家となって新都山流を建てた。

 

というわけで、現在は次の三派に別かれている。

「都山流尺八楽会」宗家は初代都山の本妻の孫「正幸」。平成14年に山本邦山が人間国宝に。

「新都山流」 宗家は初代都山の妾のひ孫「美都子」

「日本尺八連盟」 島原帆山は昭和57年に人間国宝に認定され、平成13年に逝去。 現在の宗家は坂田誠山。

 

その他都山流から脱退して樹立された流派

晃山流 平塚晃山が都山流から独立して創始。

洋山流 勝田洋山が都山流から独立して創始。

上田流 : 初代中尾都山の弟子の上田佳山は、14歳で入門して20歳ごろの明治45年には流内の最高職格まで登りつめた。しかし、自作の新曲を公演したことで批判を浴び、大正6年に破門、独立して上田芳憧と号した。大正10年に上田流と命名。2代宗家は芳憧の長男の上田佳道。記譜法や奏法は都山流を継承し、芳憧作曲の新本曲の他、明暗系の古典本曲も演奏対象とす。平成16年佳憧死去により、弟の芳誠が3代目を継承。