12月にはいってもなんの連絡も無く、本当に
あるのか 半信半疑だったロシア公演。まったく
行ってみなければ判らない状況。
日本でも、最近受ける仕事は「いつ、何時に
どこどこへ」という電話だけで、行ってみなければ
わからない仕事が多くなってきた。“お布施
(報酬)”も いただけるのか、いくらいただけるのかも、
終わってみなければ判らない。無償の仕事の方が
多くなってきた。
行ってみると「独居老人の食事会」でボランティア
だったり、「○○の大会」だったり。車椅子
状態の人が150人もいて、マイクなしでは
声も通らず、いや 通っても反応の無い人ばかり
だったり。
その時、その場で、何をどう吹くかの判断を
迫られる。
そんな中、エディさんから 手紙で仕事の依頼。
この方はアメリカ人。いつも きちんと「契約書」を
取り交わす。ギャラの支払い条件、天候や事故などで
演奏ができなかった時の対処まで、契約条項に
盛り込まれている。契約は3回目。
初めての時は、行って驚いた。キリスト教系の
新興団体。ここで虚無僧の話をして良いのか、
戸惑った。意外にも大好評で、三度目の依頼が
きたのだ。
そして今日はもう一件。箏のS先生から電話があり、
「○○寺から奉納演奏を頼まれた」とのこと。
愛知県では、名の知れた有名なお寺であり、そこで
奉納演奏をさせていただけるなら、こんなうれしい
ことはない。
喜んで引き受け、打ち合わせに S先生宅を訪問。
「昼の食事を用意しておきますから」との言葉に
11時に伺ったが・・・・。 お箏の用意も食事の準備も
されていない。「下合わせしましょう」と促して、
箏を出して、私が柱(じ)を立てて、調絃まで
してさしあげて、『六段』を合わせたが、とても
まともには演奏できない。何度が合わせた後で
「ところで今日は、なんのために合奏ですか」と。
私の方が???
御歳84歳で一人暮らし。痴呆が進行していると
気がついた。はたして奉納演奏はあるのだろうか、
あやしくなってきた。当日、お箏を担いで行っても
門前払いかもしれない。それはそれで“良し”と
しよう。これからは こうした方々のお相手も
ボランティア(仕事)になってきそう。
虚無僧は、明にも暗にも対処。その場その時に
誠意をもって生きる修行と心得る。
あるのか 半信半疑だったロシア公演。まったく
行ってみなければ判らない状況。
日本でも、最近受ける仕事は「いつ、何時に
どこどこへ」という電話だけで、行ってみなければ
わからない仕事が多くなってきた。“お布施
(報酬)”も いただけるのか、いくらいただけるのかも、
終わってみなければ判らない。無償の仕事の方が
多くなってきた。
行ってみると「独居老人の食事会」でボランティア
だったり、「○○の大会」だったり。車椅子
状態の人が150人もいて、マイクなしでは
声も通らず、いや 通っても反応の無い人ばかり
だったり。
その時、その場で、何をどう吹くかの判断を
迫られる。
そんな中、エディさんから 手紙で仕事の依頼。
この方はアメリカ人。いつも きちんと「契約書」を
取り交わす。ギャラの支払い条件、天候や事故などで
演奏ができなかった時の対処まで、契約条項に
盛り込まれている。契約は3回目。
初めての時は、行って驚いた。キリスト教系の
新興団体。ここで虚無僧の話をして良いのか、
戸惑った。意外にも大好評で、三度目の依頼が
きたのだ。
そして今日はもう一件。箏のS先生から電話があり、
「○○寺から奉納演奏を頼まれた」とのこと。
愛知県では、名の知れた有名なお寺であり、そこで
奉納演奏をさせていただけるなら、こんなうれしい
ことはない。
喜んで引き受け、打ち合わせに S先生宅を訪問。
「昼の食事を用意しておきますから」との言葉に
11時に伺ったが・・・・。 お箏の用意も食事の準備も
されていない。「下合わせしましょう」と促して、
箏を出して、私が柱(じ)を立てて、調絃まで
してさしあげて、『六段』を合わせたが、とても
まともには演奏できない。何度が合わせた後で
「ところで今日は、なんのために合奏ですか」と。
私の方が???
御歳84歳で一人暮らし。痴呆が進行していると
気がついた。はたして奉納演奏はあるのだろうか、
あやしくなってきた。当日、お箏を担いで行っても
門前払いかもしれない。それはそれで“良し”と
しよう。これからは こうした方々のお相手も
ボランティア(仕事)になってきそう。
虚無僧は、明にも暗にも対処。その場その時に
誠意をもって生きる修行と心得る。