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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

その時その場に生きる

2013-12-29 23:31:28 | 虚無僧日記
12月にはいってもなんの連絡も無く、本当に
あるのか 半信半疑だったロシア公演。まったく
行ってみなければ判らない状況。

日本でも、最近受ける仕事は「いつ、何時に
どこどこへ」という電話だけで、行ってみなければ
わからない仕事が多くなってきた。“お布施
(報酬)”も いただけるのか、いくらいただけるのかも、
終わってみなければ判らない。無償の仕事の方が
多くなってきた。

行ってみると「独居老人の食事会」でボランティア
だったり、「○○の大会」だったり。車椅子
状態の人が150人もいて、マイクなしでは
声も通らず、いや 通っても反応の無い人ばかり
だったり。

その時、その場で、何をどう吹くかの判断を
迫られる。

そんな中、エディさんから 手紙で仕事の依頼。
この方はアメリカ人。いつも きちんと「契約書」を
取り交わす。ギャラの支払い条件、天候や事故などで
演奏ができなかった時の対処まで、契約条項に
盛り込まれている。契約は3回目。
初めての時は、行って驚いた。キリスト教系の
新興団体。ここで虚無僧の話をして良いのか、
戸惑った。意外にも大好評で、三度目の依頼が
きたのだ。


そして今日はもう一件。箏のS先生から電話があり、
「○○寺から奉納演奏を頼まれた」とのこと。
愛知県では、名の知れた有名なお寺であり、そこで
奉納演奏をさせていただけるなら、こんなうれしい
ことはない。

喜んで引き受け、打ち合わせに S先生宅を訪問。
「昼の食事を用意しておきますから」との言葉に
11時に伺ったが・・・・。 お箏の用意も食事の準備も
されていない。「下合わせしましょう」と促して、
箏を出して、私が柱(じ)を立てて、調絃まで
してさしあげて、『六段』を合わせたが、とても
まともには演奏できない。何度が合わせた後で
「ところで今日は、なんのために合奏ですか」と。
私の方が???

御歳84歳で一人暮らし。痴呆が進行していると
気がついた。はたして奉納演奏はあるのだろうか、
あやしくなってきた。当日、お箏を担いで行っても
門前払いかもしれない。それはそれで“良し”と
しよう。これからは こうした方々のお相手も
ボランティア(仕事)になってきそう。

虚無僧は、明にも暗にも対処。その場その時に
誠意をもって生きる修行と心得る。

ロシアで“笑顔”は 不謹慎?

2013-12-29 23:28:53 | 虚無僧日記
「親日ロシア」で検索していたら 「ディナラ・
リピンスカヤ」という人のレポート。

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ロシア人と日本人では「笑顔の意味」が違う。
日本人は、仕事の依頼をするとき、自分の悩みに
ついて話すとき、相手の話を聞くとき にこやかに笑う。

それはロシア人にとっては、とても不思議。不真面目、
不謹慎と見られる。

ロシア人にとって「笑顔」は、遊びのときなど
楽しい愉快な気持ちの表現。だから、悩みの話を
するとき、ロシア人は絶対に笑顔にならない。

自分の家族の悩みについて 笑顔で話すと、家族のことを
笑う(バカにした)、とても心の冷たい人間だと思われる。

仕事の依頼をするときも同じである。ロシア人にとって
笑顔で仕事を頼む人は、頼まれる人を いじめたり、
からかったり、だます魂胆があるとしか見えない。

笑顔で近づいてくる人は「何か企みがある」と思われる
可能性が高い。

仕事中にニコニコ笑っている人は、まじめに仕事を
やっていないと思われてしまう。

ロシアでの笑顔のもうひとつの意味は「私は あなたの
ことが好き」という表現。日本人は、深い友情を
持っていなくても、いつもニコニコしているが、
これは誤解を招く。

日本人はよくロシア人が暗いと言う。ロシア人が
あまり笑顔を見せないからである。

しかし「暗いロシア人」は友達になったら実際には
明るい人間が多く、「あやしげな うすら笑いの
日本人」は、実は 親切で誠意のある人なのだ。

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このことは、私もロシアに行ってみて体感した。
道行く人や 地下鉄駅ですれ違う人は、みな
おっかない顔をして 足早に去っていく。

開演前に入り口で 来客を笑顔で迎えた時、
「ロシアでは、演奏者が挨拶することはありません」
と冷たい顔で忠告された。

演奏中も「根笹派は、寒い雪の中で吹くから、
ブルブルブルと震えて、“コミ吹き”という独特の
奏法が生まれました。こうすると体の中から熱くなります。
みなさんも一緒にやってみてください」と通訳を
通して言ってみたが、反応なし。

サインを求められたときも、冷たい表情で
プログラムやチケットを差し出す人が大半。

尺八を教えているときは、真剣そのもの。でも
食事の時などは、実に明るく楽しい笑顔になる。

あんまり笑顔を振りまいたので、“あなたが好きです”と
誤解されたかも。別れ際に「日本に着いていきたいです」
との彼女の言葉に こちらも ついその気に?・・・・。
いやあれは ロシアの社交辞令かしらん。

「大阪のおばちゃん」

2013-12-29 22:43:50 | 地球人類の問題
「大阪のおばちゃん」が今 話題らしい。
「大阪のおばちゃん」は 必ず飴を持っていて、
知らない人でも、ハイってくれるそうな。
それで「大阪のアメちゃん」とか。知らんかった。


日経新聞(12/29)「文化面」に、その名も
『大阪のおばちゃん』というタイトル。
お堅い内容が多い「文化面」に、(なんや この
タイトルは?)と、ついつい目がいきましたです。
文体も超現代口語体で、日経読むには違和感がある。

内容は、「大阪で、地理が判らず、戸惑っていると、
必ず、見ず知らずのおばちゃんが『どこ行くねん』と
声を掛けてくれ、親切に教えてくれるどころか、
『ウチもそっちへ行くから』と連れて行ってくれる」と
いうもの。

「何度もそのような体験をしており、会う人 皆が皆、
私と同じ方向に行くとは思えないから、“おばちやん”
たちは、わざわざ遠回りしてでも 連れていって
くれているのだろう」と。


執筆者は「新井素子」。これまた恥ずかしながら
知りませんでした。1960年8月8日生れ。1977年
高校2年生のときに、第一回奇想天外SF新人賞に
応募した『あたしの中の……』が佳作入選。

審査員の星新一が絶賛し最優秀作に推したが、
小松左京や筒井康隆らが 目新しい文体に違和感を
覚え反対したため 佳作となったとか。

お堅い日経新聞でも堂々の口語体。「ライトノベル
作家」の草分けだそうだ。


さて、“大阪のおばちゃん”の親切さは、私も
体験したことがある。和歌山に行くとき、近鉄
難波駅で ウロウロしていると、“大阪のおばちゃん”が
「どこ行くんや」と声をかけてくれた。
いろいろ教えてくれたが、大阪弁がよく理解できず、
発車間際の「高野山行き」に乗ってしまった。
すると“おばちゃん”も 後から飛び乗ってきて、
「あかん、あかん、次で降りや」とまくしたて、
“おばちゃん”も、私と一緒に次の駅で降りた。
きつい口調に叱られているようでビクビクしたが、
あの親切は忘れられない。

私も、名古屋駅前などで立っていると、地図を片手に
迷っている人を見かける。つい声を掛けたくなる私。
「どちらへ?」と声を掛けると、今は 大半の人が、
くるっと後ろを向いて、スマホの小さな画面を見つめる。
聞いてくれれば、教えてあげるのに。人間不信の時代に
なってきた。私って不審者に見られるのかな?
(そりゃ虚無僧だもの、しかたねっす)。