現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

藤圭子自殺

2013-08-22 19:13:28 | テレビ・映画・芸能人
歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死(産経新聞) - goo ニュース


「藤圭子 飛び降り自殺」のニュースに絶句。
私が一番好きな歌手だった。「前川清」と結婚。
似合いのカップルと思っていたのに離婚。後は
「宇多田照實」と結婚して、娘の「宇多田ヒカル」が
大ブレークとなっても“よそごと”のようにしか
思えなかった。私にとっては40年前、六本木で
見かけた時の 華やかな姿だけが記憶に残っている。


昭和44年に「新宿の女」でデビュー。翌年「圭子の
夢は夜ひらく」が10週連続1位を獲得して、77万枚を
売上げる大ヒット。「演歌」「艶歌」ならぬ「怨歌」の
女王となった。

しかし わずか10年で突然引退。アメリカに 行って
行って しまった。

娘「宇多田ヒカル」のブレイクで莫大な収入があり、
カジノ狂いだったとか。世界中を旅行して5億円を
使ったとか。数前の記事に「宇多田照實氏とは
結婚と離婚をくり返し、心の中は幸せとは思えぬ」
書かれていた。

その末路が、6年ほど前から 新宿のマンションで
30代の男性と同棲。そして今朝、そのマンションの
部屋から飛び降り自殺。

まさに“転落”の人生。こういう生き方に 私は
強く惹かれるのです。

殺しても悔いの無い恨みとは

2013-08-22 12:54:18 | 社会問題
「たまりにたまった怒り」包丁で刺す…死亡(読売新聞) - goo ニュース


浜松で無職の60歳の男性が、「たまりにたまった怒りを
抑えきれず」近所の男性を刺殺した。暑さのせいか、
サスペンスドラマのせいか、短絡的な殺人事件が 続出
している。

刺し殺して、それで 怒りは収まったのだろうか。
そして刑務所暮らし。それでも後悔は無いのだろうか。
悔いが無いほどの恨みとは、どれほどのものだったのだ
ろうか。他人が聞けば、大したことでもあるまい。

“無職”というから、「犯罪を犯して、刑務所に入れば
一生“ただ飯”が食える」。まさか、そんな算段があっての
ことでもあるまい。後先考えず。後悔先に立たず。その場
限りの犯行か。そんな事件がこのところ多すぎる。

最近「怒りを殺す」という類の本がいろいろ出ている。
毎朝「朝起会」に通って「今日一日人の悪を言わず、
腹を立てず」とお誓いしていれば、そんな悩みは解決
できますぞ。

私も「朝起会」にめぐり会わなければ、今頃(刑務所の)
「塀の中」でした。

「今日の占い」は「頑固じじいになるより、温厚な爺さんに
なれば、人はついてくる」でした。本当にそうでござります。

尺八が悪いのか、吹く曲が悪いのか

2013-08-22 12:52:51 | 尺八・一節切
ホフマンが言うように、「尺八」という楽器をコップに例えれば、
「尺八」を流行らせるには、中身(演奏する曲)を何にするかだ。

かつて尺八は、一般的には、虚無僧の持つ道具か、地歌筝曲や
民謡の伴奏のための「道具」という認識だった。

私が尺八を始めた60年前は、「尺八は“楽器”なんて卑しいもの
ではない。外人には吹けない、日本人ならではのもの」と、
尺八の大家がのたまわっていた。テキストにもそう書いてあった。

今でも、虚無僧尺八の信奉者にとっては“修行のための法器”であり、
普化禅師の振る鐸の音を模す法具として“虚鐸(きょたく)”と
称されている。

私自身も、尺八でドレミファが吹けるなんて思いもよらなかった。
実際、昭和30年代までの尺八は音律など不正確だった。

それが、堀井小二朗師に「尺八は楽器だよ」と言われた時は
衝撃だった。そして昭和39年には、「日本音楽集団」や
「三本会」が結成され、尺八は“楽器”として華々しく登場する
こととなった。

あれから40年。「藤原道山」氏はじめ、尺八で あらゆる曲を
吹きこなす若手奏者はどんどん出てきている。

だが、それを聞いても、感動して、尺八を習おうとする人は、
昔ほどはいないのは なぜだろう。

尺八の音色、表現力はすばらしいと解っても、吹きこなすのは
“むずかしい”と倦厭されるのだろうか。リコーダーのように、
誰でも吹けば音が出るような吹き口も考案され、売られている。

それさえ 広まらないのは、尺八で吹かれる「曲」に魅力が
ないのか。馴染みがないからか。ならば、幼稚園、保育園、
小中学校で、尺八を聞く機会をもっと増やせばいい。

そうか、昔ほど、その子供たちが居ないのだ。ヤマハでも
ピアノを習う子供が減り、ピアノが売れずに困ってるようだ。
広まらないのは 尺八だけでない。洋楽器も同じ。