現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

至学館校歌「夢追い人」と小椋圭の「夢追い人」

2011-08-06 08:24:02 | 心の問題
中日新聞論説委員の「飯尾 歩」氏、今朝の東海ラジオにも
出演。政治解説は歯切れがいいが、「至学館校歌『夢追い人』」に
話を向けられると、しどろもどろ。降って湧いたフィーバーに
本人も戸惑いきみのようだ。

「生徒たちが、『あの歌詞は、僕達が歩んできた姿そのものだ』と
言ってくれたのがうれしい。この後も どんどん歌詞をつないで
増やしていってくれたらいい」と。

「夢追人」の誕生のきっかけは、2004年アテネ・オリンピック。
メダル獲得を目指す「伊調千春」と、親友「不二美由華」との
友情物語。由華さんは、バレーボール選手としての夢を、度重なる
怪我によって挫折し、失望の中で苦しんでいた。二人は、互いに
慰めあい、励ましあって、夢を追い続け、かけがえのない友情を
手にすることができた。その話を聞いて、飯尾歩氏が作詞作曲。
今や、ラジオでも毎日のように流れている。

ま、「都の西北」早稲田の校歌や 慶応の「若き血」なども、
多くの人に知られているのだから、「至学館」校歌も、そう
なるか。

ところで、小椋圭の『夢追い人』の方はすっかり陰に隠れて
しまった。こちらは『夢追い人とだまされ屋』という題。

歌詞の2番に「ぼろぼろの姿見れば、誰にもきちがいと言われ、
笑い者になる だまされ屋。実は一番大事な人だと 気づく者も
ない。たとえ気づいたとして、君になれるか、君にできるか」

驚いた。「虚無僧」は その昔「ボロボロ」って呼ばれた。
そう「夢追い人」って、「虚無僧」のことだ。私も よく
「夢を追い続けている人」と思われている。