学会員なら、誰でも一度は目にしている、それほど有名なお手紙をいただいた女性がいます。
妙一尼。
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかずみず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。(妙一尼御前御消息 1253頁)』
この妙一尼は、どんな人だったのでしょうか。
大聖人様に『かれたる朽木のやうなるとしより尼(同頁)』と言われたような人です、決してふくよかで、見目麗しい人ではなかったのだろうと思います。
さらに先の戦で家族の中から男性の死者を出し、まだ働き手にもならないような子供を抱えて、途方にくれていたのでしょう
以前参加していた掲示板で、この二人の関係は、母親だったのか、祖母だったのか、と言う議論がありました。一応の解釈としては母親と言うことになっていますが、先の記述から見ると、祖母だったのではないか、と言う意見で、その方が流れとしては実感があるのではないか、と言うことだったのです。
私もその意見に賛成でした。
しかし世の中には、親子でもずっと歳の離れた同士はいるものです。例えば知っている人の中に、兄弟ふたりで二十歳ほど年齢差のある人がいました。どう見ても下の子は母親といると孫にしか見えないし、兄といると親子に見えるのです。
また母親も、年がいって子供を生んだからか、急に老けてしまい、実年齢よりも上に見られるようになっていました。
こんな関係だったら『としより尼』と言われた妙一尼が、祖母ではなく、母親だった事も十分に考えられるわけです。
で、読み書きも不自由する女性が、家督を継ぐには幼すぎる子供を抱えて、さあどうしたものか、不安に駆られていたのでしょう。亡き夫の形見と言えば、幼子と南無妙法蓮華経と言う新興宗教のお題目だけ。
見かねて誰かが、大聖人様に指導を仰いだのかもしれません。
妙一尼と言う、やせっぽの人が、行く末案じております。どうしたものでしよう。どう信心を続けるように教えていったものでしょうか、とでも大聖人様にお手紙を書いたのでしょうか。
本人が書いたとは思えないのです。御書本文を読んでいただければ分かりますが、くどいほどに当たり前の事が、重ねて書いてあります。これは耳から聞いても心に残るように、繰り返し同じ意味の事を書かれているのだと思うからです。
返ってきた言葉は『冬は必ず春となる』でした。
妙一尼は、何度も何度もその言葉をかみ締める様に自分に言い聞かせ、信心だけは貫いて行ったのでしょう。
その闇が深かった分、後世の人たちにも、苦しいとき、行き詰った時の光明になる、簡潔でしかも核心をついた言葉となったのかもしれません。
そしてここにも、紛れもなく御本仏を動かした信徒がいたのだと思います。
先人達の純真な信仰に、ただ、感謝有るのみです。
妙一尼。
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかずみず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。(妙一尼御前御消息 1253頁)』
この妙一尼は、どんな人だったのでしょうか。
大聖人様に『かれたる朽木のやうなるとしより尼(同頁)』と言われたような人です、決してふくよかで、見目麗しい人ではなかったのだろうと思います。
さらに先の戦で家族の中から男性の死者を出し、まだ働き手にもならないような子供を抱えて、途方にくれていたのでしょう
以前参加していた掲示板で、この二人の関係は、母親だったのか、祖母だったのか、と言う議論がありました。一応の解釈としては母親と言うことになっていますが、先の記述から見ると、祖母だったのではないか、と言う意見で、その方が流れとしては実感があるのではないか、と言うことだったのです。
私もその意見に賛成でした。
しかし世の中には、親子でもずっと歳の離れた同士はいるものです。例えば知っている人の中に、兄弟ふたりで二十歳ほど年齢差のある人がいました。どう見ても下の子は母親といると孫にしか見えないし、兄といると親子に見えるのです。
また母親も、年がいって子供を生んだからか、急に老けてしまい、実年齢よりも上に見られるようになっていました。
こんな関係だったら『としより尼』と言われた妙一尼が、祖母ではなく、母親だった事も十分に考えられるわけです。
で、読み書きも不自由する女性が、家督を継ぐには幼すぎる子供を抱えて、さあどうしたものか、不安に駆られていたのでしょう。亡き夫の形見と言えば、幼子と南無妙法蓮華経と言う新興宗教のお題目だけ。
見かねて誰かが、大聖人様に指導を仰いだのかもしれません。
妙一尼と言う、やせっぽの人が、行く末案じております。どうしたものでしよう。どう信心を続けるように教えていったものでしょうか、とでも大聖人様にお手紙を書いたのでしょうか。
本人が書いたとは思えないのです。御書本文を読んでいただければ分かりますが、くどいほどに当たり前の事が、重ねて書いてあります。これは耳から聞いても心に残るように、繰り返し同じ意味の事を書かれているのだと思うからです。
返ってきた言葉は『冬は必ず春となる』でした。
妙一尼は、何度も何度もその言葉をかみ締める様に自分に言い聞かせ、信心だけは貫いて行ったのでしょう。
その闇が深かった分、後世の人たちにも、苦しいとき、行き詰った時の光明になる、簡潔でしかも核心をついた言葉となったのかもしれません。
そしてここにも、紛れもなく御本仏を動かした信徒がいたのだと思います。
先人達の純真な信仰に、ただ、感謝有るのみです。