
>田宮二郎は映画「悪名」(1961年)で勝新太郎と競演し、人気スターの仲間入りをした。「クールガイ」と呼ばれ、主演映画はヒットしたが、大映の永田社長ともめて映画界から追放された。その後はテレビの世界に活路を見いだし、「クイズタイムショック」の司会を務めたり、ドラマに主演したりするようになった。
山崎豊子原作の「白い巨塔」のテレビドラマはこの年の6月にスタート。浪速大学第一外科の医局を舞台に財前五郎が剛腕で教授の座をつかみとるストーリーで、ドラマは高視聴率を上げた。しかし、絶頂期の田宮は様々な事業に手を出して多額の借金を抱えるようになっていた。この時期、M資金詐欺に遭ったという話も浮上したことがあった。M資金詐欺とは、戦後、占領軍のマーカット少将が残したとされる秘密資金をもとに巨額融資を餌に金をだまし取るというもの。
一方で、そううつ病の診断も受け、一時は泣き崩れてセリフも覚えられないほどまでふさぎ込んでいたという。それでも撮影はなんとか終えた。浪速大の教授に上りつめた財前は最終回、がんで病死するが、撮影に当たって田宮は絶食までして役に臨んだという。しかし、収録をすべて撮り終え、彼は深いうつ状態に。この日昼過ぎ、自宅で猟銃自殺した。
「クール・ガイ 転身の夢破れ」「うつ病と不眠症と『愛してる』妻へ遺書」
29日読売新聞朝刊の見出しである。
彼の遺書にはこうあった。
いつもいつも小心なくせに、つっぱってつっぱって生きている僕の姿――
田宮の死後に放映された最終回の視聴率は30%を超えた。(三) 文中敬称略
(YOMIURI ONLINE)
彼こそ知的で、格好よくって人気もあり順風満帆な人生を歩いている俳優も少ないと思っていたのに突然だったな。テレビの『白い滑走路』というボーイング747の操縦士役のドラマは夢中で観ていた。共演していた山本陽子と恋人関係であったとかなかったとか。しかし人生43歳で終わるとは何とももったいない。ありゃ、小父さんが所帯をもってすぐのお話だ。
この年のできごとをウィキペディアから拾ってみると・・・
・4月4日 - キャンディーズが後楽園球場でのコンサート「ファイナルカーニバル」をもって解散。
・5月21日 - 新東京国際空港(現成田国際空港)開港。
・6月2日 - 日本航空115便しりもち事故。日航ジャンボ機が大阪国際空港でしりもち事故。この機体(JA8119)は後の1985年8月12日に発生する日本航空123便墜落事故機である。
・8月30日 - 巨人の王貞治選手が後楽園球場の大洋戦で800号本塁打を達成。
・10月22日 - ヤクルトの大杉勝男選手が日本シリーズで阪急の足立光宏投手から疑惑の本塁打放つ(1時間19分抗議した阪急の上田利治監督はシリーズ終了後辞任し、後任に梶本隆夫ヘッドコーチが昇格)。
・江川事件、11月21日 - 空白の一日起こる。
・12月7日 - 第1次大平内閣発足。
音楽
サウスポー(ピンク・レディー)、君のひとみは10000ボルト(堀内孝雄)、飛んでイスタンブール(庄野真代)、与作(北島三郎)など
映画
2月25日 - 『未知との遭遇』日本公開、8月5日 - 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』公開
テレビ
・大河ドラマ「黄金の日日」(NHK、出演:市川染五郎 (6代目)、根津甚八、川谷拓三、栗原小巻)
・「西遊記」(日本テレビ、10月1日-1979年4月1日、出演:堺正章、夏目雅子)
私は田宮二郎と言えば悪名シリーズですね
勝新太郎(八尾の朝吉)と田宮二郎(清次)の名コンビが面白かったですね
なんと言っても「白い巨塔」ですね
最近では唐沢寿明氏が演じました
後は、クイズ番組のタイムショックの司会が長かったですね
健在であれば今年75歳でした、実に惜しい方を亡くしたと思います
43歳だったとは!大人の男性と言うイメージです。
朝のワイドショーに出演していらっしゃる息子さんをたまに拝見します。
「白い巨塔」は唐沢さんで見ましたが重いドラマでした。
絶食までして望まれたのですか・・・。
役にのめり込んでいらっしゃったのですね。
>いつもいつも小心なくせに、つっぱってつっぱって生きている僕の姿
「田宮二郎」のイメージと生身のご自身とのギャップに苦悩されていたんだなぁ。と思いました。
悪名シリーズって滑稽なところもあるんでしょうか?見てみたいですね。
田宮二郎の『白い巨塔』はやっと先日テレビで観たところです。当時話題になったのがよくわかりました。
タイムショックは毎週見ていましたよ。かっこいいんだから!
(5代目)中山秀征、新山千春はちと落ちますね(笑)
人の命は、運命のいたづらの手のひらの上に乗せられているんでしょうか?
息子さんはそっくりらしいですね。私はまだ見たことがないです。
「白い巨塔」は山崎豊子の書き下ろしにも感嘆しますが、田宮二郎さん当時31歳ですからね。すごいものです。
そして2年後に大映の社長と喧嘩して映画界追放ってんですから、安サラリーマンならそこで終わりですよね。
>いつもいつも小心なくせに
これ、初めてしりました。人間の内面ってこんなものなんでしょう!
笹沢氏は「木枯し紋次郎」のイメージとして、田宮さんを想定していたということです。
しかしながら、ギャラが高いということで却下されたとか……。
田宮紋次郎も見てみたかったです。
典型的な二枚目でありながら翳りもあり、クールな魅力がある方でした。
ご子息はよく似ていらっしゃいます。
以前時代劇に出演されていました。
亡くなられたお父様と、同い年になられたと思います。
芸能界の光と影を、足早に駆け抜けられた俳優さんでしたね。
また違った世界が出来ていただろうし、場合によっては中村敦夫氏が埋もれてしまったままだったかも知れませんね。
そうですね、この「翳りもあり」が大きな魅力なんでしょう。
もって生まれたものなのでしょうか。
息子さんはそのDNAは、引き継いでいても別人なんですね。
長嶋茂雄氏と長嶋一茂氏のように・・・。
だけど観客席から見ている者は、息子を通して田宮二郎を観てしまうんでしょうね!
王選手のホームラン、新東京国際空港
夏目雅子さん、川谷拓三さん・・・
ものすごい勢いで走っていた時代のような気がします。
田宮二郎さんの亡くなられたのは、もっと以前だと思っていました。
もし、生きていらしたら75歳でいらしたんですね。
想像がつきませんが、きっと渋い俳優さんになっていらしたでしょう。
私も年貢を納めた年だし、実は結婚式と披露宴の途中で友人たちがテレビに見入っていたのが、日本シリーズ疑惑の本塁打1時間19分抗議でした(笑)
田宮二郎さんが生きていたら・・・役者かな?経営者かな?なんでもこなせる人のような気もしますが・・・。
才能のある人は早くいなくなりますね!
大人のドラマを子どもの頃一緒に見ていました
43歳はあまりにも 早いこの世との 別れですね
>いつもいつも小心なくせに、つっぱってつっぱって生きている僕の姿
世に名の知れた人たちは その分 大きな荷物を背負っているんでしょうね
若くして大活躍をしていたようですが、自ら命を絶ってしまいましたね。
ノーベル賞候補とまで言われた三島由紀夫も45歳でした。太宰治は38歳ですね。
「小心なくせに、つっぱって」このような人には何人か出会いました。
他人にはそんな姿を決して見せませんね。
>その分 大きな荷物を背負っているんでしょうね
そうかも知れません。