30歳の若者の葬式に参列した。今日そのようなことがあるとは知らず、水色のカラーシャツにブレザーという格好で家を出たので、そのまま出かけた。
幼なじみの友人が、涙ながらに自分の言葉で弔辞をとうとうと述べていた。もうひとりの友人は、原稿を手にして、何度もなんども故人の名前を大きな声で繰り返していた。喪主である故人の父も挨拶の中で、息子との思い出を長い時間かけて話されていた。
読経がつづく。檀家のひとたちがお経を唱和される。私には、30歳の故人となった若者をよく知っているからか、正面の故人の笑顔の遺影と読経とたくさんの喪服の参列者と今日の葬儀そのものが、何か別のもののような気がしていた。彼が亡くなったということが実感しないからだろう。
人々にはいろんな人生が与えられている。が、30歳は人生を走り抜けるには、あまりにも早すぎた。ただただご冥福をお祈り致します。
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