コルビュジェのロンシャンの礼拝堂は1955年に完成している。同じ頃一方の天才建築家フランク・ロイド・ライトによって、ニューヨークにグッゲンハイム美術館(写真)が1959年に完成している。この建物は完成は遅かったが、計画自体は1943年に明らかになっているから、コルビュジェはこの計画案をおそらく知っていたであろう。二人の天才建築家が同時期にフランスとアメリカで同じような彫塑的な作品を残しているのも、時代を表しているのだろうか?
ライトの一連の作品に比較して、グッゲンハイム美術館は少し趣を異にしている。彼の多くの作品に見られる装飾が、この作品には見当たらない。その代りに大胆なキャンチレバーの構造システムと最上階にエレベーターで上がり、自然に斜路を歩きながら作品を眺めて降りてくるという卓越したアイデアが盛り込まれている。
有機的建築を標榜し、近代建築に異を唱えていた彼が、突然相手の武器を使って敵陣に殴りこみを掛けた衝撃的な作品であると思う。
私自身は、好き嫌いで言うとコルビュジェの方が好きであった。ライトの余りの過剰な装飾がついていけない感じがして参考にしたいと思わなかったが、ニューヨークで、この美術館を見た時はさすがに感心した。其の時はケビン・ローチのフォード財団のアトリウムを見たり、メトロポリタンセンターの劇場空間を体験したりしたのだが、この美術館の空間が一番印象に残った。
黒川紀章さんは、コルビュジェよりライトを評価していた。ライトの帝国ホテルが休止される時、熱心に保存使用を提唱していたと言うし、帝国のインペリアルタワーが出来る時何とか自分が設計をしたいと、執拗にアプローチしていたのを記憶している。思想的にもライトに近い考え方をしていたように思う。
芦原義信先生が、銀座ソニービルを設計した時、このグッゲンハイム美術館を参考にしたと話されていた。ソニービルも傾斜路ではないが、最上階にエレベーターで上がり、ステップフロアーで、自然に降りてくる計画になっている。
日本では一般的に帝国ホテルの設計者として、コルビュジェよりライトの方が良く知られた建築家かもしれない。帝国以外にもライトの作品は日本に結構あるようだ。遠藤新、楽氏などにより、ライトの作品と言ってもおかしくない作品が残っている。
今ライトの最後の夫人となったオルギバンナ・L・ライトが書いた”ライトの生涯”という本を読んでいる。それに拠るとライトは装飾を毛嫌いし、室内装飾を出来るだけ排除して建築と一体化しようとしたと述べている。
これはもう少しライトを勉強し直す必要があるかもしれないと思って読み進んでいる。
ライトの一連の作品に比較して、グッゲンハイム美術館は少し趣を異にしている。彼の多くの作品に見られる装飾が、この作品には見当たらない。その代りに大胆なキャンチレバーの構造システムと最上階にエレベーターで上がり、自然に斜路を歩きながら作品を眺めて降りてくるという卓越したアイデアが盛り込まれている。
有機的建築を標榜し、近代建築に異を唱えていた彼が、突然相手の武器を使って敵陣に殴りこみを掛けた衝撃的な作品であると思う。
私自身は、好き嫌いで言うとコルビュジェの方が好きであった。ライトの余りの過剰な装飾がついていけない感じがして参考にしたいと思わなかったが、ニューヨークで、この美術館を見た時はさすがに感心した。其の時はケビン・ローチのフォード財団のアトリウムを見たり、メトロポリタンセンターの劇場空間を体験したりしたのだが、この美術館の空間が一番印象に残った。
黒川紀章さんは、コルビュジェよりライトを評価していた。ライトの帝国ホテルが休止される時、熱心に保存使用を提唱していたと言うし、帝国のインペリアルタワーが出来る時何とか自分が設計をしたいと、執拗にアプローチしていたのを記憶している。思想的にもライトに近い考え方をしていたように思う。
芦原義信先生が、銀座ソニービルを設計した時、このグッゲンハイム美術館を参考にしたと話されていた。ソニービルも傾斜路ではないが、最上階にエレベーターで上がり、ステップフロアーで、自然に降りてくる計画になっている。
日本では一般的に帝国ホテルの設計者として、コルビュジェよりライトの方が良く知られた建築家かもしれない。帝国以外にもライトの作品は日本に結構あるようだ。遠藤新、楽氏などにより、ライトの作品と言ってもおかしくない作品が残っている。
今ライトの最後の夫人となったオルギバンナ・L・ライトが書いた”ライトの生涯”という本を読んでいる。それに拠るとライトは装飾を毛嫌いし、室内装飾を出来るだけ排除して建築と一体化しようとしたと述べている。
これはもう少しライトを勉強し直す必要があるかもしれないと思って読み進んでいる。