木村 和美 Architect

建築家木村和美の日常活動とプロジェクトについてのブログ

黒川紀章氏の文化功労者受賞を祝う

2006-10-27 23:26:14 | Weblog
今日の夕刊に文化勲章、文化功労者の受賞者が発表されていた。文化勲章に瀬戸内寂聴さん他5名、文化功労者には高倉健さん他15名が選ばれた。建築界では黒川紀章氏が文化功労者に選ばれている。黒川さんは師の丹下健三氏が文化勲章を受章しているので、功労者では不満かもしれないがとにかくおめでたいことである。
私は24歳の時から9年間黒川さんの事務所にお世話になった。私が入所した時は事務所は、青山タワービルの10階にあった。当時の青山では一番洒落たビルで吉村順三さん(芸大教授)の設計で音楽ホールを付設していた。若かったから毎晩12時頃まで仕事をしていた。当時黒川さんは35歳である。高度成長期の眩い時代で何もかもが発展していくと思ったメタモルフィックな時代であった。振り返ってみるとこの9年間の修業の時期に良いことも悪いことも含めて私の基礎がほぼ出来上がっていることを感じる。
数多くの設計の体験も貴重なものであったが、よく黒川さんのカバン持ちであちこちに同行し、色々な人に会ったことが一番記憶に残っている。福岡銀行を設計した時当時の蟻川五二郎頭取にホテルオークラで最初の模型を見せたこと。福岡県庁舎の設計で当時の亀井光知事にプレゼンテーションしたこと。日本赤十字社の本社コンペで、東龍太郎社長(元東京都知事)にご挨拶したこと。三井不動産の坪井専務(後社長)と葉山ニュータウンの設計で激論となった時。ブルガリア・ソフィアのホテルプロジェクト(ホテル・ヴィトシャ・ニューオータニ)で、当時のニューオータニ岡田専務と議論した時。品川の御殿山計画で森ビルの森稔専務(後社長)と計画を練った時等々。皆20台後半から30台前半の経験である。今考えると信じられない。当時は日曜日もなく毎日事務所に出勤する日々であったが、夜中とか、休日に黒川さんがふらっと現れ、其の時にする会話が計画を進める上で非常にヒントになった。黒川さんは色々毀誉褒貶ある人ではあるが、若い時に接した私の経験で言うと、とても才能のある魅力的な人だと思う。それと陰の努力も見ているので、大変な努力家だとも思う。一番新しい作品のナシヨナル・ギャラリー(国立新美術館・写真)が六本木に出来上がって評判を呼んでいる。一般公開は来春になるそうだが見るのが楽しみである。

自分自身が易きに流れようとする時、あるいは日常性に埋没しそうな時、いつも黒川氏のひたむきな姿を思い出し自らを叱咤してきた。今回の慶事に際し改めてわが師のこれからの一層の活躍を祈念したいし、私も現在を少しでも乗り越えたく思った次第である。