今日は建築の調査でお茶の水に行った。お茶の水界隈は相変わらずの人出で賑わっていた。
神田の古書店街に行くメイン道路を一歩入るとアテネフランセや、日仏会館などの文教施設がある静かな街となる。
このあたりは傾斜地になっており見晴らしが素晴らしい。
其の一角にPSDペンション・システム・デベロップメントが本社を置いていた犬塚ビルがある。
私が独立してすぐ、当時売り出し中のペンションのコンサルテング会社PSDペンション・システム・デベロップメントの社長、小杉恵氏の知遇を得初めて訪れたのがこの犬塚ビルであった。
当時PSDはペンション指導の最大手で、年間100件近いペンションを全国に展開中であったがそのペンションはスイスシャレーを模した校倉づくりの建物が主流で、その他は在来の木造であった。
私は新しく鉄骨造ペンションを企画するために呼ばれたようであった。
PSDのスタッフは、皆若く其の仕事振りも当時のベンチャー企業らしく勇ましいものであったが、会社のイメージは小杉氏のユニークなパーソナリテイに多くを負っていた。
氏は元々日本交通公社の社員であったが、長い海外生活からヒントを得てヨーロッパのペンションを日本に移入しようと思ったと言う。
当時日本は高度成長期が終わり、皆がゆとりやレジャーを求めはじめていたが、観光宿泊施設としては、高いホテルや旅館他は民宿ぐらいしかなかった。
ヨーロッパのペンションはすでに100年の実績があり、安く家族的なサービスで大衆の宿泊施設として地位を確保していた。
私も氏と一緒にフランス、スイス、ドイツのペンションを巡ったがそれぞれの地域で雰囲気の違うサービス、食事、もてなしに感心することが多かった。
当時熱中していた幻のプロジェクトがある。
ヨーロッパにおける日本人の観光客が急増していた時期にPSDがヨーロッパにペンションを建設しようとしたことがあった。
それも西ヨーロッパに150~200km間隔でペンションを建設すると大体40~50戸の建物が出来れば全域がカバーできる。
車で約2~3時間の距離である。そこに日本語が話せる外国人を配置して日本人向けのサービスを展開しようとしたのであった。
そのころ日本でPSDは約3000軒のペンションを傘下においていたので、ヨーロッパの観光業界もまったく無視は出来なかったようだ。
久し振りにお茶の水の犬塚ビルの前に行き、当時と変わらない雰囲気を前にして私の胸にたくさんの思い出が噴出してきた。
写真は乗鞍高原のホテルガルニ・ローリホフというスイスそのままの雰囲気を再現した比較的後期のシャレーである。
現在も好評を得ているようで安堵している。
一日に17時間も働いた当時のツワモノどもは今はどこで何をしているのだろうかとふと思った。