横濱kabitanの、あれこれ話

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日米アニメ比較⑲

2009年12月22日 05時53分25秒 | 海外アニメ研究

:本題前に:
 23日にランドマークで,FMヨコハマのトレセン祭りがあるのでそれに参加付明日は更新休み24日分はその祭りの感想記事のみ。25日から続きを入れます(後,2回の予定)。

:本題:
-続き

●〔米国製日本アニメパロ作品(アニメアニメ-2005,11/19)〕
『(前回記事終わりにあった)日本アニメをパロにしたニッケルオデオン作品(『カッパマイキー』)をあげたが,この11月にニッケルはまた『パーフェクト・ヘヤー・フォーエバー』なるものを放送開始-
≪主人公の少年が,完璧な髪型を求め謎の土地へ・・・≫
 粗筋/キャラデザインを見ただけでは,日本スタイルと関係は感じられないが作品紹介をよく見ると,明らかに日本を意識した冗談としか見えない設定が-ヒロインがセーラー美少女,ガンダム的巨大ロボ・・・画面に溢れる妙な日本語が話を盛り上げている。
 ニッケルは,米国における日本テレビアニメの放送拠点でもあるので,本家とパロが肩並べる珍妙な風景が毎週見られそうだ。
 パロとは,オリジナルの存在が認識されて始めて成立する。大手TV局でこうした作品が放映される程,日本特有のアニメスタイルが一般に浸透しているともいえる。逆に言えば,日本アニメを大量に放送するニッケルだから出来るといえるかもしれない。一方で,日本アニメ形式を取り入れたアニメ作品制作が増加している,という現状がありそうとしたアニメ形態がパロ化されている。海外における日本アニメ文化は,新たな次元に入りつつあるのかもしれない』
●〔米国の声優はうまくない?(アニメアニメ-海外ANIME MANGA100の質問:第4回)〕
『技術に関しては,当人は努力はいしているが今一つ
というのが率直な意見。
 20年以上前(『ロボテック』の『マクロス』部分)は,やたら「Huh?」といっていたり詰め込みすぎて棒読みになったりとしていたが,今はそれよりは技術が良くなったようだがまだ違和感が。
 米国での吹替は,完成した映像を見ながらなのでキャラの表現や情況などは把握し易いはず。日本の場合は,動きや人らしい目安程度の印しかなかったり,用意されていない時がよくある,その中,監督/演出家/音響監督の指示でこなしてしまうしかし,米国吹替は声優の責任だけではなく現地化作業を取り巻く環境にも原因があると思う-日本と同時進行で,未完の内に翻訳/吹替を行わなければならず,先の読めない作業は翻訳から演技指導まで苦労が絶えない。
 映像があるため,元のセリフに合わせないといけない上にセリフでの表現が日米で違う。日本語を訳するとどうしても長くなりがち。セリフの尺に合わそうとすると,棒読みみたいになりがちで,本来,セリフのない処まで入れる。だが,それは米国側の勝手な解釈でみている子供達があきるとか,理解できないだろうとした事でそれが映像演出の邪魔になる時が多々ある。そのため,配給側によってはそうした事を許可/無許可と分かれる。
 日本では,予定が合いにくい特別出演者以外では,全員で長時間行われる。米国では,広い土地でバラバラにいる米国ではので合う人から撮る(メインで著名人がやる事もあるのでそうした傾向が更に強くなる)。それに,声優は日本のように人気職でなく〝俳優の卵がやる腰掛け仕事”と,少々見下された見られ方をされているらしい。そのため,声優もバイト感覚がはっきり出ている有様-しかし,アニメコンベでゲストとして呼ばれるようになってからは,そうした意識も変わってきているようだ。プロを目指す人も出てきているので,今後,プロとしてしっかり演技が出来る人が出てくるだろう。
 やはり,文化の違い-〝何故,このキャラはこんな行動や発言するんだ”という部分が分かりにくいと思う。日本的情が,米国人には馴染みのない概念/ 観念や習慣が出てきたりするので,声優が今一つ感情が入れにくく役になり切れないのでは?特に,西洋文化は女性優先で日本の女性から男性へというアプローチが理解しにくい。それに,先輩・後輩/マンガ的表現・・・と,あげればキリがないのが翻訳台本の出来によりけり。

-続く



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