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横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

国内外での手塚ブーム

2012年07月04日 01時37分22秒 | 手塚大先生

 昨日やっと、BSプレミアム・シアター「陽だまりの樹」をDVDに落しつつ見ました。

 今年になって、BS時代劇や外国人による演劇「テヅカ」があって、日本でにわか手塚ブームが起っています。よく≪手塚治虫は時代を超えて、いまだ人々に愛されている≫と言われていますが、それには疑問を感じます。実際、最近の映画「ブッダ」でも殆ど注目されていなかったようでしたし、イベントらしいイベントもなかったどころが、藤子Fやジブリ(主に「コクリコ坂から」)が注目されているように見えます。
 ですが、TVシリーズ第3弾「アストロボーイ鉄腕アトム」の再放送が繰り返されたり、何かと注目されてはいるようです。しかし、特に多いと思われる学生を中心にした若い人達が興味持っても、紹介番組がなく研究本も高額で余り宣伝されていないので、手に届く範囲内でどうしても偏ってしまう傾向が強いように見えます。
 それに合わせて、コンビに置いてあるようなしっかりとした裏打ちもなく噂話ていを誠しやかに書きたてる三流雑学本が幅をきかせているから始末が悪いです。そうした要因が、日本での自国マンガアニメ研究が、大学/研究所ばかりで一般に広まらないのと海外の方が進んで日本が遅れているのにあります。これは、海外の日本マンガアニメ研究社内でも大きな問題で異文化研究なので日本側の論文が必要不可欠なのに英文体も含めて入手困難の為、異国人ならではの見当違いな評価しそのまま研究所として発表してしまう事が多くありました。でも、その反面、優れたものも多い分訳されないようでそれが日本も含め海外の研究者達が自分達の知っている言語のみしか読めない事態になっています-ネットによる自動翻訳技術が向上したといっても限界もありますし、利用できない所や状況も多い場合もあり、結局語学と研究分野の知識で読み取り度合が変ってしまいます。
 少し前までそれなりに海外での日本大衆文化番組がわかり易くやっていましたが、ここ最近、番組の帯だったり内容が見当つかなかったり興味がそがれるものが多いように思います。NHKの月刊サブカル番組「MAG」は、マニア的ですがまとまったものでこうした-一つのテーマ(世界のアニメマンガ事情/あの著名作品の今/ブームの裏で)を踏み込んだ取材を月刊間で放送して欲しいです。
 でも、本当は1960年代までのアニメ映画/TV(モノクロ)を紹介する本を低額で出して欲しいですね。


昨日でBS時代劇「陽だまりの樹」終了!!

2012年06月23日 02時10分19秒 | 手塚大先生

:原稿ナシで書いていますので、筆足らずでしたらすいません:

 手塚治虫原作マンガを元にしている時代劇ドラマでしたが、原作読んでいないので詳細が分からないまま見ていましたが何かとマンガ版の絵を見ていましたので、良庵の顔を見た時は「大丈夫かな」と思いましたが前半予想通り良庵が少々軽い感じがしてかなり不安がありました。
 ですが、中盤から手塚マンガ特有の濃厚な人間模様が展開され最期は大きな時代の流れにもまれらながら強く生きる人々が描写された、まさに≪幕末時代物≫という趣向でした。

 フッと思いましたが、これも大河マンガ「火の鳥」には入るのだろうかと思います。続けていれば、必ず「陽だまりの樹」時代に当たるので組み込むことも出来ます。ドラマでは、良庵の親友の若侍が最期戦場で行き方知らずになっているのでその若侍のその後は不明なっているので「火の鳥」と組み込め易いとおもいます。でも、これは手塚氏のご先祖の話なのでここで勝手に書いては失礼でよろしくないですが・・・でも、ドラマを見ているとそう想像してしまいます。


BS時代劇「(手塚治虫・原作)陽だまりの樹」で気になった事

2012年04月28日 03時49分23秒 | 手塚大先生

:原稿なしで書いていますので、筆足らずでしたらすいません:

 前回から主人公・(手塚先生の曾祖父)良庵が医学を学びに大阪に行った際、大病で苦しむ女性を(技術未熟で手術できず)見殺しまいそこで福沢諭吉などがいる塾の塾生に会い彼の助言と手引きに塾に入る展開になりましたが、そこで≪手塚先生は大阪出身だったのに曾祖父は江戸出身・・・どこで、大阪に定住なされたんだろう?≫という疑問が。

 著名な方でも、あくまで一個人の家系を探るのですからネット辞典wikipedia(wiki)で細部調べそれをメモにまとめたモノを軸に書いていきます(東京⇔大阪のみ)。
■良庵(曾祖父)-大阪には医学を学んだだけで、江戸で家族を構える
■太郎(祖父)-司法官で地方裁判所で勤務、最終定住先は宝塚市
そして、手塚先生は大阪で生まれ幼い内に宝塚市に。
 
 父の辺りで曖昧になって、どこで大阪に定住なされたか分からず・・・記事の途中やはり気になり、一旦、草書状況で記録してから検索しましたが納得するような情報無く・・・もしかして、手塚先生ご自身著書で書いてあるのを見落としているかもしれません・・・。
 ですが、手塚先生もご自身の先祖-蘭学者・良庵を調べてとても驚いたと思われます。BS時代劇でも、大阪の塾で福沢諭吉との出会いが描かれていますし、福沢氏の若い頃の思い出をつづった著書にも出ています。
 【人に歴史あり】-という言葉がありますが、曾祖父・良庵は幕末から明治へ移り変わろうとしている日本を駆け抜けた方です。以前、米国でも先祖代々米国に住む白人の若者達が家系を調べるのが一時期大いにはやりましたがすぐに立ち消えました。それは、移民時の歴史・事情背景を知ったからですがこれは【真実知って、落胆】してそこで切ってしまっている感があります。
 自分の家系を調べるのは、自国の大きな時代のうねりを少ながれ感じることが出来別の角度での歴史勉強になります。もう終ってしまいましたが、NHKで有名人の家系を探りご本人と見ていく番組がありました。そこでも、歴史の側を先祖も歩んでいるのを強く感じ調査対象になっていた有名人の方も始めて知って驚いたり涙していました。

 「陽だまりの樹」を見て、改めて家系を辿っていく大事さも感じました(まだ原作未見です。すいません!!)。


手塚治虫マンガ「陽だまりの樹」が、4月からBS-NHK時代劇で実写化

2012年03月01日 03時38分06秒 | 手塚大先生

:原稿なしで描いていますので、筆足らずでしたらすいません:

 「陽だまりの樹」は、手塚大先生のご先祖で幕末医師をなさった方を主人公において幕末日本を舞台に描いた作品で、一度日テレでマッドハウスの手によるアニメ版が2000年4月4日から9月19日まで、全25話で放送されました。
 私は、アニメ版も原作も見ていなかったですが基本的設定は色々な文献や映像資料で見聞きしていて気になっていました。
 以前から、実写版で「バンバイヤ」「マグマ大使」「ふしぎな少年」「ピロンの秘密」「(モノクロ版)鉄腕アトム」「ブラックジャック」「火の鳥」がありましたが、「ふしぎな少年」「ピロンの秘密」「鉄腕アトム」はまだ国産アニメが制作環境が無かった時代に作られた必然的【冒険活劇もの】でしたが、その後のは人気や特撮ブームの中で制作された純粋な実写モノでした。ですが、【人間ドラマ】として作られたものとしては「ブラックジャック」と「火の鳥」は特に「ブラックジャック」が奇をてらし過ぎた演出(?)のせいが一昔の【懐かしのTV】番組でよく笑われ映像として紹介されてしまいます。昨今では、【青年ブラックジャック】を描いたドラマが出てきています。
 そうした中での、BS-NHK時代劇での実写化・・・手塚まんがは、リアルな【人間ドラマもの】でもかなりまんが的描かれ方されているので結構実写出来ない所があります。そのため、上記にある「火の鳥」「ブラックジャック」もそうした理由でしっくりいかない所があります。ですが、「陽だまりの樹」はかなり期待できる作品だと思います。今回は、録画してDVDに残そうかと思います。
 「陽だまりの樹」がうまくいったら、未完成ですが後輩の作家さんがリメイク制作された「グリンゴ」もやって欲しいですね。


知られざるTV特撮冒険活劇「魔神バンダー」

2012年01月09日 03時51分35秒 | 手塚大先生

:原稿なしで書いていますので、筆足らずでしたらすいません:

 wikiで調べましたら、映像ソフト化されていない作品だそうです。
 子供向けTVアニメ・特撮マンガ化作品を主に復刻しているマンガショップ社で、既に連載誌「冒険王」版が全て出版されています。
 
 今さっきまでgoo動画検索で初回と最終回を見つけ視聴していましたが、最終回はかなり無理やりな終わり方をしています-
《母星バロン水星のエネルギーを地球人に持ち去られ、それを取り戻す為に王子とその側近に魔神バンダーが地球にやってきた-最終回になって、やっと探していたエネルギーを見つけるがどこかの国が実験用に飛ばした核ミサイルが日本に向かっている事を知る。それに協力者の博士達が慌てて、バンダーを使って核ミサイルを破壊したいと王子に言うと、「それでは里に帰れなくなる・・・それに散々地球の為に手伝ったし、こちらの宝を盗んだのも地球人ではありませんか!!今度はバンダーまで犠牲にしろとおっしゃるのですか!!!」と、さっきまでは帰れと言って今度は逆な事を言うと地球人の態度に腹を立て帰り仕度を始めてしまう・・・しかし、見捨てる事が出来ずバンダーでミサイルを破壊-帰還を諦めてしまった王子らを慰める博士ら》
 この作品の原作者は手塚大先生組の方で手塚大先生の作品で多く描かれる【自己犠牲】がここでも繰り返されますが、ラストの地球人の博士の慰めの言葉がかなり場違い-台詞の内容はこのブログには掲載しにくいものなのでここでは割愛させて頂きます。

 初回と最終回のみしか見れませんでしたが、雰囲気が「ピロンの秘密」+「魔神ガロン」+「W3(少々)」を合わせた内容ですがやはり最後の博士の慰めの言葉がかえってラストの締めが悪く感じられてしまい、見ていてガッカリしてしまう処があります。


杉並アニメミュージアム日誌:ワークショップ①

2009年04月28日 01時00分33秒 | 手塚大先生
 公式サイトでのスタッフ日誌から。



●【手塚キャラを描こう!!(08’10/25)】
 『横山隆一・手塚治虫 二人展』関連イベントとして行われた。

 先生は,手塚氏と共にアニメ制作した小林準治氏。
 まず,≪鉄腕アトムの描き方≫から
「手塚氏のキャラは,皆,“マル”が基本」
といい,ホワイトボードにマルを描く。そこから,目鼻口そして一番印象的な髪形(?)を描くと,可愛いアトムの出来上がり。生徒の皆,一生懸命に先生のマネをするがうまくいかない。先生は,
「私が描いたアトムそっくり似せたいと思うかもしれませんが,できれば自由なアトムを描いて下さい。絵は自由に描くのがいいんです」
 少しレベルを上げ,≪アトムの体全体≫
 まず,アトムの顔を描いて
「アトムの全身は顔の大きさ,約3.5個分。目安の線を引いておくと,体の大きさが描きやすい」
というと,サラッとガッツポーズのアトムが完成。生徒達はというと,なんとも可愛らしいアトムにちょっと太ったアトム・・・と描いていった。
 さらに,≪空飛ぶアトム≫ 
 〔顔になるマル〕〔体になるマル〕〔手になるマル〕・・・と,マルを組み合わせて全身の形を整いて目・鼻・口・髪形・手足・・・そしてジェット噴射を描いたら,飛んでるアトムの出来上がり!!
 それから・・・レオの顔と全身・サファイア王女・火の鳥・ブラックジャック,そしてヒョウタンヅキ・・・と,先生はドンドンと描いていく。生徒の皆,次から次へ描かれていく手塚キャラの見入っている。
 最後,先生が生徒達の絵を≪添削≫
 生徒達は上手に描かれているが,先生が赤鉛筆で添削するとその線は滑らかで,まるで生きているよう。絵を直されたにも関わらず,
「やはり,プロは違う」
と生徒の皆,ニコニコ。

NHK「手塚治虫」特集

2009年04月25日 03時51分34秒 | 手塚大先生
●【手塚治虫特集,NHKで続々登場(アニメアニメ-1/28)】
『昨年11月3日に生誕80周年を迎えた,手塚氏に対する注目が高まっている。マンガアニメの海外進出が話題になる中,クリエイティブの原点にあたる手塚氏の業績に関心が集まっているからだ。こうした中,NKHで手塚氏関連番組が相次いでいる。
 
 昨年10月,「鉄腕アトム」を原作にハリウッドで映画化される「ASTROBOY」を取り上げた「日本とアメリカ 第2回日本アニメ VS ハリウッド」。海外でリメイク化される「鉄腕アトム」密着取材で,日本アニメと海外の関係を探ったものである。
 昨年12月と1月に放送された「アトムの世紀~夢のロボット開発に挑む科学者たち~」は異色の番組で,仏人映画監督が制作。人間型ロボット開発で世界有数の技術を持つ日本の科学者の原点に,「鉄腕アトム」があるとの指摘である。原題「ASTROBOY IN ROBOLAND」。

 プレミアム10「手塚治虫 漫画 音楽 そして人生」が,1月30日総合で放送。マンガアニメに加え,音楽の世界から手塚氏の世界に迫るものとなる。アニメ主題歌や生前秘話,貴重映像が多数盛り込まれる。
 2月からは,NHK-BS20周年企画大型シリーズ番組として「手塚治虫2009~いのち・科学・未来へGO!」が8ヶ月に渡り,放送。時代の最先端で活躍する著名人をスタジオに招き,手塚氏を通して現代社会の抱える問題に迫る。
 オープニングスペシャルとして,5日間連続でBS2で関連番組を放送。2月8日からは「手塚治虫のすべて」,過去にNHKが制作した手塚関連番組を集中放送。2月9日から4日間は,毎日「手塚治虫・現代への問いかけ」を放送』

手塚関連

2008年10月06日 03時20分39秒 | 手塚大先生
●【杉並アニメミュージアム、「横山隆一 手塚治虫 二人展」(アニメアニメ-8/11)】
『第15回目の企画展として、8月26日~11月24日まで。
 今回の展示は「私(鈴木伸一・館長)が案内する」という館長プロデュースで、≪横山隆一記念まんが館≫からは「インスタント・ヒストリー(ヒストリー・カレンダー)」を始めおとぎプロ・アニメ資料を、≪虫プロダクション≫からは「鉄腕アトム」のトキワ荘仲間が結成したスタジオゼロが手掛けた迷作・第34話「ミドロが沼」も含む資料が展示され、ミニシアターでは手塚アニメの名作から殆ど見られないおとぎプロ作品まで上映。また、9月27日には藤子不二雄A氏を招き館長との「横山・手塚両氏は、自分たちにとってどういう存在だったのか」という、かなりプライベートなトークショー。10月25日(13時~)には手塚プロダクション所属アニメーターによる、お絵描きワークショップの2企画も。
 横山氏はマンガ「フクちゃん」で≪近代日本マンガの創始者≫として知られる一方、個人的にアニメ製作所(おとぎプロ)も創立。1961年には、日本初のTVアニメシリーズ「インスタント・ヒストリー」という1分ほどのモノを制作。手塚氏とは、尊敬しあい交流を重ねる間柄でもある。鈴木館長も、お二人との仕事での交流があるという、稀有(けう)な方である』
●【手塚治虫の未完成遺作「森の伝説」、長男・眞(まこと)氏が完成へ(アニメアニメ-8/13)】
『「森の伝説」は1987年に製作開始、全4楽章中第1・4楽章を完成するが2年後に他界。その為、≪未完の大作≫として今世に残る事に。
 内容はチャイコフスキー//交響曲第4番「ある森の伝説」にのって展開する、手塚流「ファンタジア」といった作品。手塚氏は、晩年、熱意を持って造られた≪実験アニメ≫としては大作。作調も、尊敬し続けたウォルトディズニーに似せつつも現代風(制作当時の)に変化していく、アニメ発達史として描かれつつ手塚アニメの集大成も呼ばれ2003年に映画用巨大画面版が制作。
 眞氏も映像作家で、アニメ制作には2004年から2年間日テレでTVシリーズとして「B.J」が放送されている。しかし、自作作品に関しては殆ど批評聞かれず知名度も?それに、作家よりも≪著作物後継人≫というイメージが先立つ人物像が際立つ。
 当の本人のブログでは、
≪うまく行けば、2代で作ったアニメになるので、あるイミで珍しい作品になるだろう≫
と、息巻くが製作所とスタッフは「今後決定」という何とも頼りないというが大丈夫なのかと思ってしまう、船出である』
       ~私見~
 しかし、誰かがやらなければ完成しませんが未完成部分は逆に≪新作≫にして若手作家のオマージュ(敬意)群としてもいいのでは?
 1990年代からのオマージュ的リメイク作品はハズレも多々ある中、秀作も多く生まれてきていますのでこうした未完の遺作を使い、若手作家達に大いなる挑戦を・・・。

気になるアニメニュース、5月期//第2稿

2008年06月13日 04時54分24秒 | 手塚大先生
        ~私見~
 【 ロボット 】というと、やはり、1927年ドイツ制作「メトロポリス」の女性ロボットですね。
 ≪ 彼女 ≫についてに字幕表示は、1984年の米国復刻版の【 人造人間 】がしっくりくるような気がします・・・現在、出ている完全復刻版では、≪ ロボット ≫となっています。前回の記事のように、「R.U.R.」ブームでもうすでに【 ロボット 】と言葉が定番していたらしいので時代的にはおかしくはないですが、≪ 彼女 ≫の余りモノの造形美には【 ロボット 】という表現は不つりあいかも。 
 
 「ロボットアニメEXPO」は全国巡回するそうですが、そうですなら、去年横浜で行われた国際SF大会のように、母体であるビエンナーレの紹介もするべきです。
 去年の国際SF大会は、無料エリアでの紹介コーナーが大会の主旨と楽しさを、多くの人に知らせその年の後半は久々にSFばやりになりました。
 「ロボットアニメEXPO」には、ビエンナーレで行われた≪広島アニメーションアカデミー≫≪アニメーション文化サポーター:Habyクラブ≫といったのをまとめた書籍や、日本モノクロアニメTVシリーズ・・・それも滅多に名があがらないマイナー作品をジャンル別に紹介するブース・図録も。ひとまとめになると、一作品ごとの解説文章・写真がごく少ない単なるガイドブックになってしまい、買っても人によっては内容に不満が。
 昨今、yahooとまんだらけ両ネットサイトでのオークションでそうしたマイナーのモノクロ作品の文芸資料からグッズまでが出品され買い取られています。「ホッパ」だけ見ていても、今年になって買い取りの勢いには凄いモノがあります。
 しかし、こうした貴重なものは資金力あるコレクターに殆ど買われ、本来、保管・管理・展示・書籍化を行う≪ 正統 ≫サポート組織の手には渡り辛くしています。その為、そうした資料の保存・研究・紹介活動に支障きたす処が、劣化・散逸を早める結果にもなっています。
 それに、【 復刻漫画 】ばやりで「ホッパ」のように未復刻モノもネットオークションで連載当時の別冊が大量に出ていますが、制作期間と保存状況で原型を保てるか、かなり危ないモノがあります。その以前に、昔の別冊は今のとは違って雑誌でカラーが2~4頁あった後、≪続きは別冊で≫というのが形式。ですから、別冊の全てが≪本誌(雑誌)から≫という冒頭部分が欠落しているのでどうにもなりません。
 「鉄人28号」や手塚漫画全集では、関係者の手によって≪描き写し≫版も普及しつつあります・・・私だって、本当はぼくら(井上 英沖)版の「ホッパ」の≪描き写し≫の仕事したい位です。
 ・・・と、勝手に言っているだけです。≪コピー復刻≫できるほどの分量あるし、そうした技術は高度に進化していますし・・・でも・・・「ホッパ」のイラストを描く仕事がしたぁ--------------------------い!!!(∞)←本音大暴露!!!!!!!

NIPPON2007机上リポート//第十三稿

2007年09月24日 05時17分45秒 | 手塚大先生
 横浜みなとみらい21計画企画≪横浜博(1989年)≫での、東京電力パピリオン「FLY TO THE MOON(総合プロデューサー)」が一番印象的でした。ストーリーは、2050年宇宙を舞台にした(光子宇宙)ヨットレースもの。今でも、ソフト化されていない(?)実写映画です。大先生の手掛けたモノながら、幻の作品のようです・・・横浜市中央図書館当りで当時の様子を撮ったビデオソフトが閲覧できます。
 しかし、手元にある「FLY MOON」のパンプを見ますとまさに当時の宇宙・SF科学の髄を集め作られたと深く感じます。

 :古今東西SFイラストでファン交流:
「英文資料付。
 国際交流の第一歩として、日本人SFファンが愛する古今東西SF小説を原書・日本版の表紙画の違いなどを楽しみつつ、紹介」
         ~私見~
 展示ホールでも、展示されていました。
 印象深い作品としては、やはりハリウッドSFサイレント映画「メトロポリス」の同名の原作。参加していたら、ポケモン映画「ミュウツー」「ルギア」米国公開時ノベルズを持参したかった。
 今度は、チャベック氏アシモフ氏と星新一ショートショート集を読むつもりです。

 :子供の為にSF教育:
「日本屈指の、SF//ゲーム研究家・山本先生が子供の為にSF講座開催。
 中学生未満で親同伴という、限定になっていって子供が身近に接しているアニメマンガとSFの関連について講座」

 :サイエンスとサンエンスフィクションの最前線(通訳付):
「第一線に活動する日本人科学者と、科学界にも影響を与え続けてきたSF作家が語る。
☆第一部☆
 ロボット学を中心に、心と機械を探る。
☆第二部☆
 人の言葉と意識、そして、情報社会のビジョンを探る」

 :サイバーパンクと未来への想像力:
「【プレートランナー的】猥雑な電脳都市のイメージが、今でもSF中心的。現実的にコンピューターとネットが一般化、それ自体が社外秩序の軸になっている。この現状での、サイバーパンクのイメージはどう進化・変化していくか」
         ~私見~
 1989年、横浜博から始まる「みなとみらい21(MM21)】計画が形として見え始めたのは、2002年Wサッカーの頃辺りでした。
 ≪首都のダウンダウン≫という固定観念を打開しようと、MM21地区に指定された地域が急激に変貌遂げました。昔ながら住んでいた人や、両親は移り住んできたけれど自分はここ出身という人は、それにとまといましたが今は≪首都のダウンダウン≫から≪東京とは違う独自の文化≫と、変わりました。
 そして、SF的未来都市になったMM21地区でのNIPPON2007というイベントが開催されたのは感服を感じました。
 実際、来られた海外の人々が会場とその周辺のSF的風景を、堪能していました。
 

米国での、「(手塚漫画)ブッタ」人気

2005年10月02日 05時24分55秒 | 手塚大先生
 手塚プロタクション公式HP「Tezuka Osamu@world」内にある、”ネット新聞「虫ん坊」”の今月の記事に【米国で、『ブッタ』が大きく評価】というのが書かれて居ました。
 記事内容は、≪日本書籍専門≫出版社社長の日本人にインタビューする形を取ったもので『ブッタ』は米国で出版した書籍に与えられる名誉ある賞を二本取っていて読者にも強い支持の声があった、との事でしたが私はあるコメントにある種≪米国人の文芸に関しての関心の度合い≫に強く疑問を持ってしまった。
 
 ≪(自分達の宗教観とは違う物を、読む)読み手が、大学卒のインテリ層(に多い)≫

 どうも、日本のように(”遊び”の要素が強いマニア向けな、物を除いて)『学歴・肩書き・貧富も関係なく、誰でも色んな書籍物を読んでいる』ようでは無いみたいな話しぷっりでした。
 私蔵している書籍で、『デブの帝国』というのがありましたがその中で作者が子供達の太る原因の一つとして学校での例として【維持費が足りないので、体育・芸術・音楽の授業を削って食品会社に学校内で出店を約束して維持費を賄ってもらっている】と書いてあり結局、≪その食品会社の校内出店のせいで、子供達も学校に居てさえそういったカロリーの高いものばかりを食べて肥満になって行く≫で終らせて居ましたが、日本でもちょくちょく【米国の学校は、音楽の時間が無い】という話がFM横浜などで聞きます。NHKでも、時々【米国の小学校で、アーチィストを呼んで文芸のワークショップをしている】という報道が流れてきます。
 
 今回の「ブッタ」の話ではなく米国一般人が持つ、文芸に対する軽視と珍妙な敬意の念のアンバランスさには毎度呆れるばかり。私蔵の「(米国の見えざる)階級」で、【(米国一般でいう、アーチィスト全般で言う)X階級の人は、仕事にも時間にも常識にも捉われずに自分の才能と奇抜さで人生を送れる≪脱階級≫の人々】と紹介し彼らの行動がどの位奇抜か、とまで書き立てている時点でもう【アーチィスト=自分達とは、別次元の人】という、半ば偏見に満ちた見方をしているというのをありありと表せています。私が最近まで入っていた【講談社フェーマススクール】という”絵画からイラストまで”の絵描き養成学校の本校、アメリカでの先生や生徒の絵を見ていると『意味も無く、奇抜で気取った』で≪自然で日常的見易さ≫とは程遠い【西洋画】的書き方に生徒である私でさえ≪霹靂≫。

 私は、米国に長々と横たわる≪極端な個人・個性主義≫≪実用的でない文芸的ものへの安易な切捨て≫こそが人々からゆとりを奪い人間としての感覚を削ってしまう原因だと強く信じて居ます。古典文芸作品(ハリウッドサイレンス映画【メトロポリス】、小説【モモ】等)に、こういった問題が書かれて居ました。
 それに、そんな世界に≪霹靂≫している米国人の殆どがポケモン映画(【ミュウツーの逆襲】)を皮切りにドッと日本大衆文化を米国大衆文化に溶け込ましたのも、日本の≪親しみやすい≫世界観にどっぷりつかって観たい衝動に駆られての行動だったと今にしてはそう思えて着ました。・・・・しかし、≪日本大衆文化≫に癒しを求めた米国人に同じ米国人が後ろから【自国の文化を無視して、日本にうつつぬかしている非国民】と批判するのは何て卑劣な!!!そんなこと言う前に、自分達で自国の文化を魅力的にする努力ぐらいしたらどうですか!!!!別に、日本は米国のように他国の文化まで侵略しませんから。逆に、アジア中心に伝統文化をそこの国の人々に変わった子世代に教えています。米国は、自国のインテリ層からも【他国には、奪うばかりで与える物はお粗末】と批判されているばかりじゃありませんか。

 後、一言。
 【なんで、観るもの読むものが階層・人種でバラバラなの、米国は?」




手塚大先生、実は初期作品は今ひとつ

2005年09月05日 04時04分27秒 | 手塚大先生
 実はこの論説、よせば良いのに一度「手塚プロダクションHP」の掲示板で書いた事がありますが流石、気まずいものがありましたのでここで改めて書きます。

 そもそも、大先生は大阪・宝塚の裕福な(大先生の宝塚時代の時は、サラリーマンこそが本当の意味で≪中間層≫という富裕層)家庭で育ち、地元の同じ富裕層の子供達の中では一番の金持ちだったそうです。母親は、根っからの芝居好き父親は最新器具好きで何かと少年時代の大先生に、芝居つれてってやったり映写機でディズニーの映画を見ていたり、家には漫画が溢れんばかりにあってよく学友読んでは漫画や映画、彼らが余り口にしないメロンまでおごっていたそうです。この話については、放送大学の授業放送から持ってきたものです。
 後は、公式に発行されたり放送されたりと情報と私が感じた感想を含めた内容です。

 終戦後に漫画を描き始めた、大先生でしたが宝塚時代の赤本(最初から、単行本仕様になっている、漫画。「ゲゲゲの鬼太郎」もここからでした)から「鉄腕アトム」の初期ー中期迄の発表された作品は、全作品を通して「米国漫画的である意味おぼっちゃま風こじゃれ過ぎ、全体砂糖とはちみつでぶっかけたような夢心地な町並みと生活描写」と、みってとってしまいました。確かなテーマ性(≪化学・文明への批判≫≪平和への、思い≫等々)やストーリー性はすでに輝いていますが、若かったのと子供時代の裕福な生活が原因で今ひとつ、切れていない感覚が終始付き纏う。
 実は、「アトム」に青騎士が登場するまで大先生の周辺は大きい動きはなかったようです。言い方が悪いようですが東京に出てトキワ荘に住んでも、あいもかわらずそこでも漫画家達に彼らの原稿料ではやすやす買えない映写機やレコードを、沢山買ってきたり仲間を連れて映画など行ったりして随分はぶりかよく仲間からも、神様としてうやまれていました。それに、アニメに没頭していたのもあり(後に自分が書いたコラムのイラストで、余りにアニメばかりに力入れすぎてアトムに『漫画の仕事、ほったらかしだよ!!』と、説教されるご自身を書いています)少々漫画の鍛錬がおざなりだったため、後輩の石ノ森正太郎・藤子不二夫・赤塚不二夫といった人々が、独自の世界観で大先生の足元を揺るがした。
 元々「アトム」の≪電光≫話で代筆させた時、『こやつ、やるな』とまだ学生で雑誌コーナーで投稿していただけの石ノ森氏にライバル視していた大先生が、石ノ森氏の大胆なコマ割りと詩を漫画にした≪ポエム漫画≫をみて、『こんなの漫画じゃない』と大人気ない事をわざわざ本人の所まで電話していってしまい、大先生が後でその行動を反省してあやまりにいく迄可哀想に石ノ森氏は『神様に、怒られた』と悩まされたそうです。
 大先生も反省したようで、その後は若いものには負けないよう鍛錬したおかげで漫画もアニメも大先生の魅力溢れる作品が生まれるようになりました。

 しかし、すでに「アトム」の後半(『青騎士』以降)には大先生が描く児童漫画とアニメ・カラー版『鉄腕アトム』辺りから時代の流れから遅れるようになり、漫画も青年・成人と変更して新たな世界を造り今でも読み継がれる「火の鳥」「ブラックジャック」といった、名作を発表し続けました。
 ≪世界的漫画の巨匠≫だった大先生でしたが、子供時分の裕福な生活でおぼっちゃま気質(ご自身も、『「アトム」の生みの親・天馬博士のワガママは自分を投影したもの』とおさっていました)と、デビュー時の漫画業界の空白と時代にあった世界観と卓越した腕ですぐにトップの座に登り長期にわたり揺さぶりガ無かったので本当の能力の開花が遅くなってしまったようでかなりもったいなかった。 
 でも、大先生。意外と、漫画家としてはかなり世間には疎かったようでしたしよく「他人の作品を見るな」とも言っていたりしていました(言っていた本人が、一番他人の作品を気にしていましたけどね)。それに、後期のSF作品は結構感覚的古い。

 末期になると、SFものはあきらかに失敗している上殆どは未完です。