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横濱kabitanの、あれこれ話

横浜トリエンナーレ中心にした横濱文化歴史紹介しています-このブログは子供に有害サイト見せない運動を応援しています。

「ルカリオ」9分カットで、TV初放映//続報

2006年07月16日 04時18分47秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 放送前日に載せた記事の続報。
 
≪カット確認部分≫

・(プロローグ部分)
 ルカリオ封印のまま、杖が長き時を辿るシーン
・(OP曲部分)
 サトシがバトルしているのを、R団が仮装して一般客に混じって見ているシーン
・(ウソハチ初登場&温泉処シーン)
 それぞれ、アーロンとの語らいを思い出すルカリオの回想シーン
・(温泉部分)
 ついてきたウソハチを見つけて、「ついてきちゃったのね」と皆、言うシーン
・(ED曲部分)
 サトシらが帰って行く様子と、オルドラン城の(橋も含めて)全体が写った処で終了

 オリジナル見て居ない人に、カットされた部分解説。

≪場面紹介≫

・(プロローグ)
 時を刻むカウンターと共に、時代の移り変りをしめす映像が展開
・(ルカリオ回想)
 アーロンにウソハチの事を教わったり、二人で温泉処で足湯(放映時に見ると、地球博でもやっていたので時期ネタとして笑える)しているのを、モノクロ映像で
・(ED曲部分)
 モノクロ風な風景に、ルカリオがアーロンにチョコを進めている

 番組最後(提供ロール)に、城の謁見間にあるアーロンの絵にルカリオがいつの間に・・・という、映像がありましたがそこ迄見た人はいるんでしょうか?
 映画EDアニメシーンは、「ミュウツー」以来の≪後日談≫になっているので見てしまいますが、「ルカリオ」TV版だといきなりブチッと終ってしまう分、そこで「終った」と切ってしまう人が多い筈。今年の映画予告は、中CMで散々やったのでそこで満足している人が殆どだと思います。いつも思いますが、毎年TV放映時に流す予告CMで充分に宣伝になっていますから予告時間を切ればカットも大分少なくなると思いますし、CMの回数も多い気が・・・。
 一つCM時間を削れば、ぎりぎり入れられるのでは?
 
 次回は、カットが少なかったと思われる「デオキシス」カットチェックを載せる予定。

PS、
:「マナフィ」情報:
 テーマ曲は、Sowelu/「守るべきもの」。その曲も含めて、ポーナス曲付でサントラCDが今月26日発売。

PS、2
:「ルカリオ」TVで見て:
・TVなど小さい画面になると、CGと動きにちらつきが強く見ていて少々つらい
・「セレビィ」は、時には人間に牙をむくが基本的に優しい自然の姿を描写していますが、「ルカリオ」は静かにしているが突然人間に襲う、自然の本来の姿が表現されて居ました。
 「ルカリオ」も、サトシが回復に積極的でしたが≪自然にとって人間は・・・≫という、極めて極端な描写がなされている分ではあの「24時間TVアニメ」に通じるし、放映当時参加していた地球博のテーマに対しての答えとしてとれます(極論すぎますが)。
 旧シリーズ5作は、全体、難解であいまいだった分、AGシリーズは分かり易くなった分テーマ描写がきつくなったというか、鋭い。
 米国での公開は、AGシリーズから無くなりソフト販売だけになりましたが何かたかが外れ思い存分に描いているようで、あるイミ、見ている方でも旧シリーズで感じた≪燃焼し切れない、消化し切れないモノ≫がAGではやりきっていたというのが一作一作感じました。
 でも、≪ピカチュウ短編≫があった方が本編がどうまとめるかとガンバル分濃厚・・。

本日、テレ東(夜7時)で「ミュウとルカリオ」、初放映

2006年07月13日 05時35分15秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
・・・≪ポケモン映画史上最長放映時間(101分)≫が、TV放送枠に収まらず9文もカットされる事態に!!
 CM・「マナフィ」予告と、6分間のニュース番組で114分中92分迄しか撮れなかったのが原因。すでに、「デオキシス」でカットの憂き目にあっていたようです。これも、99分だったので約8分程だと思います。実は、今迄確認していませんでした。まさか≪初放送でいきなりカット≫とは思えませんでしたし、「デオキシス」迄はカットされる程長くなかったので気もして居なかっただけに。でも、本当は「セレビィ」以降録画して観て居なかったので今回は「ルカリオ」「デオキシス」と共に観て居ないのも合わせて観ようかと。
 ・・・ついで、通常版の録画も一本終ったのでそれも合わせて感想&カット部分・全体のしまり具合をここに掲載しますので待ってくださいね(映画は、次回には掲載予定。場合によっては、いつもの≪気になるマンガアニメ報道・7月上半期≫も)。

 ところで、「ピカチュウ短編」が「ジラーチ」で終ってしまいましたが、また復活して欲しいですね。
 重い本編の中で、≪短編的ミュージカルシーン≫が流れるとパッと花が咲いたようで好きですが、その分、放映時間も伸びたせいか、それでも≪短編≫という区切りがなくなったかで≪中だるみ≫な感じがします。
 何か「編集し切れずに流した」という感が。「デオキシス」でも、感じましたが≪短編≫なくしてから急に。
 「ルカリオ」迄は、≪本編一本にした「デオキシス」は、また(スタッフの)不慣れで「ルカリオ」はテーマ自体が重く厚かったから≫と思っていましたが、でも、「ちょっとねー」という考えも。
 今回の「マナフィ」も、「ルカリオ」と同じ位に≪母性愛と巣立ち≫という大人でも色々考えさせられるテーマで、月刊コロコロで3ヶ月連続掲載マンガ版にも出ているだけにこれも放映時間長そう。
ソロソロ、TV放送版の時間枠考えた方がいいのでは?
 「アンパンマン」では、毎年、TV通常版(映画用には枠がとれないので)で2週間分で流して居ますのでポケモンも分けて流せられなかったら年始年末時代劇SPのように一日の間、昼と夜に分割して流しては?そうすれば、放映時間2時間もありですが100分も長いような・・・。でも、2日連続にしても1日分割にしても≪前後≫放送は今の所、「アンパンマン」だけだし、そんな流したら≪ポケモンって、一体・・≫と思われますし撮るのも見るのも大変・・・しかし、≪初放送でカットが入る≫はやはり考えものですがね、テレ東さん。

ポケモンで・・・2

2006年05月26日 04時58分33秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 昨日、あげられなかったオリジナルネタを掲載。
 
≪オリジナルキャラ≫
:チビくん:
 映画「ミュウとルカリオ」に出てくる、伝説の【波導使い】アーロンに憧れている“アーロン伝説”の地・オルドラン城下町ロータに住む少年。物心ついた時から見ていた「アーロン祭」のオルドラン城に飾られているアーロンの絵を見、伝説を聞いている内に、すっかり【波導使い】になる気に。
 でも、チビくん、(アニメの)サトシと同じ年に生まれた現代っ子。
 ロータは、“伝説”の地だけに【波導使い】に関する本も沢山あって、古書は全てオルドラン城の図書室にある。一般でも公開されているので、専門家やチビくんのような子も利用できる。
 コラムイラストの衣装は、「アーロン祭」の時に母親にせがんて特注で造ったモノ(地元人は、“ベネチアの謝肉祭”のように特注する場合が殆ど)で、その衣装で親には【トレーナー】修業といって【波導使い】の修業。そのついでに、アーロンの弟子・ルカリオの子孫達を捜し出して、アーロンのように弟子にとろうとも思っている。
 連れているピカチュウは、トキワの森で会った、ちょっと人見知りで好奇心あふれた性格。

 チビくん、実は、モンスターボール1つも持って居ない!!

【次回予告】
 次回は、通常通りに2日置きに。

増刊号:昨日、去年の10月分の【ポケモンサンデー】録画を見て

2006年04月11日 05時43分27秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 昨日の深夜3時間程、半年前のVHS録画分を見て居ましたら、丁度、毎週日曜日朝7:30~8:00まで放送しているポケモン・バラエティー番組『ポケモンサンデー』の10月放送分(「TVのアニメシリーズ・アンコール」を外して)全部見れました。ついてに、TVシリーズの【R団のコジロウが、チリーンとの別れ&マネネ、R団入団】という感動モノも感動していましたが『ポケモンサンデー』で、強い衝撃を受けてしまいました・・・・あの、~伝説の波動の勇者~・ルカリオがお笑いに転んだ事に・・・ショーーーーーク!!!!!!
 10月になって、『ポケモンサンデー』の番組内容が一部改編され新たに【ポケモンきぐるみコメディーショウ】【お笑いトリオ・ロバートによる、≪ポケモン自由研究】コーナーが増えました。
 通称の子供達の疑問にロバートやゴルゴ(所長)、レッド博士、秘書ペッキー(大学卒業おめでとうございます、これからもお仕事に色々と大変でしょうかぐれぐれお体を大事に)らが解決しにいく、間二回で【きぐるみコメディーショウ】がそして、その子供の疑問解決後には【自由研究】が入る番組構成になっていました。
 この番組改編でルカリオまでもかりだされるとはおもいませんでした。

 ルカリオの、最初の出番は【自由研究】で映画「ミュウとルカリオ」からの新ポケモンがR団に入団が決定(先にかいたマネネの事)についてロバートがウソハチとレジ三人衆とルカリオでR団入団時のシュミレーションしていましたが、『ルカリオが入ったら、人語話せる同士でニャースが八つ当たり』という設定で・・・・≪ニャースがルカリオが遅刻したのを咎めると、ルカリオが「地球に優しい車に乗って、渋滞に嵌まっていました」と答えたのでニャースが「ニャーにもその車に乗せろニャー」ともめる≫という、映画の映像と共にロバートのニャースとルカリオのコントでかなり来ていましたが(屋根がオーブンな車で、高速に乗っているサングラスかけたルカリオも、カッコいいかも)、次の回でニャースと【きぐるみコメディーショウ】に出て二人で公園の滑り坂(?)で尻にダンボール敷いて滑って遊んでいる、というのまでやっていました・・・・・なんか可愛い。
 ちなみにこの【コメディーショウ】の初回は、≪公園でハトの後ろで、寂しげにしている(?)ピカチュウ≫≪手を挙げて、信号渡っているセレビィ≫がありました。
 
 まだ、10月末の「ドラえもん一時間SP」の長編二本の二本目の途中までしか見て居ませんので続きを見て『ポケモンサンデー』でのルカリオのお笑い修業でまだ面白いのがありましたらまだ書きます・・・・録画がすぐたまるから毎週日曜日の深夜三時間ほど見ないと解消できませんね。 

 今現在、『ポケモンサンデー』はどういう展開かは分かりませんが製作スタッフの皆さん、是非、ルカリオを立派な【お笑い芸人】にしてやってくださいね。

【次回】
 これは、増刊つき前回の続きで無いので次回は前回の続きです。投稿は2日後です。

NHKーFM深夜便アンコール特集≪戦後60年≫を聞いて

2005年09月30日 03時08分59秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
≪本題に入る前に≫
 この記事を読む前に、一度カテゴリー欄で【ポケモン映画「ミュウとルカリオ」】の所をクリックしこの記事共に過去のも呼び出し、最下段から上へと記事を順序に読んていってこの記事を読んで下さい。そうしないと、この記事の内容が読み取りにくくなります。

≪本題≫
 番組内で、第二次世界大戦を体験した世代のリスナーからのお便りをその子世代と孫世代に分かれて読んでいきそれぞれ感想述べ合う形式で進むものでした。私も母が戦後生れなので孫世代に入りますが、私達世代の授業では強く【反戦】の色が強くテレビアニメから漫画までもそういったテーマが多く、【戦争に関わる全てのモノを放棄する】という≪憲法9条≫の掲げる理由を”戦争知らない世代”としてはとても理解していた方だと思います。
 しかし、今回の放送で流れていた≪経験談≫を聞いていると私達日本人がどの位戦争の悲惨さや戦後のごたごたの様子を知らないでいたんだろうと、まざまざと思い知らされた気がしました。現在、米国における≪イラク戦争≫に関して日米言わず世界中の人々が声を大にして反対を叫んで居ますが考えて見れば反対の声を叫んでいる中で≪戦争の恐ろしさ≫を本当に知っている人はどの位なんでしょうね?私達は、単に『戦争は、悪いものだから反対している』だけでは無いでしょうか?いわゆる、≪机上の空論≫な叫びでは全く空ろにしか響かないんじゃありませんか?実際に、戦争を体験した人や今まさに巻き込まれている人達の訴えこそに力があるのではありませんか?
 しかし、日本も段々と≪戦争体験者≫の声が消えつづあります。その為、まだその体験者の記憶を強く受け付いている筈の1970年代以前の世代の私達が出来る限り≪映像・文章面での、表現方法≫で今の子供達や1980年代以後の世代の人々に伝えていきたいと思います。
 その作品で代表的なものは、
・「ガラスのうさぎ」
・「はだしのゲン」
・「鉄腕アトム(「アトム今昔物語」)
・手塚作品初期ー中期までの、アニメ・漫画作品
辺りが、挙げられます。
 最近のでは、ポケモン映画「ミュウとルカリオ」がずばりそれをテーマにしています。すでに、この作品の感想とここで言いたい事は書いています(一応、この記事を読んでいる人が最初の指示で過去の記事を読んだの前提にして書いていますので、気を付けてください)がこのNHK-FMの番組を聴くと深く映画の事を思い出します。「ミュウとルカリオ」ほど、子供向けながらも真剣に≪戦争≫について書いた【児童向けアニメ】は珍しいです(でも、サトシとピカチュウ・女性冒険家キッドの話のせいでかなり≪戦争≫についての語りかけが弱まった感もありましたが)。

 是非、≪米国上映≫の時は最初にホワイトハウスで政府高官の人々に見せて欲しいですね。

ポケモン映画「ミュウとルカリオ」、感想総まとめ

2005年08月28日 02時11分59秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 公開一週間後に観に行ってしまったので深くは感想を述べられなかったのですが、もうこの時期になればおもっきり書けるので書いじゃいます。

1、≪ルカリオ≫
 今迄の、ポケモン映画での主役ポケモンの中では一番馴染みやすいキャラです。今までは、ミュウツー・ルギア・エンティ・ラティオス・デオキシスに、セレビィ・ラティアス・ジラーチとどちらも''ポケモンポケモン''していて、≪カワイイ≫か、≪『ポケモン』としての、怖さ・威厳≫のどちらかで今ひとつピカチュウのようには感情移入したり(主役ポケモンと肩を並べて)一緒になって話に参加せずに、サトシらやカメラ目線で彼らの活躍をサトシらと共にただ観ていて居たばかりでしたが今回はひたすら、ルカリオと肩を並べて話が追えてとっても充実感が味合えました。
 特に、ルカリオがラストにミュウを助けるために命を捨ててしまうシーンで思わず『ルカリオ、死ぬなよ』と心で叫んでしまった上に≪ホホビンタ≫してしまいました。「ミュウツーの逆襲」から観ていましたが(「結晶塔の帝王 エンティ」は、スクリーンでは観れず、一年後にブランク管で観る羽目に)こんな気持ちになったのは今回が初めてです。
2、≪テーマ≫
 今回は、実際に「終戦60年」という世界の歴史では重要な事柄と合致する≪アーロン伝説≫に強く惹かれました。ポケモン映画は、前々から制作時に世界的問題になっているのをテーマにしてきました(「ミュウツーの逆襲」は、クローン問題と"自己の存在理由”。「ルギア獏誕」は、人間と自然の関わり合い。「エンティ」は、家族の関わり合い。「セレビィ」は、ずばり”京都議定書(制作発表時にスタッフが、「もののけ姫」に勝負をかけたので有名な)”。「ラティアスとラティオス」は、”9.11テロ”に関してポケモン流に解釈したモノ?「ジラーチ」は、「セレビィ」よりも更に”自然保護”に重点置いた。「デオキシス」は、ずばりブッシュ大統領批判。「ラティアス」と「デオキシス」は、あくまで私の見解ですが観ている範囲ではそうだと思って居ます)。
 冒頭での、ドキュメンタリータッチで描かれていた過去の出来事が実は現在に生き伝説の土地に住む、親子が手にしている絵本に描かれていた事を映像化したものだったという、展開にはグッと来ます。≪伝説が、現在によみがえり人知れずに終焉してしまう≫くだりは本当に寂しいものがあります。しかし、先に書いたように私はルカリオが死ぬとき、死んで欲しくないと思いましたが考えて見れば≪一人、生き残る≫というのは、想像以上に辛い事だと思います。やはり、あのラストはルカリオは救われたと思う気もしました。
 TVシリーズで、彼の子孫達の活躍を期待している、今日この頃です。
3、≪音楽≫
 今まででは、一番の音質とBGMです。でも、少々海外を意識し過ぎなキャラや演技に合わせて音楽も≪スターウォーズ≫≪洋画的ファンタジー≫ぼく、オリジナル性が薄い気がしてしまいます。

の、以上です。

  

ポケモン映画「ミュウとルカリオ」《テーマソング編》

2005年07月26日 04時24分13秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 今回は米国の子供達に人気のパフィーが歌う「はじまりのうた」ですが、私の地元、FM横浜の今月の《一押しソング》としてCMと番組内で朝から晩まで紹介されています。しかし、『ポケモンのテーマソング』と紹介されたのは私が聞いただけでは一回限りで映画を見るまで何の事が解りませんでした。FM横浜のタイムテーブルか、TVを見ていればすぐに気づくものですが最近見ないので(録画ばかり)・・

ポケモン映画「ミュウとルカリオ」ミュウ編

2005年07月23日 03時03分06秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 ミュウというポケモンは、天性の『騒動屋』じゃないかと今回ばかりは強く思いました。
 その兆しはすでに、一作目の「ミュウツーの逆襲」から見受けられます。暴走するミュウツーを止めに入った所までは拍手モノでしたが、結局、売られた喧嘩を買った上に人もポケモン迄ミュウツーとの喧嘩に巻き込む、この人は・・・。
 今回は、迷惑の極めですね。
 ピカチュウは誘拐するわ、助けに来たサトシらに生命の危機に立たすわ・・・。終いには、自分と共存している《世界の始まりの樹》まで、危うく崩壊寸前までおいやって全て悪い事は自分に帰ってきてしまったという、始末の悪い事です。
 城の人々は、「ミュウをみると幸せになる」と言っていましたが一番関わりたくないポケモンですね、ミュウは・・・。

ポケモン映画「ミュウとルカリオ」

2005年07月21日 03時38分40秒 | ポケモン映画「ミュウとルカリオ」
 今年も、ポケモン映画の夏が来ましたね。私も、やっと見に行きましたが今回はテーマが直球でした。まさに、《マイケル・ムーア監督の、『ボウリング・フォー・コロンパイン』&『華氏911』》的内容でした。
 古代の戦争を土台にして、現在に生きるサトシとその経験者で伝説の当事者の(何世紀も封印された)ルカリオとの感覚のズレや、主人の真意を知らなかったばかりに自分を封印された時に人間を信用できなくなったルカリオを後ろで支える、サトシ達。
 この作品のルカリオが復活した世界と、そのときに受けたルカリオのショックはまるで、戦中に取り残された日本軍人がやっと祖国に戻れた時に時代が変って自分達の経験した戦争が映像でしか残らず、人々も《形だけ》しか解っていないと知った時の日本軍人のショックと同じじゃないかと見ていて感じました。作中でも、サトシ達は《時の花》という立体映像な再生器で当時の事を知るシーンがたくさんはいっていました。
 前々から、世界の諸問題について色々と話しを展開させてきたポケモン映画も今回は直接的に書きましたね。