ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

写真の中に写りこんだ真実 - 2            金澤忻二

2005-07-08 20:48:46 | Weblog
来年6月29日が40周年になる。
事件は、1966年6月29日、清水市横砂の橋本藤作商店(こがね味噌)の専務、橋本藤雄さん宅で深夜火災が発生して、火災跡から四人の焼死体が発見され、何れも家族の4人であることが確認され、それぞれ「十数か所の疵があること」が確認された。

近くにある、「蘆崎神社」の奥に霊園があり、そこに4人の墓がある。4人の戒名は、今もおどろおどろしく感じさせるものがある。

この事件で、「犯人とされた」のは「袴田 巌」さんである。わたしが、此の事件について調べ始めたのは1981年11月25日からである。あれからもう24年経ってしまった。此の事件を調べていて、袴田さんが「冤罪」である事を確信した写真がある。

火災現場の鎮火後の現場検証で「ピアノの足に右腕をまわすような形で、うつぶせになって発見された扶示子さんの顔写真である。」左の額に長径10ミリ短径7ミリ程の楕円形の穴があり、中から血液と脳漿用のものが出て、それが火力で焼き焦げたようになっていて、検証で発掘された時に楕円の穴の部分の焼き焦げたかさぶたが、はがれ落ちたのである。穴の廻りの骨の白さが楕円を浮き上がらせていた。

この傷はどうして、と疑問が生まれた。

裁判で認定している事実は、「凶器はくり小刀で、これでそれぞれ十数カ所にわたって刺し、出血多量等で死亡させた。」というもので、この楕円の穴の傷はこの時の刺し傷とはいっておらず、むしろ、この傷はなかったかのごとく扱われているのである。

何故この楕円形の穴の傷を無視するのだろうか。これが、はじまりだったのです。