ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 8

2012-07-05 21:51:28 | Weblog
世界の文化はまわりもち

「ひとひとりではうまれない」という事が全てに当てはめられ、それは国というものも同じで「国一人では生まれない」という事なのです。ですから、歴史は一つの国の歴史で成立するはずがないのです。その原理を「DNA考古学が示してくれているのです。」そして私は、認識の発達や進化についてもそれを証明する事ができると感じています。それを「認識考古学」と呼ぶ事になるかどうかはわからない。しかし、それが実現すれば、宇宙的な歴史の広がりを把握する「認識考古学による逆行的構成」が可能になるはずだと考えている。この事は、ライフワーク「特殊相対場論」で書く時が近づいている。
さて、ギリシャの遺跡に「白の時代」を創った大英帝国の「歴史の改ざん」はずいぶんと自信のない「イギリス」の姿を見せてくれた。それは地中海文明との比較からのものなのであろうか。おそらくそれは、中国が「大航海時代」を創った事からの反動であろうと考えている。そして、「元」が世界的制覇を成し遂げた時代でもある。西欧の「大航海時代」はそこから学んだのである。それは、中国が相対的に低下していく過程が、西欧の大航海時代の隆盛の過程をつくっていくのである。わたしが、日本史を学んできた時には全く思いもしなかった事である。日本史は世界史の統一的把握のなかにその一部として顕微鏡の風景を広げていく認識作業が必要だ。我々は、簡単にヒーローの存在を創りその他を捨象してしまう。捨象している存在を常に思い出す事は大変難しい。ヒーローを創らない手法、その他を捨象しない手法を作り出す事が大切なのだ。

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 7

2012-07-03 14:44:20 | Weblog
万葉の詞に「ロマン」を求めるものは「真実が見えてこない」

パクビョングシク(朴炳植)が「万葉集の発見」で大伴家持を万葉ナンバーワンの歌い手、と持ち上げているが、「柿本人麻呂」には到底かなわない事を知っている。その本の中軸をなしているのは、「柿本人麻呂論」である。柿本人麻呂は、三つの人生を生きている、という説の本を見たような記憶があるが、今は忘れてしまった。その説が頭のすみにあったからだろうが、私はいつも比較して考えている。
36歌仙絵巻にはこの三つの人の肖像画がある。柿本人麻呂・猿丸大夫・山部赤人の三人である。絵巻では、猿丸大夫が一番若く描かれ、次いで柿本人麻呂、そして山部赤人の順番に表現され描かれている。人麻呂と赤人の間は短い。この三人が同一人物かどうかは、まだ定かではない。しかし、私のオーラはおおいに信憑性を感じている。私のオーラがいうのは・あるいは記憶かもしれないが、百済からきた時は猿丸大夫の名で、天武天皇の和歌指導に引き上げられて柿の本人麻呂の名に、天武の崩御の後事変があり、流刑され顔に赤の入れ墨をされてのち山部赤人に代わったのではないかと思われる。いろいろの比較する史料があればいいのだが、そんなものがあればとうにやっているだろう。猿丸の大夫と人麻呂の同一人物説は「猿丸幻視行」だと思った。また、山部赤人と人麻呂の同一人物説は、「帋灯 柿の本人麻呂」柿花仄 だったと思う。柿本人麻呂の謎を書く人は多い。しかし、全体を通して書かれたものを見ない。そして、また、私は四つ目の人生が日本列島に来る前にある事をパクビョングシク(朴炳植)の「万葉集の発見」で見ている。日本に来る前の朝鮮百済である。

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 6

2012-07-03 13:17:24 | Weblog
やわらぎをもって とうとしとなせ


ときどき聞く言葉があります。「平和ぼけ」という詞です。これをきくと、私は「なんと愚かなことを言っているんだろう。」と、情けなくなります。人によっては、その言葉の意味を深く考えもせずに、不容易に使っているのだろうと思います。ですから、そんな時に私は「つぶやくのです」「そんなことを言う人は、日本人じゃあない。」とね。何度でもいいますが、「にほんれっとうじゅうみんは、八百万の神々を尊崇している民の集まりです。」それを「日本人」と言い表しているだけですが、「八百万の神々を尊崇している民」は、日本列島だけでなく、オーストラリアのアボリジニーやアメリカ大陸などの原住民・諸大陸・諸島などの原住民はすべて「八百万の神々を尊崇している民」だと思います。日本の縄文時代は、まさにそれが「こころのルーツ」になっていますから「15000年の歴史がある」といって過言ではない。ですから天皇家は新参者です。NHKは、「800年の冷泉家」と聞くものに「800年にとじこめた」感がありますが。「冷泉家の伝えている事は、天皇家よりもずっと古い、縄文時代の心を伝えているのです」。何故800年としたのか、ディレクターは、私のようなおっちょこちょいを挑発したのかもしれない。さて、「平和ぼけ」の詞に戻します。縄文時代から見れば、新参者の天皇家の祖先をかりに「天智天皇と藤原鎌足」ということにしますと、せいぜい1320年前というぐらいです。同じ頃に、近衛兵としてわたってきた金太里(出雲國風土記執筆者)の先輩が「柿本人麻呂」ですから、隔てられている「民族の壁」は、「めくそはなくそ」のたぐいであるわけです。しかし、縄文の心のルーツである「八百万の神々」は、「平和主義」であり、血で血を洗う戦のむなしさから逃げてきたたくさんの民族や人種が、それぞれの文化を持ち込み寄せ合って、今日の「日本文化」があります。ですから、天皇家の文化もその一つにしかすぎません。だれかが日本を支配しようとしてもそれは無理な話です。いくらお金がたくさんあってもだめです。一時、日本列島の土地を大量に買ってもだめです。HAARPで揺さぶってもだめです。あなたの住んでいる国の大地に「日本」を創りなさい。「日本」というのは、現在国名で使われていますが、じつは「八百万の神々を尊崇する民」が住んでいるところ。であるわけで、実在不明であるけれどその名に象徴させて「血で血を洗う戦のむなしさ」から「みんなで仲良く生きていこう」と宣言したのが「17条の憲法」で、その最も大切な条文が「和らぎをもって、尊しとなせ」なのです。

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 5

2012-07-02 11:39:41 | Weblog

世界が、日本の動向に注目するような、しかも従来とは質が違うことにお気づきでしょうか。


世界の大半は、西欧の近代技術から取り残され、それゆえ居住する地域の資源といい土地と環境を奪われ続け、蹂躙され続けてきました。
日本は、先輩方の先見と努力のおかげで、それを最小限にとどめ、西欧の近代技術から徹底的に学ぶ方針を立て猛進して行ったのです。よかったことも悪かったこともあります。
しかし、日本が鎖国政策をとってきた江戸時代の「田沼意次の時代」が大きな主体的転換点であったのですが、それを叩き潰した。「松平定信」を無理やり引きづり出したのは田沼治世に不満を抱く御三家の一部と林述歳・鳥居耀三親子の洋学・蘭学を排斥したことです。
「徹底的に学ぶ」ことを忘れたやから達によって、100年以上の遅れをとってしまったのである。
それを、明治・大正・昭和で一気に取り返そうとしたのでしょう。経済の下部構造のみならず、政治・文化の上部構造も激変に耐えねばならなかったのです。ここまで、よくがんばってきました。
この歴史から何を学ぶかということですが、何かひとつをあげることは出来ません。良くも悪くも、あれかこれかの決断に至る過程もさることながら、決断をしたものだけを一人の人間であらわすのはもうよしましょう。現実にはそんなことはありえず、多くの人々が関わりあって来たのですからすべてを公開することです。このことの意味するものは「徹底的に学ぶ」徳川家康の「集団指導体制の原理」をさらに一歩進めた「人が自立するための、みんなが賢くなるシステム」を作ることです。「民を支配するために」「徹底的に学ぶ」「指導者になる」のではなく「みんなが自立するために、みんなが賢くなる」という「原理」なのです。
米軍に守られているからの「戦争放棄」ではなく、「世界の大半は、西欧の近代技術から取り残され、それゆえ居住する地域の資源といい土地と環境を奪われ続け、蹂躙され続けてきた人々との信頼関係を築く「戦争放棄」なのです。

ときはいま たみがしたなる ふづきかな 4

2012-07-02 00:05:39 | Weblog
世界は「民」が「主人公」となり「民」のための「民」による「直接政治」を実現する時がきた


間接民主主義が成立して久しく、その統治を三権分立と政党政治の議会制民主主義による代議制統治支配の構造を進めてきた。しかし、それは「資本の論理」とそれを擁護し優先する「特権階級」による代議制支配であった。それが、如何に民の生活・精神・文化を貶めているかが明確になってきた。それが、福島原発によって明らかになり、大飯原発再稼働を強引に進めている姿勢に表した。
彼らは、「民」を優先せず、「外的権力の圧力」を優先した判断しかできないようだ。その事の結果や未来がどのようなものになるのかという現実の手本が、我々の目の前にある。
つくられたギリシャの歴史と、現実のギリシャのユーロ離脱の今、その真実がどこにあるかがわかる。わたしは、かねがね不思議に思っていたものだ。「古代ギリシャ文明」というものと「ギリシャ神話」と日本の「縄文時代の文明」との大きな隔たりである。この混乱を、学校の教える教科書には「混乱」そのものの増幅でしかなかった。なぜ、それほどの文明の歴史を持つギリシャが、その文明の遺跡や遺物を大英博物館にとられたままにしているのだ。何故ギリシャ自身で保管管理し、研究する事をしないのだ。実は、そこに「ギリシャという国の実情」を明らかにしているのだという事を認識させられた。大英帝国の「支配とたかりの構造」としての結果が「今日のギリシャ」にしていたのだ。日本は、そんな事を許してはいけない。世界政府のイルミナティの支配を許していては、ギリシャと同じ道へ転がり行く事になるのだ。「日本の民の声」を無視して「原発政策をー世界政府(イルミナティ)の言いなりになって」進めるんじゃない!!。