ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

ときを うごかそう

2012-06-30 12:18:11 | Weblog
ときはいま たみがしたなる ふづきかな 1

46年目の命日、昨日6月29日は扶示子さん・ちえ子さん・雅一郎さんの命日でした。今日6月30日は藤雄さんの命日です。
袴田巌さんは、警察が8月18日逮捕し、拘束し始めて、拘置所で死刑の恐怖に精神を破壊されるにいたった歳月も、やはり46年目になります。
「当時19歳だった少女」「ときのとまった」貴女も46年の歳月を経ています。
同じ46年の歳月を、「無実の罪で、無理矢理押込められた、理不尽の、檻の中で精神を破壊された ー袴田巌さん」と「新婚気分でした九州日南の旅行から久しぶりにうきうきした気持ちで帰ってきた貴女が、明日武道館のビートルズを見に行くという妹を死なせてしまった。事業も軌道に乗り、県内の同業者63事業所がある中で、3位にまで成長させた。応接間の新聞は長者番付の紙面が開かれていたままだ。その父に母と弟を死なせる行動をとらせるきっかけを作ってしまった。ほんの一瞬が、今までの家庭の歴史をあぶり出し、脳裏をよぎっただろう。藤雄ができる事は一人残した娘の罪も含めて自分があの世に持っていくしかないと思った。」
あとの事をよろしくと、藤雄から持ちかけられた人々も大変な事を背負い込んでしまった。その人たちの時も46年間止まってしまった事だろう。
その「ときをうごかす」責任が、貴女にあります。貴女にしかできません。「ときを動かしてください」


ときはいま たみがしたなる ふづきかな 2
真実は、桶狭間から本能寺を読み解かなければわからない。じつは、桶狭間には、のちの、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が勢揃いしていたのである。感覚が研ぎすまされ、それでいて時代から超然とした発想を自在に思いつくままやりとうした。沢彦はいたけれどほとんどを一元的に取り仕切った信長。親族の中での血で血を洗う抗争の中で孤立し、斎藤道三から血を超えたところからの献身力をしった。その事情が晩年に膨らんだ。親族に権力を集中しようとした時崩壊した。いわゆる「たかころび」である。
そして、「知恵」を参謀から採用する事に巧みであった秀吉も、組織が信長を超えたとき「たかころび」をしたのである。
では何故、徳川家康のみが長期政権を培う事ができたのか。それは、駿府の「次郎」のときから学んだ「くすりうり・植木職人・情報の仕組み・組織の仕組み」を自分の体で覚えた事からの「集団指導体制」をはじめから造り上げており、信長の治世・秀吉の治世から学んでいったからであった。このような徹底した学びの精神は「松平元康」にはない。
さて、本能寺近辺にも「秀吉の代理・家康」が勢揃いしていた。情報戦で最も抜きん出ていたのが秀吉である。明智光秀は、主体的に変を起こす意志を持っていなかった。持っていたらあんなへまをするわけがない。しかし、土岐一族の主従の事情が客体的に光秀を引きずっていった。しかも、斎藤利三の手のものが本能寺を襲撃した情報を聞いたとき、「是非もない」とつぶやき「敵は本能寺にあり」を宣言せざるを得なくなったのである。「信長公記」は、信長の台詞にしているが、あれは光秀のつぶやきである。そして、斎藤利三を駆り立てたのは、徳川家康である。徳川の伊賀衆も斎藤利三を支援していただろう。だから、光秀が本能寺へくる前に、伊賀衆が家康と連携して「伊賀越え」をしたのである。そのとき、武田の穴山梅雪は殺されざるを得ない行動をとったのだろう。罪を夜盗になすり付けて殺したのである。光秀の影武者を斎藤利三がやり、光秀を徳川に託したという線はいかがだろうか。
いづれにしろ「明智光秀」は、斉藤利三の娘「福」が引き継いだ。家康と光秀からの一字をとって「家光」にしたのは春日局であったろう。徳川を読み解くには「集団指導体制」を読み解かないとわからない。長期政権を培う力も、ねつ造する力も、隠蔽する力も・知恵も「集団指導体制」によるからである。


ときはいま たみがしたなる ふづきかな 3
さて、現在の状況は「間接民主主義の時代から、直接民主主義の時代へ移行しているとき」である。それも、世界的に同時進行している。しかも、直接民主主義の国家運営の完全モデルはない。それぞれが部分モデルを持っている。何事も一挙に完成する事はできないのだから、それぞれの部分モデルをよりよいものにしていくときなのである。国家という従来の発想は破綻し、「ボーダー・レス」している時代なのだ。「 E U 」の経験を謙虚に学ぶ時である。しかも、地方が独立して、ボーダー・レスするじだいなのである。それをなし得るのは、一人ひとりを大切に、賢くするという事をしないと、人の自立ができず、地方の自立ができず、国の自立ができず、ボーダー・レスはできないのだ。
日本には、先人の知恵と努力の賜物がある。「絶対神」を受け入れない。全てのものから徹底的に学ぶ、八百万の神々を尊崇するスタンスを自然に身につけてきているからなのです。ですから、曖昧な態度のよおに見えたり、どっち付かずのようになったり、融通不断のように見えたりするのですが、これはみんなを大切に考えているからなのです。これが日本の大切なところなのですから自信を持ってそのことを言っていきましょう。「ボーダー・レス」にしないと「 I T 」をみんなのものにできません。「 I T 」をみんなのものにすると、いろんなものが安くなり、みんなが賢くなる基本的なシステムがもっと広がるのです。いま みんなが かしこくなる とき デス。

人口考古学

2012-06-28 20:28:26 | Weblog
15000年のあいだの日本の人口の変遷から見る歴史観
日本の人口の変化

 歴史人口学の研究者である鬼頭宏氏の「人口から読む日本の歴史」によれば、わが国の人口は単調に増加し続けたのではなく、増加と停滞、あるいは減少を何度か繰り返しながら、大きな波を描くように変化してきた。人口増加には、弥生時代から10世紀以降にかけてみられる稲作農耕とその普及による人口増加と、19世紀から現代にいたる工業化に支えられた人口増加という2つの大きな流れがあるという。
 鬼頭氏が江戸時代までの人口について様々な資料から推計したところ、縄文時代には約10万人~約26万人であり、弥生時代には約60万人であった。奈良時代には約450万人、平安時代(900年)には約550万人となり、慶長時代(1600年)には約1,220万人となった。江戸時代には17世紀に人口が増加し、18世紀には停滞して、おおむね3,100万人から3,300万人台で推移した。


少女の時は止まった  会社の変遷と役員

2012-06-22 14:26:00 | Weblog
会社、変遷と役員



橋本藤雄・当日の行動・タイムテーブル
捜査報告書などには、6月29日の橋本藤雄の行動について明らかにしていない。工場の事務所で従業員の一人と話をして、経理から当日の集金した金袋を自宅へ持ち帰ったというのが新聞記事に見える程度である。したがって、それ以降死体で発見されるまでの情報は新聞報道からは伺えなかった。事件が解決して捜査本部を解散するという段階で、事件の総まとめをする際に「長明効果」がその報告書の中にそっと書き込んでくれた。捜査本部内に最後まで、「事の真相を見つけてくれよ」という「良識ある人の存在」を見せてくれた。長明効果を手がかりに、聞き込み調査と捜査資料で得られた情報でこのタイムテーブルを作成した。


ありがとうございました 熊本典道 さん

2012-06-22 10:05:39 | Weblog
再録します

ありがとう 熊本典道 さん
2007-02-27 01:53:16 | Weblog

深夜の電話があった。君子さんが明るい声で応対しているのが隣の布団の中で聞こえた。
しばらくその明るい声の会話を聞いていた。昼に電話があった福山のいずみさんからだと思っていた。すると、かなざわ藤木さんからよと受話器をよこした。
興奮した、藤木さんの声が響いてきた。金澤さん、すごいことが起きたよ。
いまテレビで、判決を出した裁判官が袴田さんにすまない、もうしわけないと涙ながらに語っていたよ。
わたしは、一瞬なんのことかわからない、その一瞬の永さを感じながら、ど!,何処のテレビよ!
と云っていた。
10っチャンネルだよ。
秋山さんががんばったな!とわたしがいったら、これはもう!平野さんだね。平野さんが袴田さんに自分の命を替わりにやったんだね。と、藤木さんが叫んでいた。
1966年6月30日未明に静岡県清水市横砂の味噌屋橋本藤作商店専務の家から出火、焼け跡から4人の焼死体が発見された。その味噌屋で働いていた元プロボクサーの袴田巌さんが犯人にされ
一審静岡地裁で「死刑」の判決が出された。その「判決」を書いたのが熊本典道さんだ。
その「判決」を書いたあと、熊本典道さんは裁判官をやめ弁護士になったと聞いていた。
藤木さんからの電話が「夢」ではないことを祈りながら、きょうはもう眠れない、と思いこれを書くことにした。
1999年7月1日付け「清水・袴田通信」に次のような文章を書いていた。
袴田さん! お元気ですか!!
巌さん、あなたが『無実」であるのに、理不尽にも、警察・検察そして裁判所の、むりやりゆがめた「事実認定」によって、永いあいだ自由を奪われておられることに、心から御見舞い申し上げます。
わたしは、巌さんの『えん罪」は捜査当局の強引な証拠のねつ造によって、つくり出されたものであることを知っています。なかでも「5点の衣類」が中心証拠とされ、「有罪」の「決定的証拠」とされています。
この「5点の衣類」は、捜査当局と一部の元従業員の連携プレーでねつ造されたものです。
わたしは、あなたの『えん罪』は「捜査当局によってねつ造された証拠」が「有罪の決め手」とされている「えん罪事件」ですから、これほど長期になっているのだと思っています。
一方、わたしは「人間の良識」について悲観していません。
警察という組織でも、検察という組織でも、とりわけ、裁判所の組織でも「良識ある人間」がいることを確信しています。
「良識ある人間」が排除されるような「組織」は、かならず崩壊してしまいます。
また、「良識ある人間』がそれぞれの「組織』にいるなら「袴田巌』さんが「無実の罪』で放置されていることをだまって見ていられるだろうかとも思います。
[Dansk rets historie]という本をデンマークで買ってきました。
『ダンスク レッツ ヒストリエ』と私には読めますが、「日本の法制史』にあたるもので「デンマーク法律史」といっていいのでしょう。
しかし、文化の奥深さが違うように思うのです。[rets]は、『正義・公正・特権・法律・法廷・まっすぐに正しく』などと意味しているのです。
わたしには、『正義の歴史』と読め、感動しました。
『日本の法制史』は、どうも、わたしには『支配者がつくる制度の歴史』によめるのです。
2007年2月27日午前1時16分、これを読み返して、わたしはただ「熊本典道」さんに感謝するだけです。

世界が平和でありますように 23(冤罪事件ー資料集23)

2012-06-20 13:42:17 | Weblog
31、「転」の数字で示した矛盾とは
「数字が示している矛盾」というのは、例えばちえ子さんの爪先の柱との距離を示している右足と左足の数字の違いは明らかにおかしいと見せてくれた。それでいろいろ考えてみると、半透明紙に写し取り4本の足の中心となるところで180度転換すると、次の図面になる。この方が数字との矛盾が少なくなることに気づいた。そこで、「死体は動かされた」というイメージが明確になったのである。