ときはいま たみがしたなる ふづきかな 1
46年目の命日、昨日6月29日は扶示子さん・ちえ子さん・雅一郎さんの命日でした。今日6月30日は藤雄さんの命日です。
袴田巌さんは、警察が8月18日逮捕し、拘束し始めて、拘置所で死刑の恐怖に精神を破壊されるにいたった歳月も、やはり46年目になります。
「当時19歳だった少女」「ときのとまった」貴女も46年の歳月を経ています。
同じ46年の歳月を、「無実の罪で、無理矢理押込められた、理不尽の、檻の中で精神を破壊された ー袴田巌さん」と「新婚気分でした九州日南の旅行から久しぶりにうきうきした気持ちで帰ってきた貴女が、明日武道館のビートルズを見に行くという妹を死なせてしまった。事業も軌道に乗り、県内の同業者63事業所がある中で、3位にまで成長させた。応接間の新聞は長者番付の紙面が開かれていたままだ。その父に母と弟を死なせる行動をとらせるきっかけを作ってしまった。ほんの一瞬が、今までの家庭の歴史をあぶり出し、脳裏をよぎっただろう。藤雄ができる事は一人残した娘の罪も含めて自分があの世に持っていくしかないと思った。」
あとの事をよろしくと、藤雄から持ちかけられた人々も大変な事を背負い込んでしまった。その人たちの時も46年間止まってしまった事だろう。
その「ときをうごかす」責任が、貴女にあります。貴女にしかできません。「ときを動かしてください」
ときはいま たみがしたなる ふづきかな 2
真実は、桶狭間から本能寺を読み解かなければわからない。じつは、桶狭間には、のちの、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が勢揃いしていたのである。感覚が研ぎすまされ、それでいて時代から超然とした発想を自在に思いつくままやりとうした。沢彦はいたけれどほとんどを一元的に取り仕切った信長。親族の中での血で血を洗う抗争の中で孤立し、斎藤道三から血を超えたところからの献身力をしった。その事情が晩年に膨らんだ。親族に権力を集中しようとした時崩壊した。いわゆる「たかころび」である。
そして、「知恵」を参謀から採用する事に巧みであった秀吉も、組織が信長を超えたとき「たかころび」をしたのである。
では何故、徳川家康のみが長期政権を培う事ができたのか。それは、駿府の「次郎」のときから学んだ「くすりうり・植木職人・情報の仕組み・組織の仕組み」を自分の体で覚えた事からの「集団指導体制」をはじめから造り上げており、信長の治世・秀吉の治世から学んでいったからであった。このような徹底した学びの精神は「松平元康」にはない。
さて、本能寺近辺にも「秀吉の代理・家康」が勢揃いしていた。情報戦で最も抜きん出ていたのが秀吉である。明智光秀は、主体的に変を起こす意志を持っていなかった。持っていたらあんなへまをするわけがない。しかし、土岐一族の主従の事情が客体的に光秀を引きずっていった。しかも、斎藤利三の手のものが本能寺を襲撃した情報を聞いたとき、「是非もない」とつぶやき「敵は本能寺にあり」を宣言せざるを得なくなったのである。「信長公記」は、信長の台詞にしているが、あれは光秀のつぶやきである。そして、斎藤利三を駆り立てたのは、徳川家康である。徳川の伊賀衆も斎藤利三を支援していただろう。だから、光秀が本能寺へくる前に、伊賀衆が家康と連携して「伊賀越え」をしたのである。そのとき、武田の穴山梅雪は殺されざるを得ない行動をとったのだろう。罪を夜盗になすり付けて殺したのである。光秀の影武者を斎藤利三がやり、光秀を徳川に託したという線はいかがだろうか。
いづれにしろ「明智光秀」は、斉藤利三の娘「福」が引き継いだ。家康と光秀からの一字をとって「家光」にしたのは春日局であったろう。徳川を読み解くには「集団指導体制」を読み解かないとわからない。長期政権を培う力も、ねつ造する力も、隠蔽する力も・知恵も「集団指導体制」によるからである。
ときはいま たみがしたなる ふづきかな 3
さて、現在の状況は「間接民主主義の時代から、直接民主主義の時代へ移行しているとき」である。それも、世界的に同時進行している。しかも、直接民主主義の国家運営の完全モデルはない。それぞれが部分モデルを持っている。何事も一挙に完成する事はできないのだから、それぞれの部分モデルをよりよいものにしていくときなのである。国家という従来の発想は破綻し、「ボーダー・レス」している時代なのだ。「 E U 」の経験を謙虚に学ぶ時である。しかも、地方が独立して、ボーダー・レスするじだいなのである。それをなし得るのは、一人ひとりを大切に、賢くするという事をしないと、人の自立ができず、地方の自立ができず、国の自立ができず、ボーダー・レスはできないのだ。
日本には、先人の知恵と努力の賜物がある。「絶対神」を受け入れない。全てのものから徹底的に学ぶ、八百万の神々を尊崇するスタンスを自然に身につけてきているからなのです。ですから、曖昧な態度のよおに見えたり、どっち付かずのようになったり、融通不断のように見えたりするのですが、これはみんなを大切に考えているからなのです。これが日本の大切なところなのですから自信を持ってそのことを言っていきましょう。「ボーダー・レス」にしないと「 I T 」をみんなのものにできません。「 I T 」をみんなのものにすると、いろんなものが安くなり、みんなが賢くなる基本的なシステムがもっと広がるのです。いま みんなが かしこくなる とき デス。
46年目の命日、昨日6月29日は扶示子さん・ちえ子さん・雅一郎さんの命日でした。今日6月30日は藤雄さんの命日です。
袴田巌さんは、警察が8月18日逮捕し、拘束し始めて、拘置所で死刑の恐怖に精神を破壊されるにいたった歳月も、やはり46年目になります。
「当時19歳だった少女」「ときのとまった」貴女も46年の歳月を経ています。
同じ46年の歳月を、「無実の罪で、無理矢理押込められた、理不尽の、檻の中で精神を破壊された ー袴田巌さん」と「新婚気分でした九州日南の旅行から久しぶりにうきうきした気持ちで帰ってきた貴女が、明日武道館のビートルズを見に行くという妹を死なせてしまった。事業も軌道に乗り、県内の同業者63事業所がある中で、3位にまで成長させた。応接間の新聞は長者番付の紙面が開かれていたままだ。その父に母と弟を死なせる行動をとらせるきっかけを作ってしまった。ほんの一瞬が、今までの家庭の歴史をあぶり出し、脳裏をよぎっただろう。藤雄ができる事は一人残した娘の罪も含めて自分があの世に持っていくしかないと思った。」
あとの事をよろしくと、藤雄から持ちかけられた人々も大変な事を背負い込んでしまった。その人たちの時も46年間止まってしまった事だろう。
その「ときをうごかす」責任が、貴女にあります。貴女にしかできません。「ときを動かしてください」
ときはいま たみがしたなる ふづきかな 2
真実は、桶狭間から本能寺を読み解かなければわからない。じつは、桶狭間には、のちの、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が勢揃いしていたのである。感覚が研ぎすまされ、それでいて時代から超然とした発想を自在に思いつくままやりとうした。沢彦はいたけれどほとんどを一元的に取り仕切った信長。親族の中での血で血を洗う抗争の中で孤立し、斎藤道三から血を超えたところからの献身力をしった。その事情が晩年に膨らんだ。親族に権力を集中しようとした時崩壊した。いわゆる「たかころび」である。
そして、「知恵」を参謀から採用する事に巧みであった秀吉も、組織が信長を超えたとき「たかころび」をしたのである。
では何故、徳川家康のみが長期政権を培う事ができたのか。それは、駿府の「次郎」のときから学んだ「くすりうり・植木職人・情報の仕組み・組織の仕組み」を自分の体で覚えた事からの「集団指導体制」をはじめから造り上げており、信長の治世・秀吉の治世から学んでいったからであった。このような徹底した学びの精神は「松平元康」にはない。
さて、本能寺近辺にも「秀吉の代理・家康」が勢揃いしていた。情報戦で最も抜きん出ていたのが秀吉である。明智光秀は、主体的に変を起こす意志を持っていなかった。持っていたらあんなへまをするわけがない。しかし、土岐一族の主従の事情が客体的に光秀を引きずっていった。しかも、斎藤利三の手のものが本能寺を襲撃した情報を聞いたとき、「是非もない」とつぶやき「敵は本能寺にあり」を宣言せざるを得なくなったのである。「信長公記」は、信長の台詞にしているが、あれは光秀のつぶやきである。そして、斎藤利三を駆り立てたのは、徳川家康である。徳川の伊賀衆も斎藤利三を支援していただろう。だから、光秀が本能寺へくる前に、伊賀衆が家康と連携して「伊賀越え」をしたのである。そのとき、武田の穴山梅雪は殺されざるを得ない行動をとったのだろう。罪を夜盗になすり付けて殺したのである。光秀の影武者を斎藤利三がやり、光秀を徳川に託したという線はいかがだろうか。
いづれにしろ「明智光秀」は、斉藤利三の娘「福」が引き継いだ。家康と光秀からの一字をとって「家光」にしたのは春日局であったろう。徳川を読み解くには「集団指導体制」を読み解かないとわからない。長期政権を培う力も、ねつ造する力も、隠蔽する力も・知恵も「集団指導体制」によるからである。
ときはいま たみがしたなる ふづきかな 3
さて、現在の状況は「間接民主主義の時代から、直接民主主義の時代へ移行しているとき」である。それも、世界的に同時進行している。しかも、直接民主主義の国家運営の完全モデルはない。それぞれが部分モデルを持っている。何事も一挙に完成する事はできないのだから、それぞれの部分モデルをよりよいものにしていくときなのである。国家という従来の発想は破綻し、「ボーダー・レス」している時代なのだ。「 E U 」の経験を謙虚に学ぶ時である。しかも、地方が独立して、ボーダー・レスするじだいなのである。それをなし得るのは、一人ひとりを大切に、賢くするという事をしないと、人の自立ができず、地方の自立ができず、国の自立ができず、ボーダー・レスはできないのだ。
日本には、先人の知恵と努力の賜物がある。「絶対神」を受け入れない。全てのものから徹底的に学ぶ、八百万の神々を尊崇するスタンスを自然に身につけてきているからなのです。ですから、曖昧な態度のよおに見えたり、どっち付かずのようになったり、融通不断のように見えたりするのですが、これはみんなを大切に考えているからなのです。これが日本の大切なところなのですから自信を持ってそのことを言っていきましょう。「ボーダー・レス」にしないと「 I T 」をみんなのものにできません。「 I T 」をみんなのものにすると、いろんなものが安くなり、みんなが賢くなる基本的なシステムがもっと広がるのです。いま みんなが かしこくなる とき デス。