自転車で街へ出ると はりまや橋のすぐ近くに 得月楼があります。
高知県出身の直木賞作家 宮尾登美子さんの小説にたびたび出てくる
陽暉楼です。
得月楼の前には毎年門松が立ちますが 今年も早々と立っておりました。
陽暉楼は 明治から昭和初期にかけ 西日本一の妓楼といわれたらしく
宮尾さんの小説は ここを舞台にしたものが多く見られます。
今の得月楼は電車通りに面しておりますが 当時の陽暉楼はもっと西の
鏡川のほとりにあったらしく 店の前には舟が着いていたようです。

宮尾登美子著 『陽暉楼』 は陽暉楼一の売れっ子芸妓 桃若を池上季実子さん
主演で映画化され 女衒業の父親役 緒形拳がさすがの貫禄でありました。

桃若は実在の人物で 若くして病死しましたが 魅力的な女性だったようです。


それにしても宮尾登美子さんは 元気にされているでしょうか。
数々の小説を著し 多くがベストセラーとなり そのほとんどが映画やTVドラマ
になりヒットしました。

これは1年半前の 高知新聞へ載った宮尾登美子さんの記事で その当時私がblogへ
載せた写真です。
記事によると宮尾さんは ふるさと高知の お城の見えるマンションを購入し これから
は高知に住まわれるとのことでした。
宮尾さんは87歳で 母より1歳上になります。
同じ市内に住んでも 宮尾さんの近況はとんと聞かず 高知新聞へ載った通り1年半前は
高知市へ居を構えたはずですが 今も続いてお住まいなのか お元気でおればいいがと
わが母と同年代の 宮尾登美子さんを思います。
仕事をやめてからは本の好みが変わって 女性の書かれたものや時代小説が好きになりました。
そのなかでも 宮尾登美子さんの本は 書店に出ているものは次々に買い 繰り返し読みました。
ですが パソコンを始めてからは ぱたっと本を読まなくなってしまいました。
宮尾さんがご存命で 故郷にお住まいのことも知りませんでした。
外への活動は されていないのですね。
お元気だといいですけど。
気候 風土 気質があるのでしょう。
男は男らしく 女性は女性らしく と言っても 男性に負けない気質 とうらやましく思います。
高知にお住まいなのですね。
もしかしたら、くりまんじゅうさんのすぐ近くに
いらっしゃるかも・・
それにしても、高知には著名な方々が多いですね。
それだけでも誇らしいですね。
私はこの方の写真を見るたび、奈良岡朋子さんが
ダブります。
ようちゃんばあばさんと同じで、パソコンを始めたら
ほんとにばたっと音がするほど読書量が減りました。
どういうことじゃろか。
聴きに行ったのがもう4-5年前になります。
このときも もう宮尾さんは80歳を超えておりましたが
とてもお元気で すてきな着物をお召しでした。
講演の内容も土佐の方言を交え やさしい語り口でした。
そして1年半前に高知市にマンションを買い住まわれると
高知新聞に載り嬉しかったですが それから宮尾さんの
情報はプツリと途絶えました。
お元気なのか 高知市に今もお住まいなのか お一人で
暮らしておられるのか 情報は全然聞きません。
毎年得月楼の門松を見るたびに宮尾さんを思います。
父親の女衒業で 映画では緒形拳さんが1番のはまり役でした。
宮尾ワールドの女性は貧しさのため親に売られ苦界に
身を沈めた女性が多く それでも凛として美しく情熱的で
土佐のハチキンの原点のような女ばかりでした。
土佐の気候風土が このような女性を育てたかも知れませんね。
くりまんじゅうは う~ん 凛としてないし 情熱も続かないし。。です
で放った 「おまんらぁ なめたらいかんぜよ!」
は当時 とても有名になりました。
このほかにも数々の映画 TVドラマになり主演女優も
競って 宮尾ワールドの主役を演じました。
宮尾さんはお元気なのか ひょっと病気でもされて入院
などしてないか それとももう高知へはお住まいではないのか
同じ市内に住んでも全然不明です。
どうかお元気でいてほしいものです。
言われてみれば納得です。
宮尾登美子さんの中年の頃の写真は奈良岡朋子さんに
とても感じや雰囲気が似ております。
↑のようちゃんさんやまろさんと同じく PCを触りだして
本を読まなくなりました。
私だけかと思ったら皆そうなんですね。
なぜでしょうかね 今は活字を追うのはせいぜい新聞へ
さっと目を通すだけです。
世の中便利になっても 失うものも多かったということですね。
ドラマにもなってるので、いくつか観ました。徹子の部屋に出てた宮尾さんは、
いつもお洒落でしたよね。
桃若さん、きりっとした美しい方ですね。着物の着こなしや趣味が、花柳界の方の粋が感じられます。
敷居が高かったです
行ってみたかったなぁ~