昨日の高知新聞の 時代の旅人 あの人に聞く のページに
『吸い込まれそうだね』の見出しで 明治から昭和にかけ活躍した
県出身の洋画家 石川寅治が36才時に描いた絵が 大きく載りました。
67.6☓135㎝の 『高知城を望む』 は114年前の高知市を描いた1枚で
寅治の代表作といわれ 故福富太郎氏が購入し所有していたものです。
美人画コレクターとして知られたキャバレー王 福富氏が2018年に
没した後 所有していた鏑木清方の美人画を中心に 全国の美術館を
巡回し 3年前こちら県立美術館でも展示されました。
そのとき買った図録にこの 高知城を望むがあり 新聞よりも図録の
絵が鮮明に見えます。
明治44年 36才の寅治がながめた風景は 114年後おなじ場所からの
景色がこうで 耐震基準を満たしてないとの理由から この展望台も
先年とり壊されました。
114年まえの寅治の絵を 郷土史家や 代々この地の住人が伝え聞いた
話らから ここは温泉場だった むかしこの島に料亭があったことなど
寅治の絵は 過去の暮らしも語ります。
114年まえと山の形は同じでも 汽水域にこれほど大きい中州があった
ことなど 寅治の絵は歴史的資料としても 貴重な1枚になっています。
「故郷の見晴らし台に立ち 対象をまっすぐにとらえ抜群の力量で描く
絵筆になにを込めたのだろうか 晩年まで枯れなかった」
時代の旅人石川寅治は 114年経っても 私たちに多くを語っています。
以前のことですけど写真のお仲間さんがカメラを持って歩いて見えるところに出会いました
町も変わるから撮って残しておきたいと言われました
なるほどと思いました
一枚ほしいとですが、いまだ入手できずにいます。
あれ 以前はここになにがあったろう?と思うように以前の風景は忘れています。
今はスマホ撮影ができるようになり いつでもどこでも写真が撮れますので
便利になりました。
114年まえ石川寅治がこの絵を描いたときは 写真に撮って帰って家で色を載せる
などは出来なかったでしょうから 現地で何日も描いたと思われ根気も要りましたね。
印象画のような明るい絵を描いたようで↑の絵はそのころの作品のようですね。
太平洋戦争中は従軍画家として派遣され 戦争画も描いたと書かれています。
今年は石川寅治生誕150年の節目の年で こうして新聞にも取り上げられ
いま県立美術館で石川寅治展が開催されており 版画・絵画が90点あまり
展示されています。前期・後期と分かれて作品の入れ替えがあるようで
けっこうな数を所蔵しているようです。
県立のほかにも県内の他の小さな美術館も 寅治の絵を所蔵していると聞いています。
石川寅治の絵は私のような素人が見ても 一目で好きになる魅力があります。
7月まで開催している県立の石川寅治展を見てから 県内あちこちの美術館へ行き
寅治探しをしてみたい と思うようになりました。
木炭と墨で描いた虎の絵、チャーミングです。
好きな画家が1人できると、その画家の展覧会を見つけて訪ねるという楽しみができますよね。
くりまんじゅうさまの石川寅次が、我が家の伊藤若冲です
というお宅を私も一軒知っています。所有者が亡くなったら売りに出すかもです。
若冲は絶対にカメラがない時代に 静物はともかくとして
動く軍鶏をどうやって描いたのかと素人は思います。
若冲クラスになると一度見た映像が 色も形も脳に鮮明に張り付くのでしょうか❓
山下清も瞬時に消える花火の映像が 脳のカメラに残ったでしょうかね
凡人には分からん世界です。
私は誰が描いたに疎くて お名前を存じ上げなかったです^^;
雄大な風景だけれど 単に写生をしただけでなく
空気まで描かれているのを感じます
そこが人を惹きつけるのでしょうね
いいものを見せて頂きました
もうちょっと自分が落ち着いたら展覧会にも行きたいなと思っています
中高生の頃は美術クラブに入っていたので
しょっちゅう見に行ってたのに・・・
画壇ではすごく有名な画家ではなかったと思います。
若い頃あの時代に 欧州へ留学できたことを思えば実家が裕福だったでしょうね。
キミコさんは仕事をお持ちだから なかなか今は美術館へ行けないと思いますが
フリーになれば あちこち日帰りで行けますね そこが都会の強みです。
以前キミコさんからいただいたコメントの中で キミコさんの若い頃の同僚に
美術の教師がいて 彼が若いころ遊びに行った友人の家の離れで
上村松園を見た という話に興奮しました。
年令からいえば彼の友人は 松園の息子ではなく孫の淳之だったでしょうね。
生の松園を見た 動く松園を見た というところで興奮しました すご~い。
私は自分が絵を描かないせいか 絵を見ても 上手・きれいの表現しかできませんが
キミコさんなら感じることがたくさんあるはずです ぜひお出かけください。