『フランケンシュタインの誘惑』で科学者・野口英世をやっていました。
歴史に残る発明・発見をした科学者が 死後何十年か経ちその研究成果の
誤りを暴かれる 科学史の闇にせまる番組で かつてこの番組から
良心の医師としてその名も高い 小児科医アスペルガーが ナチス時代に
多くの障害児を安楽死させた 黒い歴史もしりました。
今回は日本人が 福沢諭吉のつぎに好きな野口英世の 欲望物語でした。

1876年 野口英世は貧しい家に生まれ 幼少期のやけどで左手が不自由と
なるも 努力し単身渡米して医師になり 梅毒や黄熱病の研究でノーベル賞
候補にもなった 世界に名高い細菌学のスーパースターです。
しかし現在では その多くの研究が 誤りであったことが証明されました。
なぜか? 科学者 野口英世の欲望物語が 先日のフランケンシュタインで
語られました。
フランケン・・の野口英世を今回初めて観ましたが 再放送とのことです。

1900年 24歳で単身渡米した野口は 梅毒や狂犬病の論文発表でその名が
世界に知られ 若くして ロックフェラー医学研究所の重鎮となる。
1918年 南米でまん延する黄熱病の原因調査のため エクアドルに着任し
現地に着いてわずかひと月で 黄熱病の病原体を発見した 発表させてくれ
と上司に言ってくる。
1919年 十分な研究期間もとらず動物実験もそこそこに 黄熱病の病原体
発見論文を発表し 発表後わずか3ヵ月で『野口ワクチン』を作ったものの
その頃南米の黄熱病はほぼ収束しており ワクチンの効き目は不明となる。
研究期間中も だれかが出し抜くのではないか との恐怖不安が常にある。
なぜ それほどまでに1番の発表をと急ぎ 1番にこだわり執着するのか。
発表が2番になると 優れた内容であっても それら全てが1番の功績になり
2番手には何のメリットもなく さらに 苦労した内容すべてがパクられる。
野口の場合 日本で十分な教育を受けてないため米国でも冷遇され すべて
裸一貫から今の地位にのし上がったため 今の場所を失いたくないとの思い
から 功を焦ったと思われる と現代の科学者は語ります。
1924年 アフリカで黄熱病が流行するが 野口ワクチンはまるで効き目なく
エクアドルで発見発表した病原体は 黄熱病のものとは違うことが判明する。
1926年 野口の論文もワクチンも誤りであったと ハーバード大のマックス・
タイラーが発表し 野口ワクチンは使用禁止となり 同時に黄熱病は 野口の
となえてきた細菌ではなく ウイルスによる感染であると発表される。
1927年 今度こそ黄熱病の病原体を見つけリベンジする決意で 黄熱病が
まん延するガーナへ 野口ワクチンを接種後に行くも 黄熱病に感染し翌年の
1928年 野口英世は死亡する 享年51歳
野口の死は世界中に 『英雄的な科学者の死』 と報じられました。
野口の論文の誤りを発表した ハーバード大のマックス・タイラーは
野口の死後 黄熱病ワクチンを完成させ ノーベル賞を受賞しました。
病原体を発見したことで世界にその名が知られ ノーベル賞候補にも
なった狂犬病の論文も 誤りがあったと 野口の死後 証明されました。
「医学の歴史の教科書に野口の名前は載っていない。医学の観点からは
歴史上の人物ではなく 物語の人物である」と現代の科学者は語ります。
野口が渡米する前 あちこちから無心して集めた金を 船の切符を買う
前に 一晩で遊郭や酒に使いはたした話は知っていました。
だかまさか本業がこうだったとは初めて知りました。今から100年前の
顕微鏡ではウイルスは見えなかったと思われ 気の毒な面もあります。
貧乏のなかから そして左手が不自由な人生からも 必死で生き抜いた
野口英世の51年が偲ばれ もう一度1,000円札を見たことでした。
長くなりすぎました 最後まで読んでいただき ありがとうございます。