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くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

ミステリーツアー 3終。

2025-03-01 | 旅行

(4日目)
楽しかった旅も 今日で終りです。
朝ゆったりの出発で 三浦半島の先端になる馬の背洞門へ行きました。
モネはエトルタを何枚も描きました。ここも描いてほしかったです。

  

河津桜でしょうか あちこちで咲いていました。

 

横須賀は海軍の基地があります。世界三大記念艦の1つである『三笠』が
シンボルの 三笠公園に着きました。

 
 

これで観光はすべて終わりです と添乗員さんが言いました。

今回のツアーを旅慣れた友が言うには まずホテルと食事がすばらしい。
ツアーでなく個人旅行なら 1泊数万円するろうね とのこと。

2泊目『グランドメルキュール浜名湖リゾート&スパ』👈よう覚えんです・・。

 

3泊目『ラビスタ観音崎テラス』

 

夕食がフランス料理のコースは 出されたらすぐ平らげる
イラレ気質の土佐人は つぎが来るまで手持無沙汰でしてねぇ 

 
 

4日目の走行距離109㌔   1~4日の総走行距離は807㌔です。

東京日本橋を出発し 国道だけを走って青森市に着く距離だそうです
運転手さん お疲れさまでした。

連日長距離を乗りましたが 今回23名の旅人は 大型バス定員の半分の
人数でしたから 2人掛シートを1人で使え 疲れが緩和されました。

羽田で荷物を預けたら 大仕事が待っています。
それは『とらやの羊羹』を買うことです 高知では買えませんのでね。

時間がない  ひざ痛など言うちゃおれん  がに股で婆さんは飛ばします。 
増えた目方が腹でゆさゆさ とらやを目指し 全力疾走しました

家に帰りバタンキューで 翌日お土産を見たら 羊羹とお茶だけでした

 

だらだらと キレもコクもない旅行記を 連日読んでいただき
ありがとうございました。
 

コメント (18)
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ミステリーツアー 2。

2025-02-27 | 旅行

(3日目)
この日は 大井川にかかる全長約900㍍ ギネスにも載る世界一
長い木造の歩道橋  蓬莱橋を歩くと聞いて 朝からウキウキです。

寅さん映画の第22作目 大原麗子マドンナの『噂の寅次郎』で
寅さんが渡った蓬莱橋を歩く・・・はずが修理中で渡れずです

 

『箱根八里は馬でも越すが   越すに越されぬ大井川』

東海道五十三次で最大の難所は 流れが速く 橋がかけられぬ大井川で
人を肩にかつぎ渡した川越人足のさまを 島田博物館の浮世絵で見ました。

参勤交代の行列が川越えするとき 乗物(かご)や長持ちの荷物料金も含め
10万石クラスの大名行列で 30~40両も要ったそうです ひぇ~~

 
 

木の橋の次は全長400㍍の 日本一長い吊橋『三島スカイウォーク』です。

富士山と駿河湾が一望できる絶景ですが 足元のまん中は下が透けて見え
ゆらり~~  と揺れる吊橋はすごく怖い 火野正平さんは渡れないです。

 
 

観光を終え3日目の宿になる 2023年オープンした『ラビスタ観音崎テラス』
へ着いたころ あたりはまっ暗になっていました。

頭が重く いつも持ち歩く体温計で測ると37.8度あります 昨夜のお風呂上りに
ぺちゃくちゃ長い女子会をしたため 湯冷めしたようです。

寝込んだら大変と フロントで近くの薬局を聞いたら 歩いて行ける距離では
ないとのこと。タクシーを呼んでもらい 横須賀駅前のマツキヨへ行きました。

風邪薬を買いホテルへ戻ると 皆が心配してくれ 何のこれしきへっちゃらぜよ
食べたら治るきと 夜はホテルのバイキングです。地ビールもワインも飲み放題

 
 

食べて飲んでイビキかいて寝たら 翌朝は平温に戻りました 単純な体です。

泊りの旅に出るときは サロンパスと正露丸は持って出ますが 次回からは
漢方の葛根湯も仲間にいれます。
                       3日目の走行距離 292㌔

コメント (12)
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ミステリーツアー 1。

2025-02-25 | 旅行

3泊4日の どこへ行くかも分からないミステリーツアーに 旅友4人で
参加しました。

高知龍馬空港を JAL1便の東京行きですから 関東方面へ行くことは
確かです。

羽田からまず築地場外市場へ行きました。平日ですが人が多く田舎者は
迷子になりそうです。

築地はテリー伊藤さんの玉子焼き店しか知りません。150円の玉子焼きを
食べつつ 各国の言葉がとびかう市場の中を ぶらぶらしました。

 
 

各地のすごい大雪情報でしたが 山梨県に入ってもまったく雪が
ありません。甲府盆地は雪が降らないそうです

甲斐の武将 武田信玄公を祀った 武田神社につきました。

 

広い境内には能舞台があり 練習していました。薪能があるそうです。

 

1日目の行程はおわり 早めに石和温泉の日本旅館 慶山につきました。
                        1日目の走行距離184㌔ 

 

(2日目)
朝イチに 750年の歴史が育んだパワースポット 日蓮宗の総本山 身延山
久遠寺につきました。境内までの287段の石段はムリで エレベーターで
あがりました。

 
 

広い境内に古木のしだれ桜が数本植わっており 花が咲くころ来たいものです。

 

つぎは日本平ロープウェイで1,000㍍下り 徳川家康公を祀る久能山東照宮
を参拝しました。 ここも日光東照宮もキンキラで 家康公は派手好みです。
           (写真が出てきましたので  2月26日追記しました)

 

午後になると富士山に雲がかかりました。

 

せっかく美味しいマグロが揚がる地へ来ましたから 久しぶりに回らない
お寿司屋さんでお昼です。

 

2日目の宿は グランドメルキュール浜名湖リゾート&スパ です。
                   2日目の走行距離 221㌔ 

 

コメント (16)
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台湾紀行5最終 変わらぬルール。

2024-06-08 | 旅行

楽しかった台湾3泊4日の旅も すべての観光を終え帰国となりました。

25年まえの台湾では 宿泊したホテルもレストランも 全てのトイレは
もちろん水洗でしたが

『使った紙を流さず 横のかごに捨ててください』  には閉口しました。
それでも 不衛生だなぁと思いつつも 言われた通りにしました。

 

あれから25年。前回より高層ビルが林立し まさに大都会となった台北でも
ホテル・レストラン・故宮博物院も全て トイレの紙は流さずかごに捨てて
ください と25年前と変わらぬルールで これにも驚きました。

ガイド女史が言うには 台湾は下水事情が悪いし 台湾のトイレット紙は
厚いしで それをガラガラと大量に取って流すと すぐに詰まってしまう

トイレの紙を流せないストレスは アジア人より欧米人がずっと強く感じる
はずで 仕事らで長期の滞在者は 慣れるまでに時間がかかったと思います。

むかしの田舎は全ての家がポットン便所でしたので   そう驚きもしませんが
後泊の大阪のホテルで 紙を流せてしみじみ感じた  これこれやっぱこれぜよ

おばさん4人旅は 龍馬空港に立つ吉田茂翁に迎えられ 終了となりました。
一度も雨にあわず 曇った空のためか 予想したより涼しい旅になりました。   

 

家へのお土産は伊丹空港で買った 551蓬莱の豚まん・中華ちまきです。

だらだらとコクもキレもない台湾紀行に 最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。

コメント (12)
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台湾紀行4 九份。

2024-06-06 | 旅行

ジブリアニメですっかり有名観光地になった 九份へ行きました。
25年前の観光ツアーでは 名前も知らなかった九份です。

平日の午後でも結構な人が出ていました。GW中は狭く急な石段が
人で埋まったことでしょう。

 1.
 

九份といえば赤い提灯です 昼も夜も九份は赤提灯がシンボルです。
 2. 3. 4. 5.
 
 
 
 

吹き出すことがありました。台湾へ着き最初のホテルの翌朝の朝食会場です。

宿泊客の他に外から食べにくる人もいるようで   この国では朝食代を  あら~
年齢でなく 身長で決めております

入り口には身長計がおいてあり 150㎝未満・それ以上 で料金が分れます。
150㎝以上の人は300元 約1,443円となります。

 6. 7.
 
 

台湾の朝食料金を笑いましたが同時に 2018年3月に観光したカンボジアの
現地ガイド フォン氏の語った言葉を思い出しました。

 8.
 

『私は自分の 正確な年齢と誕生日を知らない。ボル・ポトはカレンダーを
持つことを禁じたため 生まれた子が何年に誕生したか分からず 雨季生まれ
乾季生まれとしか 親は認識できなかった。

暗黒のボル・ポト時代が終り学校へ行けるようになり 小学校へ上がった日が
その子の誕生日と決められ 右腕を頭の上から回して左耳をつかみ どこまで
指が届くかで年齢が決められた。

父は文字が読めないと思っていたが 暗黒時代が終り父が読めないふりをして
いたことを知った。メガネをかけていただけでインテリと見られ 連行されて
殺された者もいたため 父は文盲のふりをしていたことを知った』

罪なき人を200万人殺したといわれる 暗黒のポル・ポト時代を生き抜くため
親も子も じっと息をひそめ耐え抜いた時代は わずか40数年前のことです。

6年まえに聞いた 子どもの腕の長さで 年齢が決められたカンボジアの話と
今回の 身長で分けられる朝食料金は アジアらしいなぁ の気がしました。

いかん  ものすごく脱線しました。読んでいただき   ありがとうございました。
 
 

コメント (12)
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